六月の喪失と再生のあわいに
イギリスの夏はとても短い。そして美しい。
1年半にわたるロックダウンが少しずつ緩和され、
2021年、いよいよこれからたくさん楽しいことがやってくる。
世間で「2年の遅れを取り戻そう」という機運が高まるころ
私の周りではたくさんの別れがあった。
何人もの友だちが、それぞれの事情で自分たちの国に帰っていった。
さらに、Jとは永遠の別れが訪れてしまった。
喪失感がたまるばかりなので、気持ちの整理のため、文字にしてみる。
突然のさよなら
身近な人の訃報をきいたのは、久しぶりだ。
自分とほとんど年齢のかわらないJ。
家族や友人というほどではないけれど、それなりに知っている人。
みんなが口々に「まだ若いのに」というから
どの年代からみても、人生を終えるには早すぎると感じる死だったんだろう。
訃報をきいたのはリモートワーク中で、ショックで泣きながら上司に連絡したら、無理せず休めといってくれた。
(日本でも、忌引き休暇とか何親等とか関係なく、簡単に休みがとれるといいよなと思う。パートナー、友人、知人、ペット、好きな芸能人の死だって、頭痛いとか遊びとかだって、どんな理由でも気軽に休みをとれないとね)
私の場合は半日くらいぼーっとして、仕事していたほうが気がまぎれるから、あえて働いた。
イギリス人の死生観
イギリス人とJの話をするとき、英語の過去形が、まざまざと「もういない人のこと」を話しているんだと自覚させてくる。
いっしょに紅茶を飲みながら、Jの思い出を共有した。
はじめて会ったときのこと、最近のJのようす。
とても強い人で、私たちに弱いところは見せなかった。
イギリス人はJの死を「神さまが、あなたの番だよ、とJの肩をトントンとたたいてしまった」と表現した。
なぜJが先に選ばれたのかわからない。フェアじゃない。
と静かに悲しんでいた。
神さまからお呼びがかかってbetter placeにいる。
本当にそうだといい。痛みも苦しみもなく平安なところにいてほしい。
Jへ
ふと、Jと同じ名前や、Jが話していた場所を目にすると、Jと過ごした日々がフラッシュバックする。
イギリスでの暮らしに慣れていなかった私に、いろいろ教えてくれたな。
おもしろエピソードを披露して、みんなを涙が出るほど笑わせてくれたな。
もっと話せばよかった。
Jが気に入っていた場所に、私もいつか行ってみよう。
Jができなかったことを、たくさんやってみよう。
イギリスの夏みたいに短い人生で、強く美しかったJへ。
イギリスでJに会えて本当によかった。ありがとう。
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