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三休に行った日。

大住駅から歩いてすぐのところにある三休。

本日で3回目の体験です。

駅から三休まで、大抵一回信号を見送る。が、今日はなんとなく足取りが軽くそのまま向かえる。もちろん緊張はあるが、3回目にして何となくの楽しみはあるようです。

三休日和の大住駅



三休に入ると皆さんが迎えてくれる。体験生としての私を案内してくれるのはたけちゃんだ。いつも彼に長靴を案内してもらうことから私にとっての三休が始まる。

13時から昼礼が始まる。
午前の仕事の報告、午後からの仕事の確認。
彼らはここでしゃべるとき緊張していたりするのかな、日常になってきているのかな、当たり前にしゃべるようになる時がくるのかな。
私も体験生だと紹介され、挨拶する。

その後畑へ。
道具を車に積み込み、畑へ向かう。ハイエースに8人ぐらい乗っているだろうか、メンバーさんと向かう。なんせ駐車場が狭いというか、出にくいというか、いつも運転こわ、と思う。福祉現場というのはなんでもやるところだ。

畑に到着すると長靴に履き替えて、いざ作業。今回はビニールハウス内の、万願寺とうがらしの畝作り。
半年以上、畝として使うので大事に作っていきたいと仰る。そうか、そんな大事な作業を一緒にやらせてもらえるのかとうれしい。
ビニールハウスを見ると結構圧巻に土がある。畝の土台はトラクターでできているので細かい調整を行うのが午後からの仕事だ。

🚜
作業後の畝
(作業前撮り忘れて悔しい)


人が歩くところ、野菜が育つところ、私たちが歩いて良いところと、だめなところ。当たり前だが、それが分かっていないと作業ができない。
単純な作業と、ある程度の経験がないとできないこと、職員も瞬時に反応し、メンバーに仕事を頼む。

メンバーが決めきれないこと、分かっていないことを知ること、気づくこと、指摘されること、声をかけてもらうこと、その全てが積み重なり少しずつメンバーの力になっていくということ。





彼らがだんだんと、いきいき働くようになるのはなぜなのだろうか。

一般就労が決まっても月に2、3回は三休にくるのはなぜなのだろうか。




畑作業中、当たり前だが、作業について分からないこと、しんどいことが出てくる。そこをフォローすること。フォローされること。
のんびりでいいからね、休憩しつつでいいからねと声を出して伝えること。
その全てがここにいて良いと思える要素になっているように感じる。ここに居ていいよ、あなたのことを大事に思っているよ、そう思えるのかもしれない。
そして、だからこそ、ここで頑張りたいと思えるのかもしれない。
今日は頑張れないかもしれないが、明日は頑張りたいと思えるのかもしれない。

仕事が終わり、戻る準備をするメンバーさんたち


職員に指摘され、『分かってます』と返事したメンバーさんが居た。『分かってるね、分かってるのに言っちゃって、ごめんね』
なんだか、笑ってしまった。そうだよな、分かってること言われるとき、あるよなぁって。
大人しくはい。って返事しとこって思っちゃうもん。
でも分かってるからって伝えたい気持ちすごく分かるな。いいな。



作業が終わり、三休に戻る。隣に座っている彼女は眠っている。


駐車場に車を停める。室内作業組が駐車場に置いてるコンテナを運んでいる。その光景を見て、頑張ってるな〜疲れてるな〜など車の中で喋っている。いつでも見守られてるんだなぁと感じる。作業中も、『はなさん疲れてない?大丈夫?ゆっくりで、ほんとゆっくりでいいからね〜』と声をかけてもらう。それも何度も。何度も。


三休に戻り、畑道具を片付けて終礼をする。仕事の報告や、明日のあれこれの報告。たけちゃんは明日大会に出るようで、
みんなのために頑張ります、メダル取ってきますと宣言している。メダルは無事取れたのかな。 

終礼が終わり、ひとこと感想を〜とたけちゃんより勧められ、挨拶する。
それっぽく挨拶を済まし、パウンドケーキの試食が始まる。カモミールのパウンドケーキだ。
前回作ったものより2倍量、3倍量のカモミールが入ったパウンドケーキの食べ比べ。
どちらも美味しいが、3倍量のカモミール、生クリーム添えを希望する。


味の感想が交差する。

パウンドケーキの試食会


試食会がひと段落すると、みんなそれぞれ帰っていく。それはメンバーさんも、職員もそれぞれ16時には大体帰ってしまっていた。
その後少し、世古口さんと話をする。

世古口さんはよくわからない黒白の上着に、よくわからない帽子に、よくわからない髪の長さで、楽しいと話す。


今日分かったのは、彼は長けているところと、おっちょこちょいな部分がありそこの幅が広い。だから、誰しも彼と分かる〜と身近に感じるポイントがあるんじゃないかと思った。幅が広い分、共通ポイントも増える。三休を立ち上げてしまうところはもちろんすごいけど、財布をなくしちゃうこともあって、その幅の中に必ず自分との共通点がみつかるのではないか。なんとなく自分と身近に感じやすい人なのではないか。
まぁ、そんなに何度もお会いしたわけではないので、知らんけど、でしめとこう。

世古口さんは三休でイベントやってくれたらええやん〜と言ってくれる。最近よく、イベントやってよ〜と言われがちなのだが、別にイベントがしたいわけではない。どちらかといえば日常派だ。日常派ってなんだろ。いま作った言葉です。
三休でイベントをするなら、私は三休の日常を知りたいと思うし、日常にいたいと思う。そこから出てくるものをイベントにつなげたい。ただ単発でイベントをするのももちろん楽しいとは思うのだけど、なんだかさみしいように思う。日常からずっとつながっていたいよ。日常から三休のこと知っていたいよ。そう思う。イベントは決して日常になれない。私は日常にこそいたいと思う。そこから考え合いたいと思う。
イベントやって〜にうまく答えられなかったのはきっとこんな感じに思っていたからだろう。

私と話している間も他のスタッフ同士で畑の話し合いが行われていた。三休は楽しいですか?と彼らに聞いてみる。自由で、のびのびと楽しい、毎日違って、わくわく楽しい。
彼らの顔がはっきりと明るく私の目に映る。
私はうまく笑えていただろうか。


お子さんのお迎えがあるスタッフは早々と帰っていった。用事がある時は早めに帰れたりもするよ〜と三休アピールをして帰っていく。
彼の生活の延長線上に仕事があるようだった。どっちが大事とかそういうことじゃなくって、どっちの時間も大事に、うまく線になっているように感じた。
まぁ、深くは分からないけど。

三休に行くたびに話し合いが大事だよと言われる。私もそう思う。ほんとにそう思う。結局、話すことでしか解決できない。
話すこと、やはりそこが大事なんだよ〜って背中を押してもらうために三休にきてしまっているのかもしれない。

2024/02/09の三休


ベビーリーフをお土産にもらった。これがほんとうまい。万願寺とうがらしもうまかった。野菜が美味しいっていいなって、三休で思えたよ。サンキュー。

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