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『英語ヒエラルキー――グローバル人材教育を受けた学生はなぜ不安なのか』


書影

『英語ヒエラルキー
グローバル人材教育を受けた学生はなぜ不安なのか』
著:佐々木テレサ、福島青史
光文社新書、2024

要素Ⅰ:語学力・コミュニケーション能力
要素Ⅱ:主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感
要素Ⅲ:異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティー

首相官邸「グローバル人材育成戦略」(グローバル人材育成推進会議 審議まとめ)2012

 上記はこの一冊の中で繰り返し引用される「グローバル人材の要素」である。こうした人材を育成するため、日本国内にある大学に次々と生まれたのがEMI(English Medium Instruction)を行う学部で、要するに英語で授業を受ける。 
 著者の1人佐々木テレサさんはEMI実施学部の一つである早稲田大学国際教養学部でほとんどの授業を英語で受け、1年間の海外留学も経て卒業している。本書のベースは彼女が大学院の修士論文として書いたもので、学部時代の友人4人を対象にしたインタビューでそれぞれの経験を浮き彫りにしている。4人のうち1人は9歳から15歳までアメリカに住み現地校に通った帰国子女だが、残りの3人と佐々木さんは国内育ちで、「純ジャパ」と名乗っている。
 ところで日本の帰国子女も含め「発達段階のかなりの年数を両親の属する文化圏の外で過ごした子ども」を指すTCK(Third Culture Kids)という用語を提唱した1人ルース=ヴァン・リーケンは最近、TCKを拡張してCCK(Cross-Cultural Kids)という概念に注目している。こちらの暫定的な定義は「長期間にわたり二つ以上の文化圏に深い関わりを持って生きている人」である。この中には通学する学校の文化が毎晩帰る家庭の文化と異なる「教育CCK」という人々も含まれている。

 各地のインターナショナルスクールに通うホスト国の子どもたちも、地元の友達と疎遠になったり親も含めた身近な人たちとの間で文化的な差異が生まれたりという意味でCCKと呼べるかもしれません。

海外子女教育振興財団『海外子女教育』2021年6月号、「TCKからCCKへ」
(古家によるヴァン・リーケンへの特別インタビュー)

 この書評では「自己肯定感」と「CCK」の2つをキーワードに読み解いていきたい。
 第1のキーワードは「自己肯定感」である。本書の中でインタビューを受けている純ジャパの学生3人も著者の佐々木さん自身も、EMI実施学部を目指すぐらいだから、英語力には相当の自信を持って入学してくる。彼らは高校時代をふり返って「クラスで一番英語ができる」「無双していた」「無敵だった」などと語る。彼らは英語力を拠り所に自己肯定感を築いていた。
 しかしいざEMI実施学部に入ると、「全然英語が聞き取れない」「授業についていけているのかも分かんない」「私以外全員帰国子女。地獄で」と、自分たちの英語力の足りなさに愕然とし、帰国子女の同級生たちに恐怖さえ覚える。彼らのうちの1人によれば、帰国子女たちは「陽キャ(『陽気なキャラクター』の略。性格が明るく、人づきあいが得意で活発な人の意)とパリピ(『パーリーピーポー(パーティー・ピープル)』の略。人が多く集まる場所に行って皆で盛り上がることを好む人の意)の集団」に見えたそうだ(語注は本文どおり)。
 とくにアメリカに代表されるような「褒めて伸ばす」教育を受け、かつ自己主張を是とする社会をサバイブしてきた帰国子女たちが身につけた強い自己肯定感が「陽キャとパリピ」の印象を与えたのだろうと思えるが、佐々木らのような純ジャパがEMI実施学部で学ぶと、自己肯定感を崩され、さまざまな不安と劣等感を抱いて社会に出るのだそうだ。
 さらに、大学を出ると彼らは日本語力の不足にも悩まされるようになる。会社員として上司から「ここの表現おかしい」と「1週間に1回ぐらい言われる」と語る人もいるし、「日本語出てこなくていつも詰まる」「文意が汲み取れない」と言う人々もいる。
 それだけではない。EMI実施学部は「自由」であったし、他人に干渉しない慣習があったし、YES/NOをはっきりと言える環境であった。また海外留学という異文化の中で自身がマイノリティとなる経験を通して日本の常識への批判的な見方を培ってもいたから、彼らの価値観や多様性への柔軟な姿勢も「普通の日本人」とは違うものになっている。「私はすごく、みんなと同じことをしてるのが、つまらないって思っちゃうのね。けど、それをあんまり共感してくれる人がいなくて」「変わってる、浮いてる、みたいなことを言われた」「何かそういう根本的な文化ギャップというか価値観みたいな、なんかちょっと日本の一般とずれている」……。日本社会の同調圧力の中で「暗黙のルール」を学び直し「目立たないように」心がけていてさえも、「変な人」と否定的なまなざしを浴びてしまい、さらに疎外感、孤立感を強めている。

 第2のキーワードは「CCK」である。端的に言ってEMI実施学部は日本国内において人工的にCCKをつくり出す機能を果たしているのだと思った。佐々木さんらをCCKと呼ぶことを本人たちがどう思うかはわからないが、大学の中では言語も文化も家庭や一般社会と異なり、通学するたびに異文化の間を越境して暮らしているようなものだから、彼らが「多文化の狭間にいる葛藤」を覚えるのも当然だ。帰国子女もCCKの部分集合なので、彼らと帰国子女との間にはさまざまな共通点がある。
 一例として外国語についての自己評価の低さについては、英語圏で長く現地校に通った帰国子女でも「英語には自信があります」と自己申告する人はほとんどいない。英語ができる人ほど、英語を母語とする人の英語力と比べて自分を低く見てしまいがちだ。
 日本語に不安を持つ人には、ある帰国子女が高校生のときに言ったことばを伝えたい。「私、日本語が7で英語は4ぐらい、それにスペイン語が3程度かな? でも、全部足せば14でしょ? 日本語が10の人より多いよ」。これは語学に限らずさまざまな状況で応用できる金言だろう。
 さらに日本社会の持つ価値観や同化圧力への違和感も、共通だ。自分が周囲から「浮いている」とか「違う人と見られている」とかから生じる不安(ときには疎外感や孤立感)は、日本の帰国子女ばかりでなく全世界のCCKの共感を得られることだろう。まさに本書の冒頭に記されているとおり、「私一人の問題じゃなかったんだ」ということである。

 ついでに、いかに「グローバル人材」という社会の要求がねじれているか、という問題について。かつて1980年代に「国際人の育成」が叫ばれたことがあったが、その後の40年で何も進歩していないように思える。日本社会が長年にわたってこじらせてきた英語コンプレックスの裏返しなのか、グローバル人材であるための第1の要素の筆頭に挙げられているのが「語学力」である。しかもそこでは英語以外の外国語はまったく考慮されていないように思える。実際、佐々木さんがインタビューした学生たちが就職後に直面したのは「会社では英語以外のグローバル人材の能力は求められていない」「考えが柔軟でとか、全然そういうのを求めてなくて」という実態である。一方で彼ら自身が身につけたと自覚しているグローバル人材としての要素は「柔軟な考えと多角的な視点」なのだが、それを持っていること自体が「普通の日本人」からの逸脱と見られてしまっている。
 グローバル人材の要素の中に「日本人としてのアイデンティティー」が含まれていることはなおさら不可解だ。本書に登場する帰国子女も喝破している。「外の人(外国人)が(日本に)行きたいって言ったときに、その人もグローバル人材じゃんっていうことだよね」。
 そもそも、こうした「グローバル人材」を育てたいという要請は、本書にも「2009年、経済産業省は、『(前略)グローバル人材育成委員会』を組織」、「翌2010年、文部科学省は『(前略)グローバル人材育成推進会議』を設置」と書かれているように、産業界から出てきたものである。そしてこれが「戦略」として首相官邸から発信されているように、国策として採用されている。佐々木さんら若い学生たちは、これにふり回されているようで不憫だ。この一冊は、「グローバル人材」という外部からの要請と「CCK」という自己の存在の在り方との狭間で苦しむ彼らの「どうにかしてくれ!」という叫びのようにも読める。本来、人は国や企業のために生きるのではないだろう。逆に人がそれぞれ自分らしく輝いて生きられるようにすることで国が栄えるのではないだろうか。

 最後に、佐々木さんも含めこの一冊に登場する若者たちにエールを送りたい。本書のもう1人の著者、福島青史さんは佐々木さんの修士論文を指導した教官である。彼は佐々木さんたちが抱える不安の根源を「複数言語使用者となる成長の過程で、どこの文化社会でも適応できる、カメレオンのような大人に変身(メタモルフォーゼ)してしまった」と指摘している。そしてそれは「複数言語使用者には必須の通過点」だと言う。この「カメレオン」という比喩は昔から日本の帰国子女にも世界のTCKにも使われてきた。ネガティブに捉えられることも多いが、「どこの文化社会でも適応できる」のはプラスにもなるはずだ。カメレオンは周囲と色を合わせるのが得意だが、それだけでなくどこにいても自分独自の色で生きていく力をも身につけたとき、人は本当に輝けるのだろうと思う。福島さんが言う「『変な人』と言われるのも構わなくなる」境地だ。成熟したグローバル社会とは、なるべく多くの人が「変」でいられる社会だと思う。「出る杭は打たれる」といわれるが、「飛んでる杭は打てない」という金言も伝わっている。

by 古家 淳

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