未知のことも「なんだか面白そう」と引き寄せる力が、G-netにはある
大きな熱意に触れたことが、新たな一歩のきっかけに
—おふたりとも、G-netとはいつ頃からのお付き合いなのですか?
山川:私は2008年頃からですね。当社では、私が家業を継ぎ3代目社長となった頃から、業務用商品に加えて一般家庭向けの商品の開発をスタート。「たまごかけごはんのたれ」や「アイスクリームにかける醤油」のような、メディアの注目を集める商品も生まれました。そんな、会社としては動きが大きかった時期に、たまたま知り合ったのがG-net前代表理事の秋元さんでした。そしたらある日、秋元さんから「ホンキ系インターンシップ」の話を持ちかけられたんです。秋元さんは熱っぽくインターンシップの魅力を語ってくれたのですが、僕自身が学生時代に遊んでばかりいたのもあって(笑)、正直どれだけ魅力を並べられても「学生ひとりに何ができるんだ?」と感じてしまって、はじめはお断りしたんです。
大橋:僕も、初めて秋元さんから「ホンキ系インターンシップ」の話を聞いたときは「この青年は、いったい何を言っているんだろう?」って思いました(笑)。僕の場合は、2005年に自社内に立ち上げた「枡工房ますや」に秋元さんがやってきて、初対面でいきなり「御社の『合格します!』(※受験応援グッズとして企画した五角形の枡商品)を神社に売りたいと言っている岐阜大学の学生を、インターン生として受け入れてもらえませんか?」といった話をしてきて。突然の申し出に戸惑いましたけれど、大学生に興味を持ってもらえたことが率直にうれしかったですし、当社としても「受験応援グッズ」と「神社」の組み合わせは検討したことがなく、「やってみる価値はありそう」と思って、受け入れることにしました。
山川:僕はきっぱりお断りしたのに、どういうわけかそれで終わりとはなりませんでした。しばらくして、秋元さんから今度は「G-netで中途採用した男性職員をインターンとして2ヶ月ほど預かってもらえませんか?」という相談を受けて。聞けば、その人はインターン経験がなく実体験してほしいとの思いがあったようで、こちらとしても社会人経験のある人手が増えるのはありがたかったのもあり、週2〜3日のペースで2ヶ月間、当社で仕事をしてもらうことになりました。インターン最終日、「明日からG-netで頑張ってね」と送り出そうとしたら、その男性職員から「僕G-netには戻りません!ここで働きたいです!」って言われて(笑)。結局彼は3〜4ヵ月間ほど当社とG-netを掛け持ちした後、当社の社員に。そしたら今度は「僕が担当するのでインターンやりましょう!」って言い出したんです。
—だんだんとインターン生を受け入れる流れができつつありますね。
山川:これが秋元さんの作戦だったのではと思っています(笑)。ただ、具体的に受け入れを検討し始めて、実際にインターン希望の学生と接してもまだ懐疑的で、1度は面接後に「やっぱりイメージがわかない」とお断りをしたんです。でも秋元さんが「どうしてももう1回学生に会ってほしい」と言ってきて。お断りした学生も、めげずにインターンにかける思いをぶつけてきて。だんだんと「どうしてこんな熱意があるのか」「インターンっていったい何なんだ?」と、興味がわいてきたんです。それで結局、受け入れることとなりました。
「インターン生」とひとくくりにせず、目の前の人ときちんと向き合う
—実際にインターン生を受け入れたことでどんな気づきがありましたか?
大橋:学生の熱量の高さには本当に驚かされました。インターン期間内に「神社に『合格します!』を納める」という目標は達成できなかったのですが、数週間後に神社から発注が入って。結果的に、新たな販路の可能性を見出すことができました。
山川:うちも、インターン生が営業で回った地元のお店の方々と、その後別の形でコラボレーションする機会があったりして、結果としていいご縁をつくるきっかけをつくってもらえましたね。実は当社の看板商品である「アイスクリームにかける醤油」は、醤油味のアイスクリームが実現できなかったことで生まれた商品で、その経緯を聞いた学生が「私が社長の夢をかなえます!」と飛び込み営業までしてくれて、ついに商品化がかなったんです。あの行動力は凄まじかったです。
大橋:感動しますよね。学生の発想や行動は新鮮で刺激があって、僕自身クセになってしまって。それでその後もインターン生の受け入れを続けてきたのですが、毎回そうもうまくいくわけではなく…。
山川:そう、毎回うまくいくわけではない。うちも大橋さんのところも、1人目がすごかったぶん、「インターン生=熱意と行動力のある有能な人」という錯覚を覚えてしまって。でも、インターンを希望する学生の中にも、熱意があっても行動に移せない人もいれば、行動が結果に伴わない人もいて、一辺倒に「インターン生なら誰でも」ではいけないと気づかされました。
大橋:受け入れ側の姿勢は大きく影響すると思います。以前、「厳しく育てる」といったスタンスで接していたらインターン生が途中でリタイアしてしまう、といったことがあって…。すごく申し訳ないことをしました。
—受け入れるにあたって、どんな姿勢を心がけたのですか?
大橋:反省を踏まえて、その後は「寄り添う」ことを意識するようになりました。放任でも手取り足取りでもなく、寄り添って一緒に取り組む。そういった関係性づくりが大事だなと思います。
山川:選考時に、熱意だけに目を向けず「この人と一緒に何ができるか」を意識的に考えるようになりました。これはインターン生はもちろん、「ふるさと兼業」などのようなプロボノ・兼業者の受け入れでも同じといえると思います。よく、まわりから「インターン生受け入れのノウハウって何?メリットって何?」と質問されることもあるんですけれど、手段や旨味だけ知っても、多分成功しない。それよりも、目の前の人ときちんと関係性を築いていくという気持ちを忘れないことが、大事なんじゃないでしょうか。
「学生みたい」と揶揄されるような、呆れるくらいの熱量を保ってほしい
—改めて、おふたりから見て、G-netってどんな団体でしょうか?
山川:G-net職員の皆さんに、秋元さんに通ずる熱意を感じますね。言葉を選ばず表現するなら、普通じゃない。良くも悪くも未知数な学生のポテンシャルを、地元の活性化に使おうなんて普通は考えないし、考えたとしてもおいそれと実現できないと思います。でも、そんな向こう見ずな感じが「時代の先端」と言われるゆえんなのかな、とも思います。
大橋:これは個人的に感じていることなのですが、当社が次のステップに進もうと思っているところに、スッとG-netから新しい事業をされるといったケースが多いんです。見事にリンクしているというか。「ホンキ系インターンシップ」に始まり、「ミギウデ」「シェアプロ」「ふるさと兼業」と、お付き合いが始まってからいろいろな事業が出てきましたが、どれも当社の前進になくてはならないものだったと感じています。何より、それぞれの事業が当社にとってすごく良いタイミングでスタートするので、手を挙げやすかったんですよね。
—G-netではよく「伴走」という言葉が象徴的に用いられますが、すぐ隣にいるというより、少しだけ先を走ってくれている感じがありますね。
大橋:確かに! ちょっと先で、手を差し伸べてくれているから、こちらも手を差し出せる感じがします。
山川:うちで言えば、何度も手を差し伸べられるからそろそろ手を取ってみるかという感じですかね(笑)。
—いずれにしても、経営者のパートナーとして、ともに走り続けてくれる存在なのだと感じました。今後のG-netにどんなことを期待しますか?
大橋:振り返ると、G-netには社外取締役の役割をずっと担ってもらってきました。コロナ禍で当社が苦境に立たされたときも、すごく支えてもらって感謝しています。当社に限らず、中小企業にとって社外に支えてくれる存在がいることは、とても大きなものと思います。今後も頼っていきたいですし、アドバイザー的な役割に期待していきたいです。
山川:G-netの皆さんとやりとりしていると「いつまでそんな学生みたいなこと言っているの?」って感じることもあります。でも、そんな青臭いような感性がないと新しいコトは生み出せないのでは、とも思うんです。時代の先を行く事業を次々と生み出す、というのはとても大変なこと。でも諦めずに挑戦し続けてほしいです。そのためにも、「つなキャン」などを通じて10代の学生と積極的に交流して若い感性に触れ、自らの感性に磨きをかけてほしいですね。
[登壇者プロフィール]
大橋博行(有限会社大橋量器代表取締役)
岐阜県大垣市出身。大学進学を機に上京。卒業後は大手IT企業に入社し、6年間勤務。1993年木枡専門メーカー大橋量器に入社。2005年の法人化に伴い代表取締役に就任。同年に自社内敷地に「枡工房ますや」を立ち上げる。現代のライフスタイルに合った枡商品の製作、枡を内装材に展開するなど新たな活用方法の開発にも精力的に取り組む。
山川 晃生(山川醸造株式会社代表取締役)
岐阜県岐阜市出身。大学卒業後、酒類卸売企業で4年間にわたり営業経験を積む。1999年木桶仕込みのたまり醤油・豆味噌を製造する山川醸造株式会社に入社。3代目社長に就任後、創業以来主体としていた業務用商品に加え、家庭向けの商品開発にも着手。「醤油を主役に」をテーマにしたユニーク商品などを展開する。2018年8月よりG-netで社外理事を務める。
[聞き手プロフィール]
伊藤 成美(ライター)
ウェブメディア運営会社への転職を機にライター職に就き、執筆経験を積む。「培ったスキルの活用の場を広げたい」との思いから2018年にG-net主催「シェアプロ」に参加し、プロボノ・副業の経験を通じて独立を決意する。2020年よりフリーランスで活動。