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炭鉱のカナリア:イギリスの北と日本の地方

「炭鉱のカナリア」の話を聞いたことがありますか?

カナリアは人間よりも有毒ガスの察知能力が高いそうです。ガスを察知すると鳴きやむことから、かつて炭鉱労働者が籠に入れたカナリアを坑道に入れたのだとか。そのたとえを使った政府批判がイギリスで繰り広げられていました。

イギリスの地域別警戒レベル

イギリス政府が秋に導入したコロナ規制は、春のような全国的なロックダウンではなく、地域別にCovid-19警戒レベルを3段階に分けて、レベル別にルールを決めるというものです。

感染率が普通であるレベル1、それより高いレベル2、感染が特に広がっているレベル3地域で規制をだんだん厳しくしていくのです。このレベル3地域に最初に指定されたのは人口約150万人のリヴァプール都市圏だけでした。

リヴァプールのロザラム市長は政府からの特別な経済支援がないまま、地元の事業者に厳しい規制を課すことに対して反対意見を述べました。けれども、結局押しやられた格好です。

次に、やはりレベル3に指定されることになると聞いて、猛批判を繰り広げたのがグレイターマンチェスターのバーナム市長です。彼は積極的にメディアなどに登場して「我々は炭鉱のカナリアとして利用されようとしている」と訴えました。

バーナム市長は「政府はほかの地域の経済を守るためにマンチェスター都市圏のビジネスを犠牲にしようとしている」と語りました。そして、「十分な補償予算もないままレベル3に指定されるようなら、政府を訴える」とまで言い切りました。

中央目線のコロナ対策

これらの地域の市長は口をそろえていいます。

「長年の保守党緊縮財政によって地方自治体の財政がぎりぎりの状態に追い込まれている中、中央目線のコロナ対策によって地域経済が破綻してしまう」

春に全国的なロックダウンが行われたときは、ロンドンの感染爆発は明らかでしたが、地方はそれほどではありませんでした。それでもロックダウンは全国的に実施されたのです。

休業を余儀なくされた事業者や従業員には通常収入の8割が政府から支払われました。その休業補償制度はすでに終了し、今回レベル3に指定された地域には十分な経済補償がないと彼らは批判しています。

北の反骨精神

リヴァプールやマンチェスターは産業革命以降に急成長し経済繁栄を誇った産業都市。昔からロンドンの中央政府やエスタブリッシュメントにたてつく気概がある地域です。

これらは戦後の産業構造変化で地元経済が衰退し、失業者や低所得者層が増えたところでもあります。そのような背景で1980年代にはリヴァプールで失業者などによる暴動が起きたりもしました。その当時のサッチャー首相が「あの街は見捨てるしかない」と言ったことを地元の人は忘れてはいません。

1989年におこった「ヒルズボロの悲劇」と言われる事件では、リヴァプールのサッカーファンが多数亡くなりました。その時、警察や政府、メディアが事故の原因をリヴァプールファンのせいにしようとしました。けれども、事件が起こって20年たってからの再調査で真相が明らかになりました。リヴァプールのサッカーファンが不当に濡れ衣を着せられたことが判明したのです。この事件のこともリヴァプール市民はずっと語りついでいくことでしょう。

イギリスの北と南

イギリスでは「South=南部」と「North=北部」を対照的に語ることがよくあります。「南」の人の典型はロンドンやその郊外に住む学歴が高い富裕層で「北」の人は地方に住む田舎者といった印象です。

「南」の人は高学歴で洗練されていてポッシュな言葉を操りビジネスや学術界で成功していたりして、その頂点に立つのが貴族出身のアッパークラス。「北」は地理的な名称というよりは、産業革命で発達した工業都市があたるかもしれません。

「北」と「南」の特徴を表すとしたらこういう感じになるでしょう。

「北」North=現実的、労働者、公立学校、低学歴、起業家、冒険的、科学的、努力、倹約、質素、正直
「南」South=伝統的、私立高学歴エリート、プロテスタント、貴族、田園的、ポッシュ、礼儀、プライド

マンチェスターやリヴァプールのような「北」の街は1960年代以降は衰退していました。けれども「南」のロンドンではシティーを中心にして金融業やビジネスで繁栄が訪れました。グローバリゼーションで富が集まったものの、それはロンドンと南東部の一部の地域に限られていました。

「北」ではかつての工業がなくなって失業者が増えました。コミュニティーはばらばらになり、繁栄に見放されたのです。少しは景気が戻ってきたかと思ったら、保守党が政権を取り、小さな政府を目指して緊縮財政を始めました。それによって公共投資が大きな比重を占める地方経済はしぼむ一方でした。

このような地方の労働者階級の人々の中央に対する不信や不満は、EU離脱の国民投票で離脱派が勝った背景にもなりました。

これはフランスの「黄色いベスト」運動や米国のラストベルトと呼ばれる地域に住むトランプ共和党支持者の図式にも通じるものかもしれません。都市部の裕福なリベラル・エリートに対し、取り残されていると感じる地方の庶民たちとの格差が大きくなっているのです。

イギリスの「北」の人達はこれまで声なき人々として扱われ、彼らが政権に何を言おうが無視されがちでした。今回のコロナ政策もそのような中央集権的なジョンソン政権の結果だと批判されているのです。

イギリスの北は日本の地方

イギリスでは「北」と「南」という図式ですが、これを日本に当てはめると「東京=中央」と「地方=それ以外の地域」ということになるでしょうか。

首都に政治、経済、文化、パワーが集まるのは当然のことかもしれませんが、日本の一極集中はイギリスよりもっと顕著かもしれません。イギリスでは代々の貴族などのエスタブリッシュメントが田舎の田園地帯に住むことが多かったり、一流大学など高等教育機関が全国的に散在していたりするからです。

さらに、イギリスでは政府の産業分散政策や公営放送であるBBCなどがロンドン中心主義を改める努力をするなどの結果、一定の効果も出ています。特に一般国民に影響の高いBBCなどテレビメディアの大きな部分が地方にうつった影響は大きいと言えます。

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BBCがマンチェスター近郊サルフォードにできたMedia Cityに移転

今回のコロナ対策でレベル3に指定されたり、その候補となった「北」のリアヴァプール、マンチェスター、ランカシャーの街や政治家の声はBBCなどのメディアでも積極的に取り上げられました。リベラル系全国紙であるガーディアン紙もマンチェスターが発祥です。

東京中心のメディア情報

日本のメディア産業はイギリスにくらべると、東京一極集中が目立ちます。NHKや民放のテレビ局も、多くの出版社や広告代理店も、スポンサー企業もほとんどが東京に集中しています。このことは外から日本のニュースを見聞きするとき、情報があまりに東京に偏っていることからも見てとれます。

たとえば、イギリスにいる私には2018年の西日本豪雨の情報はなかなか入ってきませんでしたが、2019年に関東地方に台風が上陸したときは上陸前の準備段階からニュースがたくさん流れました。台風など沖縄、九州、西日本の人にとっては毎年起こることですが、東京中心メディアからの報道だと2019年に初めて来たような印象を受けました。

日本は台風や大雨だけでなく地震や火山など自然災害の多い国です。災害が起きるたびに各地の避難所で不便な生活を強いられている人の様子が最初だけニュースで流れます。けれども次の災害のために避難生活を改善するための政策はとられず、毎回異なる避難所で同じように不便な生活をする避難者の姿を見ることになります。

M8級の南海トラフ地震が今後30年以内に起こる確率が80%、首都直下地震の確率も70%と言われている中、防災対策は場当たり的で国民の危機意識も高まっているとは思えません。

それは、これまでに災害が起きたのが東京ではないため、一極集中メディアが「人ごと」として扱うからなのかもしれません。東北大震災の時には「東北でよかった」と言った復興大臣がいました。これは東京に住む多くの人の本音を表しているに過ぎないのかもしれません。

首都の経済を支えるための東京電力の原発で事故が起こった福島の復興や、沖縄の米軍基地問題についても同じようなことが言えるでしょう。このような話は、かつてサッチャーが荒廃したリヴァプールを見捨てるしかないといったイギリスのケースにも重なります。

イギリスの北と日本の地方

イギリスでも日本でも、権力が中央に集中しがちな構図は似ています。このような時、多くの予算を国に頼る地方は中央に押し切られがちなことが多いものです。けれども、なんでも中央の言うことを聞くのではなく、地方の置かれている状況や考えを中央政府に明確に伝え、主張すべきことは主張して地域経済や住民を守る姿勢が必要です。

また、地域によって状況が異なる緊急事態には、地方だからこそ国の方針とは異なる画期的な政策を独自に実施することもできます。今回のコロナ対策でも、初期に感染が流行した北海道で独自に緊急事態宣言が出たり、国の方針とは異なるPCR検査体制などのコロナ対策を導入する自治体があったりといった地域独自の取り組みがみられました。

イギリスでも、自治政府のあるスコットランドやウエールズ、北アイルランドはイングランドとは異なるコロナ政策を導入しています。また、マンチェスター都市圏ではバーナム市長がコロナ後の交通手段としてサイクリングを推進する試みに挑戦。元サイクリング選手クリス・ボードマンを自転車政策担当に迎え入れての革新的な取り組みを展開しています。

経済的・制度的な制約もある地方ですが、各地での地道な取り組みが功を奏するのを見てきました。フットワークの軽さと草の根の市民に近いメリットを利用して個性を生かした地域戦略に取り組むことで、ほかの地域や国全体のお手本となることもあるでしょう。


いつも読んでもらってありがとうございます。