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選ばれる国ニッポンの幻想は心地いいけれど

一番「内向き」なのは誰?

初めて「内向き」という言葉を聞いたのは、2015年だったと思う。

アメリカでの生活も3年目となった頃、同じ大学の公共政策大学院に内閣府からの留学(官僚の研修留学)で来ていた別の日本人女性に、「あんまり留学したい人が、いなくって」と言われた時のことだった。

「どう」留学に来てるか。私費か、企業の社費留学か、国費か、あるいは財団の奨学生か(フルブライトみたいな)というのは度々話題に上がるものだった。日本で、「日本人同士だから」という理由で人が仲が良くなるなんてことはないが、海外では日本人であるということが人を結びつける理由の一つであり(なんとなくの親近感を含め)、そこでは、どういう経緯で留学に?というのがまた一つの共通の話題だからである。

「(官僚として留学に来るのは)そんなに難しくないんですよ、もちろん審査はあるけど、留学に行きたいっていう人の数自体が今は少なくて」といった彼女に、え??そうなんですか??どうして???と、思わず聞き返した私に返ってきた答えが、それだった。 


──ほら、若者が内向きだって、いうじゃないですか。


彼女の隣で財務省からの留学生が、うんうん、とうなづいた。 

まじぃぃぃぃ。留学したくて重ねた相当の年月の果てにやっとそこにいたタイプの人間だった私は驚愕し、お金を出してくれるっていうならアフリカでもスウェーデンでも南米でもどこでも行くけど、と目を白黒させた。

その、わりと強く記憶に残る「内向き」という言葉を手がかりに、その何年も後に、私は一つの検索を行った。日本人留学生の推移である。このnoteを書くためだった。

“内向き”なニッポン

内向きって言葉は書く側に立ってみると、なんかすごく便利に思えた。狭窄なマインド、現状に満足しているからこその、外の世界への好奇心や冒険心の低さ。そんなものを三文字で表象してくれるかのように思えるその単語だったが、私は「若者が」ではなく、むしろ社会の主骨子として形成するミドル層の大人のほうこそが内向きなんじゃないか、と思うようになった。この数日。

一例が、飲酒喫煙問題で体操女子の五輪出場権を返上した選手へ向けられる世論である。自体を申し出た宮田選手個人に対して、その判断が正しいのか誤りなのかどうなのか──“可哀想すぎる”or “当然でしょう”に満ちた世論はなんとも視座が低いというか、内向きさを感じさせるものだった。 

物事には常にミクロとマクロの側面があれど、その個人の判断が戦局にどう影響を及ぼすか、ひいては日本の体操史に、五輪史にというマクロ的な議論はそっちのけ。

五輪とは、ビール片手の4年に1度の夏の風物詩でしかなく、飲酒、喫煙くらいに己とリレータブルなトピックでしか、もはや意見を言えない大人だらけ?

かわいそう裁判官とモラルポリスのひしめく日本国内の論争は、15歳の少女ワリエワ越しに繰り広げられた北京五輪でのロシアとアメリカの価値観争い(当然その価値観争いは、長く続くフィギュアスケートの主権争いの代理性を持つ)との対比からあまりに遠く、嘆息した勢いで上記note「五輪辞退に寄せて。平和な国のモラルポリスと人権擁護論争は今日も続く」を書いたわずか2日後、私はまたもや絶句する記事を見かけてしまった……。

「 選ばれる国」という幻想の中にいるニッポン


トランプが大統領になったら、アメリカに留学中の中国人留学生を全員追放し、その余波として、日本に中国人留学生がお・し・よ・せ・る!!!ドキ☆

という趣旨の記事である。(そんな感嘆詞は私の装飾です、もちろん)

えええええ。

えええええええええ。

仮にトランプが再選し、悪魔のごとく中国人留学生を撤退させたとして(自国の研究力や既に行き詰まりまくっている大学運営力にだって関わるのだから全員追放はあり得ないと思うが)、留学生の流れ込む先は、イギリスであり、カナダである。最低限教養としての英語を体得させたい中国富裕層の親が、その代替先として日本に子供を送るわけがないのに。

アメリカの大学で、アジア人留学生の顔と言えるソーシャルグループは紛れもなく中国人である(日本人が「点在」レベルなのに対し、中国からの留学生は、明確なグループと言えるボリュームを成す)。

そのなかのもっとも優秀層が行くのがハーバード・イエールというアイビーリーグの大学群であり、そんなことないけどお金だけはある富裕層の子女は、もう少し一般的な大学に資金力を武器に行く。

その二層化の間で、前者はアイビーリーグがダメになったらイギリスのオックスブリッジ、近隣カナダのマギル・トロント大あたりに目を向け、後者はアメリカ以外の英語圏の進学可能な大学に切り替えるだけで、彼らが「旅行以外で」日本に流れて来るわけがない。

なぜか?彼らが欲しいのは、英語力と国際的なブランド、箔だからである。

東大は話は別だが、国際社会で生きるメリットとして、日本に長期留学して、何が身につくの?

中国富裕層の保護者は当たり前にそう思う。

旅先として、うまい飯、高い治安、そして何より「やすい」(それがお手軽に手に入る)という理由で消費されることと、学位を志す先として選ばれる国は、根本的に違う

そのことを、現代ビジネスはまったく分かっていない。

「選ばれる国」であるという自惚れ。
「選ばれる国の幻想」のなかに生きる、愚かさ。

私が現代ビジネスの記事を読んで反射的に思ったことを、まともにバックアップしてくれる統計があった。

「世界最大の160万人、中国人留学生はどこへ?」というタイトルで、加藤 勇樹氏が2020年に書いた調査記事である。この図は、その記事内にある中国人留学生の希望留学先。

同氏は述べる。

長年アメリカの大学の国際的な評価の高さや中国国内での英語教育の重要性、さらに将来的な永住権の習得を考慮したうえで、アメリカを一番の留学目標とする中国人留学生が強かったが、政権による不安により留学先としてのアメリカが揺らぎ出し、イギリスが台頭、もはやアメリカを抜き去っている。アメリカに迫りにいく存在としては、オーストラリア、カナダ──と、当然の如く「英語圏の大学」が上位を独占する。ラフな読み取りの足し算で、その上位で中国人留学希望の87%ほどを占めているのではないか。日本は?と見ると、EU諸国・香港に次いで、ようやく登場。その志望率、全体(中国人留学生)の母数に対して3〜4%くらい?

 ちなみに、週刊現代・現代ビジネスの記事では、

「すでに少なくない中国人留学生がアメリカから『脱出』を始めています。就職難が続く母国に戻るという選択はせず、別の国の大学を選ぶ中国人がほとんどですが、その際の第1候補となるのが日本です。

現代ビジネス

第1位? 第2位のアメリカを抜いたとして、1位のイギリス、3位のオーストラリア、4位のカナダ、続くEU・香港をごぼう抜きにして、6位のニッポンが、突如一位?!?!?!

というのも、日本は岸田文雄首相が『留学生は国の宝』と宣言するほど受け入れに積極的で、欧米に比べ留学費用が安いうえビザも取りやすい。実際、日本の中国人留学生の数は、昨年度の時点で約11万5000人にのぼります」

現代ビジネス

と同記事は仰るのだが、大学教育のごく初歩で、「絶対値」の単独の数字(11万5000人)は何かを論じる根拠にはならないと教わらなかったのだろうか。

(たとえば男性の身長168センチは180センチと比較しなければ低いとは言えず、168センチを以ってあるいは中肉中背であると言いたければ体重を併記しなければ成立せず、一つの数字単体では何かを論じる根拠にならない、比較が成立しないから)

そう、「だって、日本の中国人留学生の数は11万人もいるんだからサ!!!!」と現代ビジネスが根拠とする数字は、イギリスに中国人留学生が何人いるのか、オーストラリアには、カナダにはと横比較をしなければそれが「多い」のか、むしろ「少なめ」なのか語ることもできない数字の断片であるのだが。


私は、こういうナラティブを妄信的に流布できてしまう「大人」が、内向きな若者を育てているのだと思う。


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