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ぽかぽかが過ぎるだろ

むちゃくちゃに暑い。ほんの数日前まで暖房をつけてたのにもうこの始末である。
最近の記事で何度も「近年は季節の代わり方が極端で、夏と冬が長く春と秋が短い」みたいな話を擦り続けていたが、それ見たことかという感じだ。

ゲームに集中してる間は「なんかちょっと今日頭痛いな」程度にしか思っていなかったが、ちょっと休憩を入れて考え事をする時間ができるとすぐに今日の気温が非常に高いことに気がついた。頭が痛いのはのぼせていたからだろう。ネットニュースなんかを見てみると、昨日今日は全国的に夏のような気候だったらしいことが報じられていた。自分の体感気温がそう間違っていないようで安心する。

ついでにTwitterで「暑い」とか「冷房」とかで調べてみる。やはり暑いという呟きは相応にあり、もう冷房を使っている人もいるようだった。私は自分と同じように感じ考えている人がいることに安心し、冷房を点けた。冷房点ける点けないを決めるのにいちいち他人の言動を調べようとする辺り、面倒な奴だなと自己嫌悪に陥らずにはいられない。

というか、「暑い」「冷房」で検索すればそれでヒットするのは当然のことである。そりゃそういう話題について話している人は無数にいるだろうが、Twitterないしインターネット全体で見れば極々わずかな割合になるはずだ。検索するという行為を通して、そのわずかな意見を拾い上げ、存在を確かめて安心する。これはインターネットのかなり危険な使い方である。「検索してヒットする」のは当然なのだ。問題はその検索ワードの妥当性や全体における割合が顧みられることがないという点にある。
調べれば大抵のことが分かるインターネットは非常に便利であるが、調べたことしか分からないことと、調べたことがその人にとっての真実になってしまうということは解決不能の問題として存在し続けている。
人間は見たいものしか見ない、見たいものしか見ることができないというのは構造的な問題であるため、インターネットやSNSが当たり前のものになるよりもずっと前からそのようにしてあった。インターネットによってその構造的な問題が助長されるというのもある意味では恣意的な意見だ。


何について書いているんだ私は。全然筆が進まずにだらだらと書き続けていたが、ちょっとこれは蛇足が過ぎる。
「今日はものすごく暑かったですね」で終わっているほうが余程マシだ。
久しぶりに賢しらぶって見せたかったのかもしれない。ストレスが溜まっているのだろう。こういうときはさっさと寝るに限る。

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