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「履きやすい×美脚に見える」パンプスは正義。 ところで#KuTooってどうなっているのだろう?

パンプス履いて走りもすれば、階段一段抜かしもする。

今でこそ階段一段抜かしはしないが、走ることは時々ある(苦笑)そんな筆者にとってのパンプスとそれを選ぶ基準を考えると、「それくらいできなければ、履いていられない」

これは筆者だけでなく、パンプスを履く多くの人の気持ちだろう。

ELLEの記事で、2名のエディターが本当に履きやすい最強パンプスを選んでいる。

これを読んで思ったことは、やはり女性は美脚に見える満足が自信につながること、そして足元に気をつけられることは余裕のバロメーターになり、大事なことだということ。

もちろん「苦痛を我慢してでも、パンプスを履くべき」など言うつもりはない。だけど、パンプスを履くということで得られる多くのポジティブな効果があるということ。

それは他者(異性)の目・評価が云々ということより、自分一人ででも感じること。パンプスに足を入れてシュッと収まった時の適度な締め付け感、そして履いて立った時のすっと背筋が伸びる感じ、筆者にとってはゾーンに入るための儀式の一つだと言っても過言ではない。

その為には靴選びには妥協しないし、購入した後もあらゆる技巧を駆使して、履きやすい自分のパンプスになるまで徹底的に微調整する。足の苦痛は、本当に拷問なのを何度も経験しているから。気持ちよく履き、仕事のパフォーマンスを上げるためにも、この努力は必要不可欠と思っている。

しかし、世のパンプスを履く人々の中には、痛い・苦痛と言ってパンプスを履くことを拒否している人もいるようだ。それって、履きたいのに痛くて履けないのか、パンプス自体が自分のタイプじゃないのか?

1日立ち仕事なのに、ルールとしてパンプス履きを”強要”となると、それに対するリカバリ代もエクストラで頂かないと合わないけれど、どうしてもその仕事がしたい場合、当然の条件なのではないかな?と思うのは、筆者が強度の外反母趾ではなく、パンプスが普通に履けるからなのか?
*ちなみに、筆者は靴選びに苦労します。かなり難あり。それではパンプスが好き。

#KuTooの動きが始まった頃 、いろいろな意味で違和感を感じてしまった一人が紛れもない筆者であり、あの運動で思ったのは「人にはパンプス履きを拒否する権利はあるし、それを強要するルールに関して”状況により”異論を唱える権利もあるだろう。しかしパンプス自体を悪く言う権利はない!」という事。

それだけ男性と違い、女性には多くの選択肢がある。「ビジネスシーンでは女性はいつでもどこでもパンプス履きが間違いないから・・・」という今の時代という背景を無視し、場面・状況をアップデートする事を怠っている社会へのメッセージとしては、#KuTooもありなのかなと思う。

パンプスを履く事は好きな筆者は、仕事のスーツやドレス(ワンピース)を着てスニーカーを履く事は一生ない。美しいと思わないから。そしてその状態を広い意味で快適とは思わないから。「快適」か「苦痛」かは足の痛みだけの事ではないはずだから。

足には最高に楽だが、場所にも役職にも服にも合わない納得のいかない靴を履いていたとしたら、そして少しでも心の中で恥ずかしく思っているとしたら、その場に立っているのはフィジカルな苦痛を上回る、最大の「苦痛(#KuToo)」であり「汚点」。

そんな事を考えつつも、パンプス履きが好きな私が、全米最大の某展示会に出席する用に、足腰に負担が少ない・楽に歩ける・長時間立っていられる靴を探している最中。これはさすがにパンプスでは無理。日本では想像がつかないほどの広さの会場、それも下は絨毯、少し疲れてくると足が上がらなくなってくるので、平らなところでつんのめったりするという危険さえもはらんでいる。

こういう時こそ、パンプス履きを強要されたら言っていい。#KuToo だと。

さて、本気で楽な良い靴を探すか。

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