当事者として考える児童相談所の問題点
子供の虐待や虐待死に関連するニュースを目にすることが増え、世の中で児童相談所(児相)の存在が少しずつ知られるようになってきた。あと、子供の虐待死という悲惨な事件が起こるたびに、ネット上で児相を擁護するコメントを見かけるようになった。
「児相が介入していれば、子供の死は防げたのではないか。」
「児相の一時保護所で子供を保護すべきだ。」
「児相をもっと増やすべきだ。」
ただ、こうしたコメントを見るたびに、児相被害の当事者である親や子供の立場を考えず、児相という組織がどのような場所かを全く知らない人々の意見だと思ってしまう。
少なくとも東京にある児相で2回一時保護を受けた当事者として、また親として児相が介入してきた経験を持つ当事者として、児相がどういうところかを世の中にしっかりと知ってもらう必要がある。また、これは俺だけの話ではなく、周りの施設出身者で児相の一時保護を経験している人たちにも同じような経験をしている人がたくさんいる。児相擁護者には、その事実から目を背けないでほしい。
所長というトップの権限が第一
児相の中には、とても優しい職員もいるが、実際は所長の操り人形だ。何の権限もなく、所長命令であればすべて言うことを聞く必要がある。内部の話を聞くと、本当は子供を取り上げる必要がないにもかかわらず、上の指示に従わざるを得ない職員もいるようだ。現場を知らず、現場から遠ざかっている所長が現場のことを知るはずもない。これは、昔ながらの日の丸企業のようにトップダウンのマネジメントであることは間違いない。俺、そして俺の周りも児相に抗議をしても、全く取り扱ってもらえず、トップである所長すら顔を出さない。雲隠れしている闇の組織のボスのようなやり方と変わらないのが、児相の所長だ。
ルールがバラバラで、統一感のない組織
児相の職員の場合、担当によって対応がバラバラで、内部のマネジメントが機能していない。実際に、「子供はすぐ返す」「子供にはすぐ帰れる」と無責任に言う職員もいれば、「今の状況では帰れない」としっかり伝える職員もいる。職員によっては面接のGoサインを出しやすい人もいれば、出しにくい人もいる。また、明確な理由がないのに虐待だと判断されて子供が取り上げられた場合でも、職員による説明がゴタゴタしていることが多い。ルールがバラバラで統一感のない組織に対して、子供を取られた親が苛立つのは当然だし、子供もこの組織のせいで親と離れ離れになることがある。企業であれば、間違いなく失格で倒産しているだろう。
親と子供の気持ちと意見は無視
児相の一番やばいところは、とにかく親と子供の気持ちと意見を無視すること。虐待であれば、子供の助かる命があるかもしれないが、全く虐待もないのに子供が児相に取り上げられてしまうことも多々ある。親や子供が離れ離れになり泣きじゃくっても、全くお構いなしだ。また、親がいない時に急に家や学校に来て、児相に連れていくこともある。これは親からすれば連れ去りであり、ここまで冷酷で非人道的な対応をする組織は、日本では児相ぐらいではないだろうか。もちろん、俺も連れ去られた側の当事者だ。おそらく、親と子供の気持ちを無視してとりあえず子供を親から引き離す行為は、上記で説明したトップダウンでの指示と統一感のない組織が問題なのではないかと思う。また、児相のトップにいるヤツらは、だいたい児相に連れてこられる子供とその家族を見下している。だから、親が「訴えてやる!」と騒いでも、自治体や国力を行使することで余裕を保っているわけだ。残念ながら、親が訴えたり批判を強めたりすることで、さらに子供が返ってきづらくなる。まさに、八方塞がりである。
児相に連れてかれた経験がある、または子供を取られた経験のある人は、一般的には少ないと思う。だから、何も知らない人たちが虐待のニュースを見るたびに、児相を支持するのだろう。もしかしたら、今児相にお世話になっていない人でも、子供が些細なことで急に児相に連れて行かれ、無理やり離れ離れにさせられ、何年も会えなくなる、こんな状況になってしまうかもしれない。その時に、初めて当事者の気持ちがわかるだろう。