『新版サードカルチャーキッズ−−国際移動する子どもたち』
『新版サードカルチャーキッズ−−国際移動する子どもたち』
著:デビッド・C.ポロック、ルース=ヴァン・リーケン、マイケル・V.ポロック
訳:嘉納もも、日部八重子、峰松愛子
スリーエーネットワーク刊、2023
何十年にわたって数多くの帰国生や元帰国子女をインタビューしてきた。初対面の僕に取材される緊張をあらわにしている相手に「僕も子どものころに外国に住んでいました」と言うと、ほとんどの場合ふわっと表情が緩み、グッと身を乗り出して「どこに?何歳のころですか?」と質問を返してくる。なんだかまるで同郷の絆を確認し合うように。日本人ばかりではない。「子どものころに両親の属する文化圏の外で過ごした」経験を持つ人とならば、人種も民族も国籍も育った国も違っていても、同じように同郷の絆を感じ合う。「同郷」というが、みんなに共通の「郷里」があるとすれば、それは「サードカルチャー」という「間(はざま)の文化」でしかあり得ない。「子どものころに両親の属する文化圏の外で過ごした」とは、サードカルチャーキッズ(TCK)という用語がつくられた当初の定義の一部だ。その結果、TCKは「あらゆる文化と関係を結ぶが、どの文化も完全に自分のものではない」。TCKは親の国と移動した先の国と、どちらの文化をも身につけながら、どちらでもない「第三の文化」を自分のものとしていく。「彼らが帰属意識を覚えるのは同じような体験を持つ人々との関わりにおいてである」とも本書には書いてある。これこそが同郷の絆の正体。
なぜそのようなことが起きるのだろうか。本書の前半では、さまざまな人が語るエピソードを通じてTCKが共通に身につけたクセや性向が「TCKあるある」リストのように描き出される。さらに、そのようなクセがどのようにして生まれてくるのかも分析される。自分が何者であるかもまだ知らず、社会の暗黙のルール(たとえば自己主張を大切にするのか、沈黙は金なりなのか)なども身につけていない子どもが異なる文化に移動すると、自分がどのようにあればいいのか、どのようにすれば周りの子どもたちや大人に受け入れられるのかを、ゼロから学び直さなくてはならない。まして何回も移動を繰り返せば、その度に自分のやり方を周囲に合わせて組み立て直していくことになる。同時に、移動の度にそれまで慣れ親しんだ町にも、その町でできた友達にもさよならを告げなくてはならず、別離と喪失の痛みが心の底によどんでいく。カメレオンのようにさまざまな文化を身にまとうことができるようになる反面、「あなたは一貫性がなくて信用できない」と言われたり、やがて来る別れのつらさから逃げるように人との関係を浅くしようとする一方で、束の間の友情だからこそ初対面から自分をさらけ出しながら相手の最も深い真情まで掘り下げようとしたり。多くの人が自分の文化的アイデンティティについて悩み、自分はどこにいても居場所がないような気分にさいなまれる。
もちろん、そのような経験には利点も難点もある。本書の後半では、どうしたら難点を利点としていけるのか、本人や家族、周囲の人々がどのように考えればいいのかを提案している。新しい文化に移動する(「帰国」も新たな文化への移動だから、同じような準備と心構えが必要)前には、お別れ会など「喪失を悼む」場をつくること、ぬいぐるみでも友達にもらったカードでもいいから、何かしら「神聖な宝物」を移動先に持っていくこと。自分たちと似たような経験をしている助言者なりロールモデルなりを見つけること。自分自身と自分が経験してきたことを理解するために、たとえば文章に書き出してみること。居場所を見つけるためには、いろんな場面で積極的に動いてみること。ときには自分がかつて住んでいたところを再訪してみるのもいい。
この本の初版がアメリカで出版されたのは1999年だ。2010年に日本語訳の初版が出版されている。アメリカでの第3版を新たに訳し直したのが本書である。冒頭に記したTCKの最初の定義を拡張する形で、Cross-Culture Kids(CCK)という概念も説明されている。そこに例示されているのは、親が複数の人種あるいは民族の文化を継承している場合、通学する学校と家庭とで文化が異なる場合、国内で多様なサブカルチャーの間を移動してきた場合、またマイノリティや移民・難民の子ども、ろう者の親を持つ聴者の子どもまで。親が離婚した子どもは、父の家にいるときと母の家にいるときで、おやつのルールが異なるかもしれない。TCKの経験を、そうしたさまざまな状況で「文化の間を移動して育つ」CCKたちのために役立てたいという願いも書かれている。
なお日本の「帰国子女」については、共訳者のひとり嘉納ももさんが「『帰国子女』と『サードカルチャーキッズ』」と題したコラムを寄せている。帰国子女は、もちろんTCKさらにはCCKの一部だが、そもそも「帰国子女」ということばが生まれた背景は「サードカルチャーキッズ」という用語とは異なる。そのことによって苦しむ「帰国子女」もいるという指摘は鋭い。
by 古家 淳
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?