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変わり続けることを恐れないG-netが貫く、変わらぬ思い

2021年にG-netは設立20周年を迎えました。次なる10年へ一歩を踏み出すG-netに、関わる人たちはどんな期待を寄せているのでしょうか。

今回お話を聞いたのはG-net創設者であり現在は理事を務める秋元祥治さん。秋元さんはこれまでの20年を振り返り、G-netを「手段は変わり続けても、軸には変わることのない思いを大事にしてきた組織」と表現しました。G-net創設のいきさつや事業承継に関するエピソードを織り交ぜながら、G-netが貫きつづける“思い”についてお話しいただきました。

「どうしたら自分たちを超えられるか」という問いが成長には不可欠

—秋元さんが代表理事を退いたのはG-net設立16年目の2017年。業承継から5年あまりが経過しましたが、これまでを振り返って率直に思うことをお聞かせください。

まず言えるのは「事業承継して良かった」の一言です。私が代表理事を退任した当時は、G-netは主力事業の「ホンキ系インターンシップ」で成功体験を収めた頃。インターンシップ事業をベースとした組織形成もうまくいくなど、組織として非常に良い状態にありました。そんな中での事業承継は、G-netが常に変化する組織としてもう一段成長することに貢献したのでは、と感じます。もちろん成功体験は喜ばしいこと。ですが一方で、常に変化し前進する、成長力にあふれる組織であるためには、成功を収めた自分自身を乗り超える必要があります。一つの成功に甘んじたままではいけないのです。事業承継が「自分の超え方」に真摯に向き合う機会となり、結果として「ふるさと兼業」などの新しい事業の立ち上がるに至ったのだと思います。

—G-netといえば、常に何か新しいことに挑戦しているという印象があります。事業承継もいわば挑戦のひとつ、といえますね。

「挑戦」はG-netを象徴するワードの一つです。今でこそ人材の育成や活躍を支援する事業が中心ですが、G-net設立当初はフリーペーパーの制作や野外ライブの開催など、いろんなことに取り組んできました。人によっては「事業に一貫性がない」と取るかもしれません。でも私たちとしては「どうやって地域を元気にしていくのか」を考え、その時最適と思うアクションを実践してきただけなのです。

—方法は変わっても、根源にある思いやめざす目標は変わらない。

そのとおり。ミッションやビジョンがきちんと通底していれば具体的なアクションは何だって良いのです。そもそも、個人の得意・不得意もありますし、時代の移り変わりに伴う環境の変化にも適応していくのなら、アクションの内容は変わっていくのは当たり前といえます。

「つなキャン」のような事業も、G-netが何を大事にし、どこをめざしているのかを明確に認識しているからこそ瞬発的に立ち上げられたのでしょう。何かしらの課題に直面した際、「今、そしてこれから何が必要となるのか」をすぐさま判断できるというのは頼もしい限りです。

—確かに頼もしいですね。ただ、「思いをシェアする」というのは言葉ほど簡単ではないようにも感じます。

G-netでは10年以上前から、事業戦略や事業ビジョンを1日あるいは1泊2日がかりで振り返る機会を四半期ごとに設けています。さらに、振り返った内容は理事会でも報告し、社外理事から忌憚のない意見、アドバイスを頂戴するわけです。四半期ごと、つまり3ヵ月に1度というなかなか短いスパンでの取り組みではありますが、大事な価値観やコンセプトを共有する上で重要な装置として働いていると思いますね。

「気づき」から目を逸らさず、手を挙げ行動する人は尊い

—G-netを取り巻く人やまちにも変化などがあったのでしょうか?

G-netの活動を通じてご縁のできた人が、地域の中心人物として活躍する姿を目にすることは年々増えていると感じます。インターン生OB・OGが企業に入社し、兼業人材の受け入れを担当するといったケースもあり、人と人とのつながりが絶えず紡がれ、循環しながら育つ様を見られると言うのも感慨深いです。何より、ご縁のある人の活躍そのものがとても喜ばしいことですし、その活躍にG-netが少しでも影響できたのであればうれしい限りです。

何かに気づき、それに対して自分がどうしたいかを考え、手を挙げて行動に移せる人は、何よりも尊い存在です。挙手した人に応援の拍手を送り、ともに励む仲間として握手を交わす。G-netがこれまで取り組んできたことは「応援」と「コラボレーション」とも表現できるでしょう。そしてこの根源に強く紐づいているのが、私の原体験です。

私がG-netを立ち上げたとき、抱いていたのは「文句を言って何もしていない人への憤り」でした。大学の夏休みに里帰りしたとき、地元の柳ヶ瀬商店街にあった近鉄百貨店が閉店したと聞いて、すごく驚いたんです。百貨店の閉店に伴ってまち全体が寂れてしまって、子ども時代を過ごした商店街の風景とは様変わりしたと感じました。自分が地元を離れている間に何があったのか商店街の人に話を聞くと、みんな口々に「〇〇が悪い」「〇〇がもっとがんばってくれないと」とこぼして。聞いていて、だんだん腹が立ってきました。なんで自分たちのことなのに、責任を自分ではない誰かになすりつけるのだろう、すごくカッコ悪いじゃないか、と。

里帰りから東京に戻ってしばらくした頃、同じく岐阜が地元の友人に里帰りのときのことを話したんです。まだ腹立たしさは残っていたんでしょうね、私は商店街の人たちとのやりとりをとうとうと言葉にして、友人は終始私の発する言葉をメモしていました。

その友人の姿を見て、ふと気づいたんです。「商店街の文句ばかりこぼす親父たちと、自分は一緒だ」「自分も、ただうだうだと『あいつらが悪い』って言っているだけだ」と。

—文句を言っている人も、それに対して苦言を呈する“だけ”の人も、立場が違うだけでやっていることは一緒…。

ということです。正直、当時は地元に戻るつもりも、ましてや自ら事業を興したりNPOを立ち上げたりする考えは微塵もありませんでした。けれど、里帰りの時に感じた憤りが「何かしないといけない」という気づきを私に与えました。それを、なかったことにはできなかったんです。それで在学中にG-netを立ち上げるのを決めました。恩師の「うだうだ言って何もしない人より、うだうだ言われてでも何かしている人のほうがずっと偉い」という言葉も、後押しになりましたね。

気づいた時に気がついたことを気づいた本人が始める。これがとても大事であり、G-netの原点となっているのです。


「辞めてはいけない」という呪縛を解けば、挑戦の一歩を軽やかに踏み出せる

—「気づき」を起点に行動する、というのはG-netの社員さんたちにも見られる姿勢だと思います。一方で「失敗が怖くないのかな?」と疑問を覚えることもありますね。

失敗しても良いんです。やってみて、ダメだったらやめれば良い。そのくらいの気軽さで十分なんです。

世間を見渡すと、多くの人が「始めたからにはやめてはいけない」という考えに縛られすぎていると感じます。やめてはいけない、始めるからには続けなければいけないと考えるあまり、始めることに躊躇してしまう。そんな考えは、呪縛に過ぎません。やってみて違ったら方向転換したり、スタート地点に戻ったりしたら良いんです。

私自身、G-netを始めることを即決できたわけではありません。実はG-netは当初、「半年間の期間限定プロジェクト」として立ち上げたんです。とりあえず半年間頑張って、続けたいと思ったら続ける、くらいな気持ちで。それが結果として20年続いたのですから、やっぱり始めることが大事で、尊いのだと思います。

—これからのG-netに、どんなことを期待しますか?

社会環境そのものが目まぐるしく変容する時代ですから、朝令暮改の姿勢でどんどん新しいことに挑戦してもらいたいです。失敗を恐れない、見方を変えれば失敗し続ける組織であってほしい。もちろん、変わることのない思いは大事に守りながら。

その上で、関わる人や企業に対する責任を果たす立場として、プロフェッショナルとしての在り方を自問自答し続けてもらいたいです。自分が何のプロフェッショナルなのかを厳しく問い続ける姿勢を持ち続け、強く成長してほしいですね。

[登壇者プロフィール]

秋元祥治(㈱やろまい代表取締役)
オカビズ チーフコーディネーター/武蔵野大学EMC教授

1979年岐阜市生まれ。早稲田大学在学中の2001年に人材育成による地域活性化に取り組むG-netを創業する(2003年法人化)。15年8カ月にわたって代表理事を務めた後、2017年5月に代表理事を退任、現在は理事を務める。2013年よりオカビズを立ち上げセンター長に就任。内閣府「地域活性化伝道師」など公職も多数。著作「20代に伝えたい50のこと(ダイヤモンド社)」、Yahoo!オーサー・Forbesオンラインコラムニスト



[聞き手プロフィール]

伊藤 成美(ライター)

ウェブメディア運営会社への転職を機にライター職に就き、執筆経験を積む。「培ったスキルの活用の場を広げたい」との思いから2018年にG-net主催「シェアプロ」に参加し、プロボノ・副業の経験を通じて独立を決意する。2020年よりフリーランスで活動。