整った正六角形にはない、不完全なものに対する愛おしさ
学期の終わりに、学校から渡される通知表。
受験生でつきつけられる模試合格判定。
社会人になってからは人事評価。
人生の要所要所で、わたしたちは「成績表」を渡される。
成績表をつきつけられた時、多くの人は
「自分はここができていない」
そんな風に感じるのではないでしょうか?
そもそも、自分が得意なことや好きなことというのは
自分自身がそうであることを十分理解しているし、なんなら周りの人たちからの評価も高いことが多いはず。
それに比べて、「できていないこと」は苦手だったり、過去に何とかしようとしたけど失敗に終わっていたりして、直視したくないものになっていないでしょうか。
特に、生活の中で何かと”平均”と比較されてしまうわたしたちは
平均よりできていないことが悪いことである、と
無意識のうちに刷り込まれてしまっているように思います。
・・・でも、果たしてこれは真実なのでしょうか?
「できていないこと」はあなたから取り除くべき要素?
先日、今所属しているコミュニティで、各メンバーの人生を振り返るというワークをやりました。
そこで見えてきたのは、メンバーの人間性。
その人が普段どんなことを考えているのか?
どんなことに対してこころが動いて、どんなことに情熱を燃やすのか。
興味があること、逆に興味がないこと。
そういうことを一つ一つ共有してもらえたのですが、
不思議だったのは、その人自身が
「これが出来ません」「自分にはこれが足りません」と仰っているようなところが、わたしにとっては魅力的にうつる箇所があったこと。
もちろん、スキルの話なのであればその人自身が目指す(理想とする)レベルに達していないものは「できていない」という評価になってしまうわけですが、そういう習熟度合い的な話ではなく、もっと人間味の部分に関してです。
この事実を踏まえて今わたしが感じることは、
ある基準に照らし合わせて作られた成績表というのは、必ずしもあなたという人間の良さを正確に表してはいない
ということ。
こと情報発信においては、全てのスキルセットが平均値に近い形になった正六角形よりも、ツンツンにとんがった爆発雲みたいな形の方が断然惹かれる要素が強いと思います。
・・・だって、
なんでもできるし、特に苦手なものはないし、毎日問題なく幸せに暮らしています。
って人の話、興味あります?
どうせなら、
爬虫類が好きすぎて、大人になったら好きなだけ爬虫類をペットにしようと思ってました!で、ペットショップで気に入った種類の爬虫類を家で飼いだしたら、なんか相性悪かったみたいで、朝起きたら共食いして全部死んでましたー!泣けるー!
・・・みたいな人の話の方が聞きたくないですか?
いや爬虫類好きって言ってたのに生態調べてないんかいって。
泣けるーて言ってるけど実際は笑ってるやろそれ、って。
まぁこの話ただの思いつきなので説得力がどこまであるかは疑問ですが、雰囲気は感じ取って頂けましたでしょうか。
できないところを無理に隠さなくていい。自分を認めて。
つまりね、何が言いたいかと申しますと、あなたが短所と考えているあなたの特徴も、あなたを構成する大事な一部分だということです。
一流の営業マンになりたいのに、人見知りだっていうのならそれは絶望的なスタートですね、って感じですが
個人がSNSやブログで情報発信するのが当たり前になってきている現代では「人見知りだった僕が3年かけて営業トップに登りつめた話」なんていうストーリーが生まれたりして、その発信を見ている誰かに希望を届けられたりするわけです。
苦手なこと、人よりできないこと、こんな自分は嫌だって思い続けてきたこと。
成績表社会で「悪」とされてきたそのペッタンコの部分こそ、
あなたの最大の武器です。
「はなから簡単にできる人」には絶対に真似できない、『共感』というエネルギーを集めるべくどんどんさらけ出しちゃいましょう!
記事だけでなく、こんなところまで目を通して頂いてありがとうございます^^ 普段は肝っ玉母さんを演じていますが、こんなわたしをサポートして頂ける方の前ではごろにゃん甘えたい欲望が抑えきれません(:Д:) 何よりも、応援したいと思ってくださったそのお気持ちに感謝いたします