見出し画像

1.2 離れ離れ。児童相談所とは刑務所か?それともヤクザか?

「ガシャーン!」

野球ボールを投げて、気付いたら通っていた小学校の窓ガラスを何枚も割っていた。

「先生:こら、何してるんだ!」

先生の言うことを無視し、気付いたら校舎2回から臆せずに飛び降りていた。

当時は自分の衝動をコントロールすることができなかった。ということよりも、コントロールすることだけではなく、良いこと悪いことを家で教わってこなかった。だから俺は小さい頃から問題児扱いで、週1-2回精神科にも連れてかれていた。

小学校3、4年生の時は不登校になり、年間のほとんどは自宅でゲームしてたりケーブルテレビでカートゥーンを見ていた。学校に登校したのは指で数えられる程度だった。もちろん、親は仕事でいなく、毎日ゴミ屋敷で一人で生活していた。とにかく一人でいることが多く、感覚としては小学校から一人暮らしみたいだった。

楽しみは親の彼氏が自宅に来て、ゲームをすることだった。もちろん、彼はキレることも多く、いつも通り殴られまくってた。痛みよりもゲームを一緒にできる楽しみが上回っていた。夜な夜な親と彼氏は俺の目を気にせずにセックスをしており、小学生だった俺にとって衝撃的だった。もちろん、当時はなんで二人で裸なのか、なんで動いてるかもよくわかっていなかった。でも一つ気づいたのは、俺は彼らにとってただの空気だったと言うこと。彼らが一緒に家にいる時は、俺の存在は消されていた。

いつも通り生活していて、ある日突然数人の大人が自宅に乗り込んできた。当時は誰かわからなかったが、彼らは児童相談所の職員達だった。

「職員:これからお母さんは仕事でもっと忙しくなるから、”少し”の間違うところで生活するよ」

ケーブルテレビのカートゥーンを見ながら呆然と彼らの話を聞いていたが理解ができなかった。一人の職員がお菓子を渡してきたので、ホイホイついて行ってしまい、タクシーでどこか分からない場所に連れてかれることになった。

30分〜1時間後、古臭い建物に着いた。たくさんの大人に迎えられて、彼らに連れられ子供のおもちゃや砂が入ってる箱などが置かれた小さな部屋に入れられた。そう、ここが児童相談所だった。

「職員:おもちゃで遊んでちょっと待っててね」

数十分後、知らないおばさん職員が入ってきて、パジャマのような安っぽい服を用意されて着替えるように指示された。よく分からず指示通り着替えた。その後、マッチョな男性職員に連れられ、ビルの中を移動した。

「マッチョな職員:今日から少しの間ここで暮らすことになるからね」

そこには数歳〜高校生ぐらいまでの何十人もの男の子がいた。もちろん、中には強面のお兄さんもいた。でもみんなウェルカムな雰囲気で迎えてくれて、その時はとても楽しそうだと思った。数時間後、刑務所のような生活が始まるとは思いもしなかった。

初日に気づいたのが、夕食、お風呂、お楽しみ時間、就寝までスケジュールがきっちり決まっており、ほぼ自由がなかった。児童相談所内の子供は起きてから寝るまでみんな団体行動だ。規律を見出す子供がいれば、体罰というパニッシュメントが待っていた。そんなことは知りもせず、初日が終わった。

その夜・・・

「ドンドン!ドタドタドタ!」
急にマッチョな職員が怒りをあらわにして部屋に入ってきたところで俺は起きた。

「マッチョな職員:お前ら全員廊下に出ろ!早くしろ!」
児童相談所で生活するということは団体行動=連帯責任だ。同じ部屋の子供が寝ずに話をしていたところを見つかってしまったらしい。寝ていた児童も含め、同じ部屋の子はみんな廊下に出された。

「マッチョな職員:今から30分ここで正座しろ!」
冷たいタイルの床に何人もの児童が正座をさせられた。マッチョな職員は体勢を崩した児童がいたら彼らの頭を持っていた竹刀で叩く。泣いていてもお構いなしだ。大声で泣き喚く子は違う部屋に連れてかられ、うるさいから黙るまでボコボコにされていたらしい。あんなにいい人だったマッチョな職員が、夜子供の前で悪魔に豹変した姿を見た。

なんで児童相談所で生活していた子がビクビクしていたのかなんとなく理由が分かった瞬間だった。その時ふと思った、ここは刑務所?それとも理由もなく怒鳴ったり暴力を振るったりすることはヤクザ?まだ小学生だった俺でも違和感を覚えた児童養護施設の生活がスタートした。そして、「少し」だけの生活のはずが、ここから数年親の顔を見ることはなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?