#2 なぜキーリだけ命懸けの旅で恋に現(うつつ)を抜かしているのか──全ての登場人物は合理的に動く
第二回は、この考察の掘り下げ手法やルールについて触れながら表題を紐解いていくよ。このシリーズは映画『ホビット』EE版(エクステンデットエディション版)の考察だよ。劇場公開版の方ではないよ。そして原作の考察でもないのだ。
考察一周目も二周目も同じルールで掘り下げてるよ。
全ての登場人物は 主観的であり 合理的に動く
主観的とは、それぞれ立場が違うこと。知り得る情報には限界があること。特に他者の心の内は知りようがないこと(相手の心は見えない)。
合理的とは、リスク及び損失を最小化し、利得を最大化すること。
利得は、目に見えないものではないこと(見えない心と違い、実在を示せること)。最大の利得は「生存」であること。
合理的に動くなら、たとえ選択肢は複数あるように見えても、どの選択肢を取るかは絞れる(※ゲーム理論「囚人のジレンマ」等)。そしてこの合理的選択を使って、映画内で直接描かれなかった事柄を掘り下げる…もとい、この映画は合理的選択という前提の元に極限まで表現を削ぎ落しているけれども、その前提さえ分かれば裏ストーリーもちゃんと読めるんだ、と主張したいのが当考察だよ。
また、この映画の世界観は、国際関係論の現実主義(Realism in international relations)で構築されているよ。国際関係をどう見るかの話であって、迫真性を表すリアリティや、実務家や現実的な人を表すリアリストとは別物だからね。ものすごーくざっくりいうと「国際情勢を生き延びようともがく国家の動き」と捉える。スランドゥイルが現実主義者なのは、以下の台詞に端的に現れてるよ。
【拙訳】
スランドゥイル「他国は我の懸案ではない。栄枯盛衰は世の常だが、我らはここで末永く在りたい」
「他国のことなどどうでもいい」のではなく「それは自分の仕事ではない」と言ってるよ。スランドゥイルの台詞は、良くも悪くも取れるギリギリに留められていて、それを視点人物(上記シーンではタウリエル)がどう受け止めたかを、スランドゥイル役の俳優は演じてる。映像から離れて英語の台詞だけ読んでみれば、酷いことは何も言っていないと分かるよ。拙訳もそのどちらにもとれるギリギリさを潰さないよう頑張ったつもりだよ。
その他 考察にあたって
当考察は未知の条件がなければ確定しない選択肢を起こらなかった事象として排除する
当考察は映画内で直接言及されていない部分を メイキング情報 ⇒ 原作 ⇒ 現実世界の常識や理論の順に必要最低限のみ補完する
考察の根拠は日本語訳ではなく原文(英語/エルフ語)に求める
映画の時系列に原作との整合性はないと受けとめる
4番目については、製作陣はあえてそうしてると受け止めて無視するよ。原作では、以下の時点ではまだ“馳夫”と呼ばれてないので潔く諦めたよ。
【拙訳】
スランドゥイル「“馳夫”と呼ばれている」
さて、では以上のルールを使って今日の表題について。
なぜキーリだけ命懸けの旅で恋に現を抜かしているのか
旅は命懸けだし、一族の存亡もかかってるし、なのにキーリはタウリエルにだけじゃなく”裂け谷”でも色目を使ってた。仲間たちも全然それを咎めない。彼らにとってその状態が合理的なのであれば、その背景は何なのか?
そんな事どうでもいいって? でもこれとっても重要なポイントなんだよ。
旅に出た13人のドワーフたちの内訳は、王位継承権を持つ3人と従者10人。旅が成功した暁には、トーリンは”エレボール”の王に、キーリの兄フィーリは王太子に、従者たちは出世や恩賞が見込める。彼らには旅のリスクに見合う大きな利得がある。
片やキーリ。長男じゃないキーリは王位継承順位が低く、王族最大の利得である王位はまず回ってこない。むしろ旅に出て、うっかり兄フィーリより活躍されると政治的には困る。旅が成功しても閑職に甘んじててもらわないと困るわけ。旅のリスクに見合うだけの利得が(この状態では)無いんだね。
こういう立場の者が野心を抱き、あるいは担ぎ上げられて、国が乱れるのは古今東西よくある話。それに王位継承権を持つ3人全員が旅に出ちゃったら、失敗した時どうするのか。
だから本音のところキーリには旅に出ず、すぐにでも結婚して血を残してほしい。血のスペアとしてキープしておくのが一族にとっての合理的な選択なんだね。
でもキーリに結婚を考える相手はいなかった。なぜなら道中お守り(タリスマン)を持たせてくれたのが母親だってことは、それを超える近しい女性はいなかったと見なせるから。恋人がいるなら、結婚して子供作って留守番しているだけで自分も周囲も幸せ。しかも旅が失敗すれば家督も転がり込んでくる。濡手で粟とはこのこと。この方がずっと合理的。
でも、結婚せずに留守番してるだけなら「ママとお留守番してる坊や」でしかない。伯父トーリンはもう今から子を成す歳ではなく(※原作情報:映画では壮年の俳優が演じているため若く見えるが原作では高齢)、兄フィーリはこの命懸けの旅を最優先せざるを得ない以上、キーリが一族の世継ぎ問題に向き合わなければならない。そしてそうであるならば、リスクを取ってでも環境を変えないと、現状ではもう新しい出逢いはないって状況だったわけ。
【拙訳】
ドワーリン「"くろがね連山" のドワーフ達は何と?ダインは来てくれるか?」
この旅には他のドワーフ氏族にも応援要請していた。彼らの前で活躍してみせることは、他氏族に自分を売り込み、人脈を築く大チャンス。一族とキーリの意思は正面からはぶつかり合うことになった。そこでもうひと押しキーリは「遊撃」を提案した。
他の12人はそれぞれ役割があり、使い捨ての駒ではない。お医者さんを庇って誰かが死んだり、記録係が「見てませんでした」だったりでは何のために連れてきたんだか分からない(合理的ではない)からね。12人は常に一緒に行動する必要があり、そのために小回りが利きにくいという欠点があった。遊撃がいれば旅の成功率が上がるはずだと主張し、両者はそれで妥結した。実際、キーリは他の12人と少し離れたところで活動していることが多いよ。裂け谷の直前然り、蜘蛛に襲われた時然り、毒矢で射られた時然りね。
結論。
現を抜かすどころか、キーリの現実そのものだった。血のスペアと自覚するからこその花嫁探しの旅であり、生きて帰ってタウリエルを新しい家族として母に紹介するつもりだったんだね。
…こんな感じで、登場人物がどういう状況に追いこまれていたかを、淡々と掘り下げていくよ。
今回のまとめ
一族はキーリが旅に参加すると政治的に困る
血のスペアと自覚するからこその花嫁探しの旅
キーリはタウリエルを新しい家族として母に紹介するつもりだった
雉も鳴かずば撃たれまい
でもアテにしていた他氏族からは結局断られちゃった。
【拙訳】
ドワーリン「"くろがね連山" のドワーフ達は何と?ダインは来てくれるか?」
トーリン「彼らは来ない。お前たちの問題だ お前たち一族だけの──とのことだ」
思い返して見れば、彼らはスマウグに襲われた時も助けに来なかった。スランドゥイルだけが助けなかったわけじゃないのに。雉も鳴かずば撃たれまい。結局、その場に居なければ非難されずに済んじゃうんだね。
次回は非難されずに済んでるから忘れがちな「同じく助けに来なかった”エスガロス”」について掘り下げていくよ。
映画『ホビット』EE版(エクステンデットエディション版)の考察です。
掘り下げは日本語版ではなく、原文(英語/エルフ語)で行っています。英語とエルフ語に齟齬がある場合、エルフ語を優先。エルフ語については出典を示します。英語は自力で訳しましたが精度は趣味の域を出ません。
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