マガジンのカバー画像

NPO法人G-net【20周年特別企画】

6
岐阜を拠点に地域活性のため活動するNPO法人G-netが、創立20周年を記念しG-netに所縁のある関係者にインタビューをする特別企画です。
運営しているクリエイター

#地域

ミッションとは何か。自らに問いを立て続けることが、これからのG-netをより強くする

20年前、「まちづくり」「地域活性」の志を持った若者が集まる —おふたりが、G-net立ち上げに参画するきっかけとは何だったのですか? 田代:まだG-netが法人化する前、2002年くらいに、「柳ケ瀬のまちづくりをやりたい!」と意気込んでいた秋元祥治に出会ったんです。僕はちょうど十六銀行柳ケ瀬支店に入行して3年目くらいで、柳ケ瀬商店街の事業者さんのところを自転車で回っていましたね。当時って景気が悪くて、商店街のいろんな事業者さんの状況を目にして「銀行員だけでは地域を元気に

未知のことも「なんだか面白そう」と引き寄せる力が、G-netにはある

大きな熱意に触れたことが、新たな一歩のきっかけに —おふたりとも、G-netとはいつ頃からのお付き合いなのですか? 山川:私は2008年頃からですね。当社では、私が家業を継ぎ3代目社長となった頃から、業務用商品に加えて一般家庭向けの商品の開発をスタート。「たまごかけごはんのたれ」や「アイスクリームにかける醤油」のような、メディアの注目を集める商品も生まれました。そんな、会社としては動きが大きかった時期に、たまたま知り合ったのがG-net前代表理事の秋元さんでした。そしたら

時代の波に立ち向かうものづくり企業とG-net。事業の継承と成長を支えるサポートを。

G-netとのチャレンジから得た、刺激と気付き ―それぞれのG-netとの出会いについてお聞かせください。 楓:ちょうど私が大東亜窯業に入社した10年前に、G-netが協力企業を探して訪ねてきました。私も事業内容や趣旨をご案内いただいたのを覚えています。最初の数年は、弊社の常務が担当となりインターンシップを受け入れるなどしました。その後、右腕人材の採用、育成を目指す「ミギウデ」事業に参加した6年ほど前から、私が主担当となって継続的にお付き合いさせていただいています。 眞

変わり続けることを恐れないG-netが貫く、変わらぬ思い

2021年にG-netは設立20周年を迎えました。次なる10年へ一歩を踏み出すG-netに、関わる人たちはどんな期待を寄せているのでしょうか。 今回お話を聞いたのはG-net創設者であり現在は理事を務める秋元祥治さん。秋元さんはこれまでの20年を振り返り、G-netを「手段は変わり続けても、軸には変わることのない思いを大事にしてきた組織」と表現しました。G-net創設のいきさつや事業承継に関するエピソードを織り交ぜながら、G-netが貫きつづける“思い”についてお話しいただ

挑戦の場をつくり続けることで生まれ、育まれたG-netの“価値”とは

“地域”を軸に、多種多様な人がつながり合う場をつくってきたG-net ―おふたりはそれぞれ、G-netとは10年以上のお付き合いだそうですね。 田中:僕は2003年頃、G-netが当時発行していたフリーペーパーを手にしたのが出会いのきっかけでした。「ホンキ系インターン」の紹介記事は特に心に残っていて、思わず事務所にアポ無しで突撃。その際、応対してくれたのが前代表理事の秋元さんです。めちゃくちゃ情熱的な話しぶりで、突然の訪問にも関わらず、気づいたら当社でもインターン生を受け

「変わり続けたこと、変わらなかったこと」G-netの20年間を見つめ直す機会

挑戦の伴走者 に 、 熱意のつなぎ役に NPO法人G-netは、”日本一チャレンジにやさしいまち”をビジョンに、岐阜を拠点に活動する団体として2001年に生まれました。 2017年に代表を交代し、新体制のもと、はや5年が経過しようしています。コロナ禍で社会全体ががらっと変わったことも影響したのか、本当にあっという間の5年でした。正直1年前でさえ、いったいどんな状態だったろうか?と思い出すのに時間を要するくらいです。 G-netは何のために存在するのか?(存在したいのか?