マガゞン䞀芧

【コラム】瀟䌚批評👁

ニュヌスに思うこずなどのコラム。

オスカヌの栄光か、それずも倫理違反か──『Black Box Diaries』の二重構造はこう起きた

䌊藀詩織監督・制䜜のドキュメンタリヌ映画『Black Box Diaries』は、圌女が自分自身の加害者を盞手取った民事裁刀で勝蚎するたでの闘いず、その過皋で圌女が盎面する日本における法制床や瀟䌚の数々の障害を描いおいたもので、サンダンスでのワヌルドプレミアから本䜜は囜際的に高く評䟡され、18以䞊の暩嚁あるドキュメンタリヌ賞を受賞。30カ囜以䞊での配絊も決定し、第97回米アカデミヌ賞にもノミネヌトされた。これは、日本のドキュメンタリヌ䜜品ずしお史䞊初の快挙である。 しかし、

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【2】日本には瀟䌚運動の批評家・評論家はいないのだなず思った日

からの続き  ã‚¢ãƒ³ã‚µãƒŒèš€è«–がない日本の䞍思議 そう、日本は批評ずゞャヌナリズムが薄い。数幎間、挠然ず日に日に濃くしおきたその気持ちを䞀段ず濃くしたのが、ある眲名運動事件だった。 皇族が東倧の掚薊入詊を利甚し、将来の倩皇ずしお「特別扱い」で入孊するこずを反察する眲名である。 2024幎の8月に始たったその眲名は、8を超えるメディアプレゞデントオンラむン、文春、新朮、Abema Prime、TBS、女性週刊誌等に取り䞊げられたため、広く知られるこずずなった。しかし

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【1】戊埌日本は経枈倧囜になったけれど、蚀論やゞャヌナリズムがそんなずこにいたこずはない

憂鬱、たたに絶望 ここ2幎くらい、もうずっず考えおいるこずがある。日本にたずもな評論家はいないんじゃないだろうかいおも絶滅危惧皮なんじゃないか、ずいうこずだ。先月亡くなった文芞評論家の犏田和也氏は、20幎前の著曞で、「小説は死んでいないかもしれないけど、日本の批評はもう死んでいる」ず蚀った。その玄20幎埌、故犏田氏の『䜜家の倀打ち』のオマヌゞュ『䜜家の倀打ち 什和の超ブックガむド』を曞いた小川抮倪郎氏は、日本の文壇は小説家ず批評家の内茪の銎れ合いで䞖の䞭には批評のふりを

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遞ばれる囜ニッポンの幻想は心地いいけれど

䞀番「内向き」なのは誰初めお「内向き」ずいう蚀葉を聞いたのは、2015幎だったず思う。 アメリカでの生掻も3幎目ずなった頃、同じ倧孊の公共政策倧孊院に内閣府からの留孊官僚の研修留孊で来おいた別の日本人女性に、「あんたり留孊したい人が、いなくっお」ず蚀われた時のこずだった。 「どう」留孊に来おるか。私費か、䌁業の瀟費留孊か、囜費か、あるいは財団の奚孊生かフルブラむトみたいなずいうのは床々話題に䞊がるものだった。日本で、「日本人同士だから」ずいう理由で人が仲が良くな

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【コラム】皇宀りォッチ郚

平成の間皇宀にたるで興味のなかった30代女性が勉匷しながら曞く皇宀りォッチコラム。矎智子さた䞖代の皇宀ラむタヌ皇宀評論家さんが撒き散らす蚘事に蟟易しおはじめたした。

誰が皇宀報道を殺すのか

2025幎に向けお 前回noteたでで、2025幎の目暙はnoteだから曞けるこずず、メディアに茉せおこそ意味が最倧化されるこずを曞き分けおいくこず──ず曞いた。 たあでも、あれほど皀有なこずはあれずは雅子さたが授䞎された名誉博士号の話である、たずえ半幎埌の今だっお、その䟡倀がそこたで衰えないず思うの。什和の皇宀倖亀にフォヌカスする䌁画なんおそれがい぀だっお成立させられるず思うし。でも、なかには本圓にタむミングセンシティブなものもあっお。 そう、この半幎で䞀番、「こ

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【‘24振返り埌線】぀いでにろくな解説未だなしの雅子さたぞの名誉博士号の話党郚曞きたす

思想の䟡倀か、情報の䟡倀か noteを曞き始めお半幎が経った。最初はこれから䜕を曞いおいこうかなのテヌマ探しを兌ねお、自分に曞けるこずのショヌケヌスになればくらいの気持ちで始めたnoteだったけど、皇宀コラムが圧倒的に読たれおいるので、それは现く長くでも続けおいこうず思っおいる。 そんなわけで皇宀コラムでの今の圓面のゎヌルは、個人のnoteだからできる衚珟ず、メディアに茉せおこそ意味が最倧化される文章を曞き分けおいく事ずなったメディアに茉せる事だけを考えたら曞けない蚀葉

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【’24振返り前線】぀いでにあの篠原倫劻は皇宀ネタでおいくら皌ぐか詊算しおみた。

noteを立ち䞊げお半幎が経った。始めた理由は諞事情あるが、2024幎の6月に沌すぎた原皿を手攟し、濃淡あれど通算5幎くらいずっず䞀぀のこずを考え続けおきた反動なのか新しい䞀぀の原皿にじっくり取り組もうず思っおも尻が萜ち着かず、昚日はこれ、午前はこれ、倕方はこれずぜこぜこ湧いおくる欲求の前に心があちこちに分散しおいく自分を感じ、だったら思い切っお衝動が収たるたで小さくちぎったさたざたを曞き尜くしおみようず思ったこずだった。 皇宀関係の文章をメむンで曞いおいく぀もりは党然なか

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進孊先は東倧じゃなかった。私たちは悠仁さたに「謝るべき」か

12月11日、秋篠宮家の悠仁さたの倧孊進孊先が決たったず第䞀報が入った。筑波倧孊の生呜環境孊矀生物孊類孊科に孊校長の掚薊を受けお合栌が決たったずいう。   ニュヌスを聞いお倱笑したくなるような感芚を芚え぀぀、この事実に抱かれる感想など自明のこずず思いわざわざ蚘事を曞くたでもないずツむッタヌで䞀回぀ぶやくだけで枈たせおしたったのだけど、それから2週間ほどが経ち、「玀子さたは『東倧卒の倩皇』なんお望んでいなかった」「悠仁さた『東倧志望説』はフェむクニュヌスだった」ずあたりにも曞か

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倚分曞く人しか興味ない日蚘

これを曞かなきゃ死ねない があった頃から、曞くこずの海ず森のなかで曞くこずに傷぀き、少しず぀自分の「曞く」を芋぀けおいく経過録。曞くこずのメンタルゞャヌニヌ的な、私の「曞く」を芋぀けるたで

【2】日本には瀟䌚運動の批評家・評論家はいないのだなず思った日

からの続き  ã‚¢ãƒ³ã‚µãƒŒèš€è«–がない日本の䞍思議 そう、日本は批評ずゞャヌナリズムが薄い。数幎間、挠然ず日に日に濃くしおきたその気持ちを䞀段ず濃くしたのが、ある眲名運動事件だった。 皇族が東倧の掚薊入詊を利甚し、将来の倩皇ずしお「特別扱い」で入孊するこずを反察する眲名である。 2024幎の8月に始たったその眲名は、8を超えるメディアプレゞデントオンラむン、文春、新朮、Abema Prime、TBS、女性週刊誌等に取り䞊げられたため、広く知られるこずずなった。しかし

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【1】戊埌日本は経枈倧囜になったけれど、蚀論やゞャヌナリズムがそんなずこにいたこずはない

憂鬱、たたに絶望 ここ2幎くらい、もうずっず考えおいるこずがある。日本にたずもな評論家はいないんじゃないだろうかいおも絶滅危惧皮なんじゃないか、ずいうこずだ。先月亡くなった文芞評論家の犏田和也氏は、20幎前の著曞で、「小説は死んでいないかもしれないけど、日本の批評はもう死んでいる」ず蚀った。その玄20幎埌、故犏田氏の『䜜家の倀打ち』のオマヌゞュ『䜜家の倀打ち 什和の超ブックガむド』を曞いた小川抮倪郎氏は、日本の文壇は小説家ず批評家の内茪の銎れ合いで䞖の䞭には批評のふりを

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【初心衚明】noteに戻っおきた理由。メリットずデメリットの葛藀の先

䜕幎かnoteで曞くのをやめおいた。理由はいく぀かあるが、読たれないこずに耐えられなかったからだず思う。 noteっお、枋谷の亀差点みたいなものに思える。トラフィックが倚く人目に止たる可胜性も高いが、その分反応がないずきは、それは無䟡倀であるず蚀われおいるような気持ちになるこずから逃れられない。 「誰もが創䜜をはじめ、続けられるように」ず謳うnoteの様匏は、その可胜性を加速させる぀くりに芋えお、実は衚珟しようずする心の源泉を殺すような仕様でもある。 なぜなら、䜕を曞い

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【文孊・ドラマ考察】おしゃべり評論郚

心に残ったもの・匕っかかったものの玹介や解説をしたす。おしゃべり感を倧切にしたい、感想ず批評の間。雑談なんが。

『あんのこず』は『誰も知らない』に䞊ぶ毒芪育ちを描く名䜜映画

『ナミビアの砂挠』で河合優実沌に萜ち『あんのこず』を芳たら、ぶん殎られた私の日蚘 2024幎9月、ナミビアの砂挠を倫が芋たい芋たいずいうので、映画通ぞ。いや、めっちゃよかった。河合優実の魅力ず匕力が凄たじく、この人の出おいる映画をもっず芳たいず思っお、アマプラでふず芋かけたのが、『あんのこず』。 芋終わった今、私のなかには、あんのこずの方が、ずっず倧きく残っおる。いうならば、ナミビアの砂挠は、杏がどこかで生きおいお、少し成長しお、ナミビアの砂挠のカナみたいに生きおおくれ

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Netflix『地面垫たち』が海倖でりケるワケ / ゚ンタメ評論ず海倖マヌケの亀差点

7月も終わりのうだるような真倏の日曜の昌䞋がり。リリヌスされたばかりのNetflixオリゞナルドラマ『地面垫たち』を芋た。  うヌん、カッコいい䜜品だった。日本のドラマにありがちな倱瀌ダサさの欠片もないなず感じるのは、照明にお金をかけおるからずいうおそらく業界の方のコメントを芋かけ、倧いに玍埗。ゞョヌクやシュヌルさにも重厚感が挂うのは光ず音楜ずいう映像の名手を芋事に采配しおいるからなのだろう。で、Netflixが総力で掚しおる䜜品だからかレビュヌやむンタビュヌ蚘事

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䞖界䞀静かなプロテスタヌ。垂川沙倮ほどの前衛芞術家はそういない

最埌の聖曞の意味がわからない人にハンチバックの読み方っお解釈っお3぀できる、ずいうnoteを曞いたのだけど、ここでは、解釈①の「珟代神話ずしおのハンチバック」をもう少し解説しおみる。 小説の䞖界には䞀人称の小説か「私は 」で綎られる䞉人称の小説か「陜子は」「透は」  ず小説内でも芖点が倉わる、あるいは神様芖点の小説か、ずいう技法的な甚語があり、ハンチバックを「神様芖点の小説」ず蚀ったら、「ハァ」ずめっちゃ蚂正されそうであるのだが、私はあえお「いや、ハンチバック

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【読み方3遞】語り手の謎を解けハンチバックを100味わいたい、あなたに

ハンチバック読み方3遞2〜3幎前だったか、芥川賞の遞評の抜粋を読めるサむトの存圚を知り、そこにある村䞊韍らの蚀葉があたりに面癜くお䞀晩䞭スマホをタップスクロヌルし続け、朝たでかけお過去20幎分くらい読んでしたったこずがあった短文ながらもそのレベルの䜜家の蚀葉は䞉十行の蚀葉より味わいがあったりする。 しかし小説ずいうのはなかなか心の䜙裕がないず読めないもので、遞評を読んでも本䜓䜜品を読むこずはあたりなく、肝心の䜜品の方は、たたに本屋の平台で芋かける皋床。そんな私が久

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