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「ステイ・ホーム」しようにも家がない。祝・全米図書賞受賞◇柳美里「JR上野駅公園口」を読む。(河出文庫 2017年)

著者の柳美里は正直だ。平明な言葉で淡々と事実を積み重ね、そこに本当に生きて死んだであろう人物を描き出した。

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その人物は貧しい東北の町から出稼ぎに来て、首都圏の大規模体育施設を作り1964年の東京オリンピックに貢献した。その後21歳の我が子浩一を突然亡くし、老いては妻にも先立たれた。そしてたどり着いた上野公園でホームレスとなり、通りすがりの人々の言葉を聞き、同じ毎日を過ごすホームレスたちの日常を見つめる。

ヒステリックな糾弾もセンチメンタルな感傷もない。

<整理番号 国② 上野恩賜公園管理所 更新期限 平成24年8月末日>
●いつも荷物(にもつ)の外側(そとがわ)の見(み)えるところにつけておくこと。
●この番号表(ばんごうひょう)の貸(か)し借(か)りや譲(ゆず)り渡(わた)しはできません。
●ほかの人(ひと)の荷物(にもつ)などをあずからないこと。
・・・。

住処とする「コヤ」の一つ一つに直接貼られる紙の文言だ。漢字にいちいち平仮名で読みを書き加えてあり読みにくいばかりか腹が立つ。ホームレスの人たちに対する行政の態度が窺える。

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皇室関係の行幸啓があると直ちに「コヤ」を畳んで公園から出なくてはならない。それを「山狩り」と言うそうだ。その「山狩り」を通知する張り紙には残酷なまでに詳細な指示が書き連ねてある。読むと強い圧迫感を感じる。

<下記のとおり特別清掃を実施しますので、テントと荷物を移動してください。 
 日時 平成18年11月20日(月)雨天決行
 午前8時30分までに、現在地から移動すること。
 (午前8時30分から午後1時00分までの間は公園内での移動禁止)
①東京文化会館裏の荷物、仮集積場鋼板・桜並木通り側の荷物、すり鉢山裏のテントと荷物は管理所裏フェンス前に移動してください。
②ボードワン博士像、奏楽堂、旧動物園正門、ごみ集積場、グラント将軍碑付近のテントと荷物は、西洋軒付近「お化け灯籠」前に移動してください。
③不忍池、ボート付近のテントはJR側に、荷物は以前、テントのあった側に移動してください。
 ・・・・・・・・・・・・・・・
⑥テントと荷物を片付けた後に(バッテリー、バール、単管パイプ、刃物類等)の危険物やベニヤ板等は放置しないこと。
                        上野恩賜公園管理所>

どうです、この執拗な役人文体は。最後の⑥の括弧内と本文のつながりが微妙に食い違っているところが気になって苛立つ。

ホームレスの人たちはその張り紙を立ち尽くして舐めるように読むのであろう。

行幸啓が終わり,「コヤ」のあった場所に戻ると、新たな立ち入り禁止看板があったり、花壇が置かれていて元の場所に「コヤ」を作ることもできない。東京都の意向でこの公園から出て行け、と言うことなのだ。

でもどこへ?

これらの事実の積み重ねこそが雄弁にホームレスの状況を照らし出す。

その男が後にした出身地、南相馬を襲ったその後の悲劇も胸を刺す。様々な理不尽を身に受けて男はこの世での居場所を失っていく。

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上野公園は俺にとって馴染み深い場所だ。

東京文化会館には幾度となく足を運び、海外や日本のオーケストラ公演を聞いた。大ホールでオーケストラのホルン奏者として演奏したことも度々ある。小ホールでソロのリサイタルを聞いたり室内楽や小さいオーケストラの指揮をしたり演奏したり・・。今の天皇がチェコフィルを聞きにきた時に大ホールの一緒の空間で演奏会を聞いた記憶もある。

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音大生の頃、中にある上野精養軒の食堂でチャップスイを食べているとドイツ人のホルン奏者、ヘルマン・バウマンが1人で食事をしてた。その日はティモフェイ・ドクシツェルというトランペット奏者(驚異的にうまい)のコンサートがある晩だった。話かけてホルンを学んでいることなどを話し、手帳にサインをもらった。

自分にとって憧れの舞台、晴れの舞台の象徴であった。音楽が仕事になり、オケの本番が終わるや否やネクタイだけ外して楽器を持ち黒服のまま改札を通って電車に乗ることを粋がっていた。

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<文化会館の楽屋口>

文化会館から芸大の方に歩いていく左側に「コヤ」が並んでいた。雨の日などびしょ濡れのブルーシートを見て惨めな気持ちになった。匂いもして様々な家財が「コヤ」からはみ出し、その様子をつい怖いもの見たさから見ずにはいられなかった。

この「JR上野駅公園口」の一節に、「擦れ違う時は誰もが目を背けるが、大勢の人間に見張られているのがホームレスなのだ」とある通りだ。

いつも彼等/彼女等は近くにいた。

新宿駅西口地下通路に今では考えられないほどの段ボールハウスが並んでいた。都庁に続く地下通路にもたくさんの段ボールハウスがあった。ある日、そのホームレスたちが一掃されて、座ることもできない「オブジェ」が立ち並んだのも大分昔の話になった。

そこにいた人たちはそこにはいなくなった。ではどこに行ったのだろう。少し気になったがそれっきりだった。

自宅から暫く行くと多摩川の河川敷に出ることができる。大水が出ると橋の下などに居を構えていたホームレスの人が流される。

「ステイホーム」と言葉による身体拘束(スピーチロック)を多くの人が受けている今、彼女等/彼等にはいるべき家がない。じっとどこかの片隅で息を殺すばかりなのだろう。

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目立たない場所に彰義隊の犠牲者を偲ぶ石碑がある。そしてその石碑の前の目立つところに着流しで犬を連れた西郷隆盛像がある。幕末期、上野戦争で自ら指揮し殲滅した彰義隊士たちの慰霊碑を背に武装解除された、ある意味屈辱的な服装の西郷隆盛が遠くを見つめている。

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上野公園は政治と歴史の場所でもある。

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<作中のシゲちゃんが説明してくれた上野の大仏。何度も災害などにより破壊されたが顔面のみが残りレリーフになっている。>

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<特別清掃の通知にある「お化け灯籠」がこれだ。本当に巨大だ。周りの塀の高さと比較してもらいたい>

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<猪苗代出身の偉大な科学者・医師、野口英世の像もある>

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<コルビジェの国立西洋美術館。ロダンの「考える人」がある「地獄の門」。何故か意味を感じてしまう>

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