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五輪辞退に寄せて。平和な国のモラルポリスと人権擁護論争は今日も続く

“体操女子 日本代表エース宮田笙子選手(19)が飲酒喫煙の内部告発で、1週間後に迫った五輪を辞退──”

的なニュースのヘッドラインとともに、それは厳しすぎるとか当然だとか様々意見がひっきりなしにyahoo!ニュースのトップを埋め尽くすここ数日、なんとまあ日本とは内向きで平和な国かと思ってしまった。

「若い選手のささやかな愚行による悲劇」というのは政治家と裏金よりもその図式上の因果がわかりやすいせいか(喫煙・飲酒→オリンピックに出られない!)、宮田選手一個人の人生においてその判断のもたらす影響が厳しすぎる or 当然のことだという双方の議論が津波のようにうねりあっているが、その選手の「自主的な判断」による戦略上の影響や競技成績の見通しまで入った言葉は、その津波の量に対してほんのわずか。そんなまともな議論はツイッターには字数過多なのか。あ?思考過多なのか。

Numberによれば代替登録選手に切り替えられる期間は過ぎており、今回は病気でも事故でもないため、日本は単純に五輪の舞台に派遣できる選手を一名失ったということになるという。

切れるカードが減った上で同じ以上の結果を残すことは難しく、まあ、「責任を取って自粛」しようとする行為が、実は一番無責任、というやつ?

かわいそう裁判官と、モラルポリスの対比でふと脳裏に浮かんだのが、2年前の冬季五輪。フィギュアスケートの絶対的な金メダル候補だったロシアの15歳のカミラ・ワリエワ選手が団体戦の金メダル獲得に大きく貢献した直後、これぞ本命という個人戦の前にドーピング検査で陽性になった時のことだった。

検出された禁止成分は、トリメタジシン。狭心症の薬だが、フィギュアスケートの競技の側面からいえば、血流を促進し持久力を高めることで演技後半のスタミナ持続などに効果があるという。

人権裁判官 vs フェアネス追求論者

15歳が自分でドーピングをするわけ(できるわけ)がないから、大人の指示だろう。組織的な行為か、コーチの責任は?そんな至極当たり前の意見が飛び交うなか、トリッキーなのは当時16歳にすら達していないワリエワの年齢とそれが孕む未成年者の人権問題だった。検体はバイオレーションを示すが、それを踏まえての『包括的な事態の究明』には時間がかかるため、その確定を待たずして、4年に1度の機会を15歳から奪うことは、取り返しのつかない傷を負わせることになるのではないかという見方がIOC(国際オリンピック委員会)から上がったのである。

ロシアは、「心臓病の祖父のコップを使って水を飲んだ(ことがきっと原因だわ!)」と本人に弁明させ、CAS(スポーツ仲裁裁判所)はこの機会を奪うことが彼女に残す禍根の量は計り知れないという御沙汰を出したため、ワリエワは、なんと例外的に演技自体は許可される(もちろん世界中の敵意を背負って)という過酷な運命に晒された。
 
ただし彼女が3位以内に入賞した場合、五輪期間中にメダルセレモニーは行わず、結果が確定するまで五輪の順位は保留という、どう考えてもその他全出場選手の怒りを招く条件付きで。

アメリカのスポーツ局NBCの実況中継で、ジョニー・ウィアーは解説を拒否。

“今のがカミラ・ワリエワの演技だった。それ以上言えることはない“と言い、隣に座る長野五輪の金メダリスト・タラリピンスキーも、出すべきではなかったと言った。

カナダだかイギリスだの新聞は、なんと残酷なことをするのだろう?なぜIOCは彼女に出場を許可したのか?スポーツの精神と五輪を冒涜したとして世界の憎悪を向けられる彼女は、もはやドーピング違反以上のものを背負わされてしまった。彼女はまだたった15歳なのに──と嘆息した。

それでも出したい「国」の思惑と被保護者性が引き起こす不思議な矛盾

そう、幼すぎる彼女はアスリートである前に保護対象であり、成人と同じ処分が下されるべきではないという意見(人権裁判官)と、何言ってんだよ『選手』として出場してるのにこんな時だけ子供扱い希望なんてダブスタもいい加減にしろ、それなら責任逃れが可能な未成年選手だけを代表選手にして薬漬けで競技させればいいってなるだろ、前提と余波を考えろというフェアネス追求論者が世界中のマスメディアとソーシャルメディアで騒ぐ間に数日間の熟考を重ねた当局が保護対象者ワリエワに与えたものは、『保護』からもっとも遠いもの。

「大人」って間違ったことを平気でするんだなぁ──ととっくに大人になった私はおもわず思ったのだが、日本のメディアでコメントを求められた安藤美姫さんが、“本人も出てはいけないことはわかっていると思う……”と言いづらそうにコメントし、そうか。出てはいけないという世界共通のアスリートの常識と、「ナメたこと言ってんじゃねえ、なんのためにそこにいるんだ」のロシア的感覚の間で引き裂かれ、しかし出ない方が選手生命が絶たれるから出て演技をするしか道がないのか──などと逡巡した記憶。

結果から言えば、普通の精神状態でいられるわけのないワリエワはジャンプミスを繰り返し、4位に終わった。悲痛な面持ちで演技を終え、キスアンドクライで得点が読み上げられた瞬間についに泣き崩れたワリエワに、鉄の女の異名をとるエテリコーチは、なんと途中で諦めたでしょう?なぜ諦めたの?」と檄を飛ばし……よく頑張ったね、ではなく.. .. ..おそロシア。

まあ、ザッツ・ロシア。

国の威信がかかった場所で、自主退場などあり得ない。僅かでも戦う余地が残っていれば、戦う。

 
一方日本は?
 
日本人代表として、五輪を聖なるものとして、五輪の舞台に立つ「資格がない」的な感覚、つまりディグニティを重んじてというより、「社会人としてどうなの」「プロとしてどうなの」的なけつの穴のちーさいちーさい議論で、地面1cmくらいの視座によるモラルポリスの言論がスプレーのように振りかけられ、自国メディアにぶっ叩かれるのを恐れ?なんと自ら出場辞退を選んだ宮田選手。
 
 
ワーーーーォ。
 
 
メダル争いをする国からしたら、もうサンキュー案件ですよね。

 
というか、このすごく小市民的な議論を、海外の友達に「ナンデ?」って聞かれたら、なんて答えらればいいんだろうな、と考えあぐねる。事象の裏にある考え方や行動の意味を説明するというのは結構難しい。
 

うーん。協会の定めた行動憲章と、日本の法律に反するでしょ?ジャパニーズスピリットに反するの。だから、ハラキリなのよ。こんなけしからん私がオリンピックに出たら、五輪を汚してしまうの。そう思ってるから辞退するんだよ。
 
……とは言えない。倫理感の高い日本人の精神がゆえに辞退したと言えたら説明が楽だけど。うーん、最近の日本人って、なんか少々グレー味あってもいいから莫大な夢見せてよみたいなものにワクワクするんじゃなくて、一億相互に叩き合ってみんなで低いとこに並んでる、隙あらばモグラ叩き合う精神が最近蔓延してて、ついにはこうなっちゃったの!!!ああ、こちらも英語にするのは楽ではない。
 
 
五輪やワールドカップが面白いのは、一つのスポーツを通して交錯する国の考え方、背負っているもの、カルチャーが、人柄と同じように透けて見えるから。
 
 
今回のことが、仮にロシアであったら「辞退する」なんてことには……なるわけがない。それで今さら戦力ダウンになる方が問題だから。

だったら優勝してこい、的な。
 
 
まあ、ロシアなら、トレーニングセンター内で飲酒できる環境に選手は置かれなかったであろうけれど。


ワリエワのドーピング問題の前回五輪の同種目の覇者ザギトワ(同じくロシア選手にしてエテリコーチの門下生)は、体重管理があまりに重要な競技であるため、夜はフルーツも食べてはいけない。お茶だけ、とインタビューに語った。


成長期の子供の食事を過度に制限し、幼児体型を極限まで保たせる上に過酷な鍛錬でアクロバティックな技を身につけさせ身体が耐えられるわずか数年間の期間限定で他を寄せ付けない競技点を叩き出し、エテリ王国(ロシア帝国)の“プレイヤー(⛸)”はベルトコンベア上で次から次へと変わり続けるというやり方に問題がないとは思わないが(というかエテリのフィギュアスケーター育成法は児童虐待だと思っているが)、


どっちにしても、同じ「オリンピック」の話をしている気はしない。



まあ、ロシア人は、今は五輪に参加することはできないのだけれど。


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