#11 トーリンもスロールも ”竜の病” ではない──おうのおしごと
では最後にドワーフたちを掘り下げてくね。
王の器
ここまで、散々悪いイメージを振りまいてきたスランドゥイル、国家の敵となったギリオン、同族殺しのカードを切ったエルロンド、土下座外交のエスガロスの統領、と自分の肩に多くの命が掛かっていればこそ、なりふり構わずまい進する国家のリーダー揃いだった中、トーリンの多罰傾向はとても目立つね。
【拙訳】
トーリン「食べる物も住む所もなく助けが必要だった時に貴様は背を向けた。苦しむ我ら民族と火炎地獄から逃げだした! 貴様こそ竜の炎で焼け死ぬがいい!」
【拙訳】
トーリン「あの日 その人間の腕前が正確だったならば、随分違った結果になっていただろう」
【拙訳】
トーリン「助ける? "エレボール"が竜に襲われた時、一体エルフがどんな助けを? オークに"モリア"が奪われ神聖な洞窟が冒涜されている時、エルフは傍観し何もしなかった」
身内は一切責めず、自分たちはスマウグに襲われたエスガロスを助けなかった。“モリア”が襲われたのはスランドゥイルの回れ右より後のことだから、回れ右されて尚、いざとなったら助けに来てくれると期待してたことになる。そのモリアに一番近いのはガラドリエルの”ロスロリエン”。「傍観し何もしなかった」のはスランドゥイルではないよ。
リアリストにとって国防のいの一番は自助。国益重視。そしてリベラリストが言う「協調」にフリーライド(タダ乗り:コストを負担せずに利益だけを得ること)は含まれない。
【拙訳】
スランドゥイル「援助しようではないか」
トーリン「聞いている。続けろ」
スランドゥイル「領内の通過を認める。但しあれは我のものだ。返してもらう」
トーリン「親切が為の親切か」
それを「親切が為の親切」と切り捨てるなら「タダで助けろ」でしかない。タウリエルが考えたこのパターンと同じだね。
善い行いとは、縁もゆかりもない相手を、タダで助けることだ
悪い行いとは、自分(子ども)から居場所(親)を奪うことだ
こうなるとトーリンは”竜の病”に罹る以前に王の器にない。
【拙訳】
スランドゥイル「二言は無い。王と王の約束だ」
ではそんなトーリンに対し、なぜスランドゥイルは王と認める発言をしたのか。
──継承国問題だよ。
継承国問題
一旦滅んでしまったエレボール。そこへ王孫がやって来て国を作った。さてそれはエレボールの復活なのか? それとも別の新しい国なのか?
継承国問題の実例と言えばこれ。
2006年、ユーゴスラビアから独立するモンテネグロが日本へ国家承認を求めた際、ユーゴの構成国となる前のモンテネグロと日露戦争(1904~05年)を終結してなかった件が掘り起こされてしまった。ユーゴと日本は国交があったんだけど、その状態を継承できるわけじゃないのでってこと。ユーゴスラビア自体は何処へも継承せず国家消滅。
ちなみに現実世界の国家の独立は相互承認。まあざっくり遺産相続みたいなもんだとして、誰しも財産が増えるなら欲しいけど、借金なら逃げ出したい。そして債権者からすれば逃げられたくない。
だからスランドゥイル視点で考えた時、宙に浮いたままの首飾り問題を誰と交渉すればいいのか。トーリンが継承国の王になるならトーリンに引き渡し義務が生じる。継承せず別の国になれば「エレボールに落ちていた物を拾っただけだ」と開き直るかもしれない。
いっそこの際トーリンが継承してくれたら面倒がなくていい。でも後々スラインがひょこり戻ってきたら? この時トーリンの父スラインは行方不明で生死が分からない。最悪どちらがエレボールの正当な継承者かを巡って骨肉の争いになる可能性すらある。
ゆえにスランドゥイルは「首飾りを引き渡す者に全力で乗っかってやる」と持ち掛けてるわけ。引き渡す者であれば例え継承順位が低かろうと後ろ盾となり、他の上位者に勝たせてみせようではないか──とね。
画面配置の解説で、この時のドワーフは国境侵犯だったと解説したね。取引に応じれば後付けで領内の通過を認めるけど、応じないならそのまま国境侵犯として扱う。100年でも牢にいろ──。エレボールに到着してなきゃいけない日が決まっているトーリンに、選択の余地なんてない。
敵の敵を手持ち札に
エレボール奪還を成功させたいガンダルフにとって、このスランドゥイルが目の上のたんこぶだった。だから「敵の敵」を手持ち札に持てるかは重要で、これこそガンダルフが無理やりに裂け谷へ連れていった目的だった。「敵の敵」つまり、ドワーフの敵であるスランドゥイルの敵であるエルロンド…を手持ち札にするってことね。
エルロンド「( 月光文字 )」
ガンダルフ「月光文字。当然じゃな」
地図の謎を解くには「エルロンドに読んでもらわなければ」とガンダルフは言っていたけど、実際に読んでもらった反応は「当然」だった。ビルボは弾かれたようにガンダルフを見、しばらく怪訝そうにしてた。
スランドゥイルも咄嗟のドワーフ語に対応できるほどペラペラなようなのに、本当にエルロンドにしか読めなかったのか。ドワーフ同士の暗号なのにドワーフが自力で解けないものだったのか。ガンダルフは全部知ってて、エルロンドとトーリンの同盟を画策して裂け谷まで誘導してきたわけ。
でもそのお膳立てを、トーリンは蹴って出発した。
そしてエルロンドは出て行ってくれてホッとした。
もう二度とスランドゥイルと揉められないんだから、トーリンの後ろ盾になってスランドゥイルを牽制するなんてできるわけない。
エルフじゃないガンダルフには、あの時エルロンドが本当は何を言ったのか、その「行間」は分からなかった。ガンダルフがリベラリズムの論理をどんなに掻き口説いても、スランドゥイルはリアリズムの論理で反論してきた。ところがエルロンドが穏やかにちょこっと話しただけで黙り込み、すんなり言うことを聞いた。「さすがエルロンド卿!」と感心したから「ぜひまたあれやってくれ」と頼みに来た。エルロンドにしたらたまったもんじゃない。それでグダグダと御託を並べ、必死でガンダルフをかわそうとした挙句…
【拙訳】
ガラドリエル「彼に話をさせなさい」
白の会議において姑ガラドリエルに一喝され、仰け反るように大きく後ずさりすることになった。
──ただの自己紹介じゃないか。ノルドールだと名乗ったら勝手にお前が勘ぐっただけじゃないか。そう言って笑い話にできるはずだった。あぁ…それなのに──笑い話では終わらなかった。だから誰にも言えない、知られたくない。実際には同族殺しなんてしてないけど、道義的にもそう言えるか。エルロンドが背負ってしまった重い十字架なんだね。
【拙訳】
エルロンド「ガンダルフ。この400年、我らは平和の中で生きてこられた。やっとのことで維持してきた平和だ」
ガンダルフ「儂らが? 儂らが平和とな?」
嗤うスランドゥイル
【拙訳】
エルロンド「あの山に入る──それが狙いですか」
【拙訳】
スランドゥイル「探しているのは統治者の権利を授けるもの、王の宝石、“アーケン石”。王位を窺う者にとって果てしない価値だ…よく解る」
あのドワーフたちの地図を読むまで、エルロンドだって彼らの目的を知らなかったのに、なぜスランドゥイルは知ってて嗤っていたかと言えば、"バランサー"エルロンドが情報をリークしたからだよ。
【拙訳】
エルロンド「あの山に入る──それが狙いですか」
トーリン「何が言いたい?」
エルロンド「賢明ではないと見る者もね」
ガンダルフ「どなたが?」
エルロンド「貴方だけではないのですよ。中つ国を見守る守護者はね」
この「守護者」はスランドゥイルのこと。エルロンドは情報交換を重ねる中でスランドゥイルを良きライバルとして信頼するようになった。ガンダルフが思うようにいつまでもただただ仲が悪いだけの関係ではなく、ガンダルフを介さずとも両者は交流を続けていた。
つい、このあとガラドリエルが登場するために、その前振りだと納得しがちだけど、エルロンドは姑のことを「賢明ではないと見る者」などと持って回った呼び方はしない。それにガラドリエルの方もわざわざ娘婿を介して思わせぶりなことはせず、言いたいことは直接伝えてくる。テレパシー使えるんだし。
スランドゥイルはスマウグの寿命を待って首飾りを回収するつもりでいたから、エレボールから人払いしておきたくて情報をエルロンドに流した。「賢明」という言葉を使ったのは、理性大好きなリベラリストにはその方が刺さるからだよ。リアリストには安全保障が刺さるのと同じでね。スランドゥイルは王妃のことを「バカだから竜に突撃した」なんて思ってないし、自分のことを中つ国の守護者だとも思ってない。守護者というのはあくまでリベラリストからの評価。
エルロンドの言い方は婉曲とは言え、要するに「バカ以外そんなことしないよ」ってこと。そりゃトーリン、ムッとする。失礼だもん。つい自分に刺さる言葉だから、相手にもさぞ分かりやすく共感し易かろうとか、同じ価値観共有してるはずとか、思い込んじゃうんだね。相手の心は見えない…自分のことしか分からないからね。
【拙訳】
レゴラス「竜がいる限り"エレボール"に入る命知らずなどいない」
片やリアリストの息子は「dare(あえて/恐れ知らずに/勇敢にも)」と言った。おつむの中なんか関係ない。死んじゃったら元も子もないからやらない。それだけ。
エルロンドはまんまとスランドゥイルに掴まされた情報を流した。でも”ゴンドール”のエクセリオン評もエルロンドから掴まされてんだと思うよ。二人は似たり寄ったり。
疑心暗鬼
話を戻して。他罰的なトーリンの行動原理。
【拙訳】
トーリン「身内に裏切られた」
いくら探しても見つからない”アーケン石”。それを隠し持つ容疑者として他所者のビルボより怪しいのは誰なのか。と言っても過去回でやったように、そもそも「この旅において」リスクに見合う利得がないのはキーリだけ。すなわち容疑者はキーリだよ。
ただ本来キーリが謀をするなら、兄に取って代わるのが早い。「一つしかない後釜を巡り、兄弟が争い始めるのも時間の問題」とトーリンは見積もっていたのに、兄弟は仲良しでいっつもベッタリ。いつまで経っても何も始まらなかった。
だから、エスガロスで船に乗る直前でキーリを置いていったわけ。怪我してるってのも良い口実だったけど、それなら船着き場まで歩かせるのは酷。身体的にも精神的にもね。この時トーリンは置いていくつもりの怪我人を歩かせながら、寝坊したボフール(身体的には健康)について「来なければ置いていく」と話している。そして船に乗ろうとしたところで怪我人を止める。
ボフールが寝坊したのは昨夜酒盛りしてたから。酒盛りをする暇はあったのに、怪我人をどうするか話し合ってなかったってこと。船に乗るギリギリでキーリに通達したから、先に乗り込んでいた医者が付き添うために下船した。だからドクターストップではないのも分かる。納得しないフィーリが食い下がったように、本当にギリギリで決まったことだった。エスガロス側も14人分の物資を提供済みなのだから、あとはその中でドワーフたちがやりくりすること。怪我人の介添えを頼みたいなら昨夜の内に打診しておかなきゃ。
寝坊助の姿を見たトーリンにある考えが頭をもたげた──もし船に乗る前に起きて追いついてくれば全員で一緒に行く。でも追いついて来なければキーリを遠ざけるチャンスだ。寝坊助を看護人と見なせば置いていく道理は立つ──とね。置いて行って正解だったのはあくまで結果論。
──なぜ甥っ子たちは、自分の後釜争いを始めずにいられるのか。もしこのままキーリを連れてって、自分より先に石にふれたら。そして自分に渡さなかったら──だから遠ざけておきたかった。
”リベンジ” ではなく ”アベンジ”
【拙訳】
トーリン「まだだ!まだ見つかっていない!」
バーリン「ここに裏切り者がいるとでも? "アーケン石"は我らが一族に生まれついた皆の特権です」
トーリン「あれは王の宝石だ。私は王で無いか!? もし石を見つけ抱え込む者が現れたら、私への『正義の鉄槌』となる」
見つからないアーケン石について、バーリン、ドワーリン、ビルボと話す場面。日本語版では「許すまじ」系の訳で、許さなきゃどうすんのかってとこが謎だったけど、実際にはavengeと言っている。マーベルのアベンジャーズのアベンジ。「正義の鉄槌」。リベンジのような「仕返し」ではなく、何らかの「正義」を持ってすること。要するにトーリンを排除するための「都合の良いお墨付きを与えてしまう」。
【拙訳】
トーリン「ドワーフ七氏族の軍が誓いを立てたのは王の宝石を"アーケン石"を掌る者へだ」
石さえあれば、有ること無いこと騒ぎ立てても、正義(正統)としてまかり通るだけの権威がある。石さえあれば、政敵を「国家の敵」に仕立てるなど造作もない。石さえあれば「黒いカラスも白くなる」。石さえあれば、継承順位の優劣は何とかなってしまう。
その上、首飾りでスランドゥイルの支持は買えてしまう。元々は行方不明のスラインを想定しての提案だったけど、もちろん首飾りさえ戻るなら甥っ子たちでもちっとも構わない。
キーリは危険視されていた では兄フィーリは?
過去回でキーリの視点は解説したね。血のスペアだと自覚するからこそ、花嫁探しに出たかった。でも他の一族やトーリンの立場の視点では、どうしてもキーリのそれは権力への野心ではないかという疑念が拭えなかった。
母が心配してタリスマン(お守り)を持たせるわけだね。では母は兄フィーリには何もお守りを持たせなかったのか。いくらレゴラスたちが調べても武器以外のものは出てこなかったけど…
否。
母は「弟こそお前のお守りだ」と言ったのです。
「常に一緒にいなさい。兄弟を引き離そうとする者がいれば、たとえそれが誰であろうと決して従ってはならない」とね。だからこれまでずっと離れてこなかったし、伯父の命令も蹴ってキーリと一緒にエスガロスに残った。
登場しない妹王女の存在感
トーリンが本当に恐れているのはこの妹王女なんだよ。なぜなら現状、彼女が兄トーリンを差し置いて実質的リーダーになっていると推察できるからね。
だって、この旅で王位継承権持ち全員が出張ってしまったら、残った民を誰が束ねるのか。またそれ以前にも…
一作目のプロローグで昼間(空が明るい)からトーリン自身が鍛冶仕事に出てしまっている
二作目の冒頭では捜索隊を派遣するのではなく、トーリン自身が従者もつけず一人で父を探しに出ている(粗末な食事をしている)
父が行方不明ならトーリンがその代理で忙しいはず。デイルに避難した後のバルドは朝から陳情攻めになっていた。だからトーリンのこれらの行動が示すのは、不在でも仕事は回っちゃってるということ。
過去回で、トーリンが石を手に入れれば従者は利得を得ると解説したけど、それはあくまでこの旅限定の話。もう一歩踏み込んで「旅が終わった後」まで長期的視点で考えてみれば話は変わってくる。トーリンは結婚しなかったから、跡取りも後ろ盾となる外戚もいない。トーリンの跡は妹王女の息子が継ぎ、そのまた子孫へと繋がっていく。おいしい思いをするのは妹王女の夫一族(外戚)。トーリンは「いつになったら甥っ子に継いでくれるの?」なレームダック(死に体)。誰ひとり妹王女の不興を買ってまでトーリンに味方する利得はない。
【拙訳】
トーリン「あんたも他の皆と同じか。父が死んだと考えている」
つまりはトーリンの父の帰りを待つ姿勢では、生活再建もままならず民は困っていた(だから誰もスラインを探しに行くトーリンについて行かなかった)。
そしてトーリンが結婚していないため空席のファーストレディの役割は、トーリンの妹であり、未来のリーダー(フィーリ)の母でもある妹王女が担った。むしろそのような立場でありながら知らぬ存ぜぬでは済まないからね。
そのために元々「長い歴史の中ではフィーリまでの繋ぎでしかないトーリン」のレームダック化がより進んでしまった。トーリンからすれば、今までの価値観なら王位継承権のない王女が出しゃばることなど許されなかったのに、エレボールが滅び、父もいなくなって「これ幸い」と、妹王女が野心をむき出しにし、兄を排除するつもりにしか見えなかった。
【拙訳】
バーリン「既に民のため立派に働いてくださってる。"青の山脈"に我らの新たな生活基盤を築いた。それは平和で、豊かな生活で、"エレボール"の全ての黄金より価値ある生活だ」
表向きトーリンを立ててはいるものの、裏で実質的に物事を進めてるのは妹王女だって意味ね。本当に全員が豊かな生活ができているなら、トーリンは父を探しに出た際、もうちょっとマシな食事できただろうからね。
トーリンの行動原理
外戚という絶対的取り巻きのいないトーリンに妹王女との権力闘争は不利だった。だから余計に父に帰ってきて欲しい気持ちが強かった。
【拙訳】
エルロンド「あの家系の狂気の気質は根深い。彼の祖父は正気を失い、父も同じ病に屈服した。トーリン・オーケンシールドだけは堕ちないなどと断言できますか?」
エルロンドの言葉でトーリンが打ちのめされた表情をしているのは、最後の砦だった父も当てにできないのだと突き付けられたからだよ。「憎いエルフが好き勝手言いやがって」ということなら単に怒れば良いからね。
【拙訳】
ガンダルフ「『報酬を約束する』」
トーリン「何の報酬だ?」
ガンダルフ「そなたの首──誰かがそなたの死を望んでおる」
一体誰がレームダックの首でも大金を支払ってまで欲しがるか。アゾグなら個人的な復讐のためにありえるかもしれない。でももう死んでいるはず…とすると、あとは「兄の寿命を待つのが面倒になった妹」以外あり得ない。もはや父を探している余裕はない。自分は殺される。エレボール奪還だけがこの権力闘争に勝つ唯一の方法だ──だから旅を決意した。だからこの旅に妹の夫一族は参加させなかった。だからキーリもエスガロスに置いて行った。なのに見つからないアーケン石。どんどんトーリンは追い詰められていってしまった。
誰も彼も自分に群がり奪っていくハゲタカだ。これ以上自分から奪わせはしない。エレボールが滅びたのは自分のせいじゃないのに…自分のものを取り返すだけなのに…自分は被害者なのに…──それがトーリンの主観的事実で行動原理だよ。自分のものを取り返すための協力を募ると、コストが掛かって更に目減りするのが許せないんだよ。
【拙訳】
トーリン「私の呼びかけに応えてくれたんだ。忠義、名誉、意志…それ以上求めることなどできない」
掘り下げ条件で「利得は目に見えないものではないこと」と示したよね。忠義、名誉、意志…どんなに美辞麗句で飾ろうとも、これらは霞で実体はない。つまりトーリンに実利を払う気はなかった。ビルボとの契約書にも最低保証金はなかったよね。
アーケン石の価値が 七分の一に
【拙訳】
ドワーリン「"くろがね連山"のドワーフ達は何と? ダインは来てくれるか?」
トーリン「彼らは来ない。お前たちの問題だ。お前たち一族だけの──とのことだ」
故に他のドワーフ氏族との応援交渉も決裂した。本来彼らにはスマウグのリスクを上回る利得があった。これまでアーケン石を持っている氏族か否かで上下関係があったけど、現在所有者のいないアーケン石を協力して獲得するなら、アーケン石の共同所有者になる大チャンス。政治的には美味しい話。
でもそうなってしまえば一人が権勢を振るうのではなく、7人の合議でなければ動けなくなる。トーリンは嫌がった。
だから他の氏族も降りた。彼らにとっては自力でアーケン石を保持できない者を上に据えておく利得はない。「ならば自力で俺らを従わせてみろ」で終わってしまった。
トーリンが陥っている不安
権利と義務は一体であり、自由と責任は一体である。そして自由をもたらすのは科学の発展である。
故に科学の未発達な世界で結婚しない自由を行使すればこうなってしまう。ただ妹王女の方も、女性で生まれたために王位継承権はなかったけど、セットで兵役もなかった。
トーリンは自分のものになるはずだった過去に固執して動けず、受け継ぐ物のなかった妹は過去に拘らなかった。この手の意識の差は民も一緒で、過去に拘り生活再建が遅れる者と、諦めて生活再建していく者に別れる。そんな未来志向の波に乗り切れず取り残された者たちが10人の従者たち。政治思想の保守派と、報酬に釣られてついてきた者たち。
10人とトーリンは、エレボール奪還を目的として一致してたものの、それぞれ戦ってる相手は片や「妹王女」片や「未来志向な進歩主義的流れ」だったから、最初からボタンのかけ違いはあった。そしてやがてその違いは無視できなくなった。
【拙訳】
バーリン「"竜の病"だ」
違うのです。竜の病ではないのです。無視できなくなった違いを「病気のせい」にしようとしただけで。
【拙訳】
ビルボ「貴方は変わったよ、トーリン!」
変わったんじゃなくて、変われないことが問題なのです。
【拙訳】
バーリン「ついて行くのはこの御方しかいない。我が王はこの御方しかいないと」
この時、まだスラインは生きていて死んだとも思われていない。存命中からスラインを差し置いてトーリンを王だと思っていたのか。本当にそこまで思っていたのなら、二作目の冒頭でトーリンを一人旅なんかさせやしない。そうじゃなくて、エレボール奪還と聞いて熱狂し、勝手に理想の軍人王を期待し、勝手に幻滅しただけ。
トーリンから見れば、一人旅させてたくせに唐突に持ち上げ、自分を持ち上げるために父スラインを貶め、キーリとも仲良くする。彼らは信用に値しないんだね。
【拙訳】
ガンダルフ「"エレボール"に進軍せよとスラインに発破かけてやった。ドワーフ七氏族の軍を集め、竜を倒し、"はなれ山"を取り返せとな。同じ事をそなたにも言おうかの──故国を取り返せ」
ガンダルフも「スラインに言ってダメだったからトーリンに言う」のであれば、トーリンがダメだったら次はフィーリに言うよね。つまり王位継承権さえあれば誰でもいい。
自分は誰からも必要とされていない──トーリンはそう感じている。
だから、ならず者たちが契約書交わして自分の首を取りに来るとは信じたのに、ビルボが契約書通り仕事するとはなかなか信じなかった。誰のことなら信じられるかではなく、もはや周りに存在するのは自分を害する動きだけ…そう思ってる。トーリンもタウリエルと同じく居場所に確信が持てず不安だった。
他の王族で替えがきくトーリン
臣民の一人でしかないタウリエル
個性として望まれることは叶わず、見捨てられ不安に苛まれてる。それにどうケリをつけるか。それがこの二人の物語なんだね。
ドワーフ三代とも ”竜の病” ではない
【拙訳】
エルロンド「彼の祖父は正気を失い、父も同じ病に屈服した」
エルロンドはそう言ったものの、スラインは監禁されていただけと分かるし、原作においてスロールに竜の病設定はない。
これらは全て『酸っぱいブドウ』だよ。バーリンがトーリンを「病気のせい」で納得しようとしたのと同じように、スロールの行動を理解できなかった者たちが「病気のせい」で納得し、それが伝言ゲームになってるわけ。
最初は、一向に首飾りをスランドゥイルに引き渡さないスロールの姿に困惑したエレボールのドワーフたちとスランドゥイルが。そしてその話がスランドゥイルからエルロンドへ情報交換として。スラインの行方不明も、モリアに地理的に近かったのはガラドリエルだから、そちら経由でエルロンドの耳に入り、スランドゥイルの情報と併せ、竜の病に違いないと見立てた。その見立てがガンダルフや、立ち聞きしていたトーリンとビルボ、そして観客に伝わってるんだよ。
スランドゥイルに首飾りを引き渡さなかった理由
首飾りの正体については一周目考察でやった通り。
では冒頭で示される、スランドゥイルの目の前でパタンと蓋を閉じるあの「嫌がらせ」は何だったのか。
──きっかけはエルロンドです。
【拙訳】
エルロンド「よくぞ参られた、スラインが令息トーリンよ」
トーリン「知り合いではないと思うが」
エルロンド「そういうところ祖父君によう似ておられる。"山の下"を統治していた頃のスロールと知り合いでな」
トーリン「だがその祖父の口に貴殿の名が挙がったことは無い」
なぜモリアより遠いエレボール時代に知り合いだったのか。何せ裂け谷とエレボールの間には、あのスランドゥイルが鎮座していて、闇の森をすっ飛ばして仲良くするのは難しい。
でももし、もしも仲良くできるなら…闇の森に対しグンダバド攻めの件を、裂け谷とエレボールによる挟み撃ちな外交圧力かけられるかもしれない。それを狙ってスロールと接触を図ったのです。だってさすがに一度断られただけですぐに最後の切り札(同族殺し)を切りはしない。まずはもうちょっと穏便な方法を試してみるよね。しかも近くにはおあつらえ向きに中立の街エスガロスがある、ときたもんだ。
ただグンダバド攻めの話は「王妃の出産予定日までに」という条件があったからエルロンドも返事を急いた。当然スロールは唐突に降って湧いた同盟話を訝しんだ。探りに行きたいけど遠すぎる上、熟考している時間もない。何かてっとり早く真意を探る方法はないか…
そう、それがあの「嫌がらせ」なんだね。
つまり「対闇の森同盟」のお誘いなんだから「裂け谷を探れないなら、闇の森を探ればいいじゃない」ってわけ。あれは嫌がらせが目的なんじゃなく、どんな反応をするか見ようとしたんだよ。
普段のスランドゥイルはクチが立つからズケズケ言うよね。それがなんと一言も返さずに踵を返した。
その反応を見たスロールは「なぁんだ…これまで闇の森を大国だと思っていたが、エレボールに対抗できないようだ。そしてその闇の森にすら一国では対抗できないのが裂け谷。ならば同盟は不要」そう結論付けた。だからスロールにとっては本当にそれっきりで、以降は歯牙にも掛けなかった。「祖父の口に貴殿の名が挙がったことは無い」と聞いてムッとしたような間があったのは、その通りさすがにムッとしたから。あの戦争はそれっきりで済む軽い話じゃなかったからね。
そしてもう一つ重要なこと。もしこの同盟が成立していれば、裂け谷はモリアへ援軍に駆けつけた。世の中上手くいかないもんだね。だからエルロンドは必死で「病気だから仕方がない。スランドゥイルもそう言っていたし」と納得しようとしたわけ。
さらにもう一つ。この一件でスロールはエレボールの国力を過信してしまい、東側の4か国の均衡を覆しにかかった。
スランドゥイルの反応を見たら「冗談だよ」と言って納品するつもりだった首飾りを、更に手元に置いて挑発し、「竜が来るぞ」と喚くスランドゥイルを、土下座して来るまで無視することにした。
何せこの地域の情勢は、おさかなが不安定要因。魚食をする国の本音は「川上からエルフがいなくなってほしい」。リアリズムにおける合理的な国家は、決して自分たちの安全保障を有利にするチャンスを逃がしはしない。
だからスランドゥイルが踵を返したのは失策以外の何ものでもなく、あれで闇の森の安全保障を揺るがしてしまった。
ただスランドゥイルの視点では、子供が生まれるという時に戦争は持ち込まれるわ、出産祝いにケチは付くわ、あまりに不吉だし──いや待て。今この瞬間、王妃の身に何か起きてるのではないか──いても立ってもいられず一刻も早く国へ戻ろうとしてしまった。そしてその姿がスロールからは「尻尾を巻いて逃げるように見える」と気づく余裕もなかった。
最初の嫌がらせと、それが長期にわたったことは、別の話なんだけど、スロールの意図が分からないスランドゥイルや庶民階級のドワーフたちは、ただただその行動に戸惑った。それがこの映画における竜の病の正体なんだよ。
フィーリの視点
さて弟はもう散々やったんでお兄ちゃんの方。
伯父に言わせれば、クチ開けて待ってれば家督継げるんだから、自分に従順だろうし、従順であってほしい。はっきり言って、外戚からもキーリからも離して連れていこうってのは、要するに人質です。
だってトーリンが石を手に入れれば、でしゃばりな妹王女を反逆罪でアベンジできる。妹王女がそれを阻止しようとするなら、トーリンが旅に出たあと刺客を送り、旅が失敗したよう装えばいい。そこでフィーリを連れていくことで、妹王女に対し、エレボール奪還は兄妹共通の利得であり、いざってときはフィーリも道連れだ、と示したわけ。
ただ人質になるってことは、死なれると困る存在だってこと。だからフィーリはこの旅が終わった後を見据えていた。伯父はこの旅に全てを賭けているから、失敗すれば死んでそれっきりのつもりだけど、フィーリの方は「自分は生きて失敗の尻拭いしなきゃいけない」と心得てたわけ。
【拙訳】
トーリン「いつの日か王位を継いだら、お前にも解かるだろう」
そのとき、自分の力になってくれるのは誰か。
歳を考えれば伯父も母もいつまでも頼りにはできない。母は何故「弟こそお前のお守りだ」と言ったのか。キーリが自分の右腕だと確信するからこそ、兄は伯父の命令を蹴ってエスガロスに残った。いつの日か王位を継ぐからこそそう決めた。
最終回のまとめ
トーリンは旅に出る前から問題を抱えており、エレボールに着いたことで竜の病を発症したのではない
保守層がトーリンに抱く理想(虚像)が観客に伝わっている
スランドゥイルの目の前でパタンと蓋を閉じる「嫌がらせ」には意図があり、嫌がらせとそれが長期に渡ったことの理由は別
理解できない行動を「病気のせい」で納得しようとしたのがこの映画における"竜の病"の正体
最後に
さてこの物語ののちバルドはデイルを再興し王位につく。それはエスガロスに魚の輸出先が復活することであり、この地域にあの均衡による安定が帰ってくることだ、と分かるよね。
トーリンは竜の病から立ち直ったのではない。「エレボールを奪還したのになぜ王になれないか。王になるとは一体どういうことなのか」それに自分の中で答えを出した。
【拙訳】
ガンダルフ「王の下で立て直しておる」
そしてその姿を見たガンダルフは、初めて彼を「王」と呼ぶのです。
了
映画『ホビット』EE版(エクステンデットエディション版)の考察です。
考察は一定のルールに従って行っています。
掘り下げは日本語版ではなく、原文(英語/エルフ語)で行っています。英語とエルフ語に齟齬がある場合、エルフ語を優先。エルフ語については出典を示します。英語は自力で訳しましたが精度は趣味の域を出ません。
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