#7 なぜ“黒い矢”は必要だったのか──スランドゥイルの虎の尾を踏んだギリオン
そんなわけで、ルールに従って淡々と掘り下げていくと、ちゃんと矛盾なく収まる。つまり弩砲(”風切り弓”と”黒い矢”)以外にも竜を倒す方法はある。
でも真似したくはない。
第7回目はじゃあ"黒い矢"の意義は何なのさ?ってとこ掘り下げてくよ。
そもそも”エレボール”こそ自国にバリスタを配備すればよかったよね。なのにバリスタは”デイル”にしかなく、ドワーフたちは剣や槍といった近接武器だけで対峙してた。「ウロコは現存するどんな鎧よりも硬い」と知っていたはずなのに。では逆にデイルがバリスタを配備した理由は何だったのか。
──闇の森からの接触です。
スランドゥイルがエレボールに進軍した冒頭のシーンに至るまで
グンダバドを東側から攻めるなら”闇の森”に根回しが必要だったね。当然、冒頭のシーンでも、隣国デイルに根回ししなければ、エレボールへの進軍は叶わなかった。エレボールが経済封鎖されればデイルだって影響を受けるからね。
ただデイルにとっては、首飾りの問題さえ解決すれば「確実に竜に襲われなくなる」なら協力しようもあるけど、エレボールの溜め込み過ぎたお宝の中から首飾り一つばかり減っても、まだまだスマウグがお宝の中に潜って昼寝するに魅力的な量であることに変わりない。それに竜が本当に来るのか、いつ来るのかも定かではない。
分かるのは、闇の森のプライベートな事情で、巻き添えで経済を引っ掻き回されることだけ。デイルからすれば国益がないどころの話ではなく、もちろんスランドゥイルの根回しを突っぱねた。
利得を提示できないならやることは一つ──そう、脅迫です。
スランドゥイルは(二作目でトーリンに対してやったように)顔の傷跡を見せ“北方の竜”の話をした──味方しろとは頼んでない。すっこんでろ、と言っている。我々もデイルを竜から助けてやる余裕なぞない──とね。
【拙訳】
ビルボ「炭…化?」
ボフール「ああ、竜は一瞬で骨から肉を焼き切れるからな」「翼の生えた炉みたいなもんさ」「閃光が走り、焼けつくような痛みがパッと一瞬。後は灰の塊しか残らない」
【拙訳】
バーリン「だが竜の鱗は硬く、現存するどんな鎧よりも硬かった」
大体、灰になった当事者はもう語ることはできない。この「焼き切れる」「ウロコはどんな鎧より硬い」という話は、王妃を目の前で灰にされ、自分も大火傷を負ったスランドゥイルだからこそ言い切れた話なんだよ。あれだけ深い火傷なら、その部分は痛覚までやられてしまっただろうからね。改めて言うけど、スマウグは誰ひとり一瞬で灰にはしていない。
バリスタはギリオンがスランドゥイルから聞いた"北方の竜"の話を元にドワーフに依頼したもの
ギリオンは本気になった。スランドゥイルのことを差っ引いても、竜が襲来した時どうするかは考えておかねばならない。何せエレボールは目と鼻の先。これは自国に差し迫った危機だ──そこで考え抜いた国防と外交の一手、それが弩砲の開発依頼なんだね。
表向きデイルのために作ってもらい、スランドゥイルをいたずらに刺激せず、でもドワーフに関わってもらうことで竜のヤバさに気付いてもらいたい。気が付いてエレボールもバリスタを配備してくれれば、二ヶ国で竜対応できて万々歳。もし気付いてもらえなくても、デイルだけは対ドラゴン用の武器が手に入る。どっちに転んでも損はない。
残念ながらドワーフたちは気付けず、デイルに納品しただけで終わっちゃった。それがこのセリフに繋がるんだね。
【拙訳】
トーリン「あの日、その人間の腕前が正確だったならば、随分違った結果になっていただろう」
竜を倒すって言うから作ってやったのに、倒せなかったばかりか性能のせいにされてる──そう彼らは憤慨したんだね。
そしてこのバリスタの威力不足は正に「北方の竜の話を元に製作したから」こそなわけ。前回、北方の竜の大きさをざっくり割り出し、スマウグ(推定全長100m前後)よりは小型(推定全長26m~34m)だろうって話をしたね。
その位の大きさの竜ならこのバリスタで仕留めることが出来たんだね。
エスガロスの憤慨
そしてドワーフだけじゃなくエスガロスも憤慨した。中立主義というのはざっくり戦争当事国に対するもの。首飾りで揉めているのは闇の森とエレボールであって、デイルは当時国じゃないし、スマウグは生物であって国ではない。エスガロスの関心は兎にも角にも魚の輸出先。
…であるならば、エスガロスはデイルと『対ドラゴン同盟』を組むことができる。デイルが戦って、エスガロスはその後方支援をするといった具合のね。エスガロスは何もしなかったのではなく、『対ドラゴン同盟』を組み、魚の輸出先維持のため手を尽くした。だから同盟国であるデイルの難民を受け入れた。中立を守ってエレボールのドワーフたちには関わらなかった。
故にギリオンから見たら、エスガロスへの合流は当然であり「ご厚意で受け入れて頂いた」ものではない。再軍備についても対等な同盟国として話しているつもりだった。
でもエスガロスから見たら、得られたものは何もないのに、デイルを丸抱えする羽目になって苦しく、ギリオンは移動民族の論理を理解してくれず、勝手に動くという状況。両者はこじれていった。
さてこの『エスガロス魂』vs『デイル魂』。ギリオンが途中まで進めていた再軍備を凍結させ、『国家の敵』とし、仕事からあぶれさせた決定打…つまり、ギリオンの一族を失脚させ、両民族の争いをエスガロス側勝利に導いた要因は何だったのか。
──闇の森の後ろ盾(介入)です。
平和を叫ぶだけでは 戦争を防げない
要はスマウグ襲来で崩れてしまったこの地域の均衡が、その後どうなったか、という話ね。
【拙訳】
バルド「ええ、それで戦争を避けられるのなら」
実は、戦争反対なバルドこそ本来は戦争に近かった。このどん底のエスガロス。領民から見えるのは、経済を立て直せない統領の、自分ばかり儲けて闇の森に媚びへつらう姿。不満を溜めた領民たちは選挙を考え始めていた。
【拙訳】
バルド「統領の儲けは全て森の王国から来ている。スランドゥイル王の怒りを買う前にお前たちを投獄するだろうよ」
【拙訳】
アルフリド「いつでも皆のために戦います、庶民を守りますってか、バルド? 人気者なのは今だけさ」
庶民にとって生活に密着した問題は分かりやすい。でも外交は?
さてここで再びダム問題。もしも闇の森がダムを作るといい出したら、現職の統領とバルド…両者はどうやって街を守る?
闇の森相手に商売している統領は「掘り出しもんがありまっせ!」「お安くしときますよぉ」という手を外交カードに、ダム計画を考え直すよう交渉してみる余地はある。
片や闇の森の空き樽運びをしているバルドは「じゃあ仕事クビね」と言われたらオシマイ。
利得を提示できないなら──そう、脅迫です。瀬戸際政策。現状バルドが闇の森から譲歩を引き出すために出来る手段は戦争をチラつかせることだけ。元々潜在的な恐怖のあるエルフに対し、その脅威とナショナリズムを煽って。
考えてみれば魚の輸出先なくなって既に数世代。持ち堪えてるだけで奇跡だね。領民たちは「選挙しよう」とは言っても「陸に上がろう」とは言わなかった。彼らは根っからの移動民族で陸に上がる決断ができない。
【拙訳】
統領「彼らが魚臭い中で暮らしているのは、わしのせいじゃない」
歴代の統領はたとえそれが「土下座外交」と蔑まれようとも、自分の稼ぎで大国と渡りあい、陸に上がれない漁師たちを守ってきた──とまぁ…そうスランドゥイルに思わされてきた。
というのも「浪費家のスランドゥイルを手玉に取れている」と統領が思い込んでいてくれるなら、それでしか交渉して来なくなってスランドゥイルにとっては都合がいいんだよ。あえて浪費家のイメージをばら撒くいわゆる『饅頭怖い』作戦。それによって両国の懸案は金銭に置き換えられ、軍事衝突せずに済んでいる。
一度で竜に懲りるエルフの賢さ と 機械化を閃く人間の賢さ
だから闇の森にとっては、バリスタ開発を思いつき再軍備を進めるギリオンの方が厄介だった。
トールキンはエルフを賢いと設定しているけど、彼らの賢さってのは「車輪の再発明しない」類のもので発展性には乏しい。
【拙訳】
ガンダルフ「これは"ゴンドリン"で鋳造されたものじゃ。第一紀に上のエルフの手によってな。これ以上の物など望めませんぞ」
【拙訳】
エルロンド「"オルクリスト"──ゴブリンを切り裂くもの。西方の上のエルフが打った名高い剣です、我が一族のね。貴殿のお役に立つでしょう。そしてこちらは"グラムドリング"──敵を打ち砕くもの。ゴンドリン国王の御佩剣です」
ゴンドリンはかつて中つ国に存在したエルフの大国。約6,400年以上前のこと。つまり未だに6,400年以上前の物より良いものがないってこと。
現実世界の6,400年前を考えれば「スランドゥイルが欠伸している間にエスガロスは核武装完了」は充分有り得る話。ギリオンの一族を没落させることで、スランドゥイルとエスガロスの利害は一致。ギリオンは『国家の敵』となり失脚した。
そしてスランドゥイルの方は、ギリオンの一族を空き樽運びで飼い殺しにしてるようで、いざという時のカードとして繋がりは持っておいた。統領に対し「頭を挿げ替えるのはいつでもできるんだぞ」という牽制のためにね。どちらの首根っこもスランドゥイルが押さえた。
統領:スランドゥイルの傀儡
ギリオンの一族:統領牽制のための保険
エスガロスが非武装中立の街として、近隣4か国の秩序が保たれていた時代とは打って変わって、闇の森とエスガロスの二ヶ国しかなくなってからの新しい秩序は、川下が川上のご機嫌を取りながら耐え忍ぶ屈辱の時代になった。
好戦的に見えても抑止 善意に見えても抑止
だから三作目でスランドゥイルがエスガロスの難民に救援物資をくれるのも、対等な同盟として扱ってくれるのも、善意とか竜を倒した事への敬意100%な理由ではないんだよ。
バルドは被災直後にレゴラスに会っても救援を求めなかったし、レゴラスもタウリエルも本国に救援要請などしなかった。それが両国のお互いに対する素直な態度なんだね。両者は「いっそ居なくなって欲しい」敵国同士だからね。
だから三作目でスランドゥイルが廃墟のデイルに進軍してきた時点では「揉めてるドワーフ」と「殺気立ってる難民」のところに突っ込んでくる味方のいない状況だった。それで穏便に済むよう、まず夜のうちに静かにデイルを制圧してしまい、難民たちが気付いたときには「もはや抵抗は無駄だ」と諦める状況を作った上で、救援物資の提供という譲歩をし安心させた。
逆にトーリンは「闇の森とエスガロスのどちらか一方にだけ約束の物を渡す」という手を使って両者の同盟に楔を打ち込むことが出来た。そうすれば全額払うより安く済んだのに、スランドゥイルはそれを警戒してたのに、みすみすその機会を逃してしまった。
難民たちにとっては、助けてくれるならエルフでもドワーフでもどっちでもいい…いやどっちかっつーと、本音では将来的におさかな買ってくれるドワーフと仲良くしたい。ということはこのドワーフが帰ってきた今この時、ゼロからスタートな難民とドワーフが同盟を組んで「この際、川上からエルフを排除しよう」となってもおかしくない。だからそれを防ぐために、スランドゥイルは難民を丁重に扱っているわけ。そのおかげで、ダインが援軍にくるまでは軍事衝突は起こらずコントロールされていた。
【拙訳】
スランドゥイル「射手は場についているか」
エルフ兵「ついております」
スランドゥイル「命令だ。山で動く者あれば──殺せ」
殺せって言ってたくせに?──はい、ガンダルフがそう心配しただけのこと。このくだりはただの夜間警備の話だよ。複数の懸案を同時にさばいてるから、会話が混ざってしまってるだけ。
【拙訳】
ボフール「エルフたちは弓隊の配備中だ」
ビルボ「だね」
ビルボがエレボールを抜け出す寸前のシーン。ビルボとドワーフたちはエルフの動きを把握していた。その上で特に臨戦態勢になく、この会話の後ビルボはスランドゥイルの陣に向かったね。エルフの射手たちはエレボールを狙ってなかった。
そのシーンが暗すぎるので明るくして確認したけど、見渡す限り誰もいない。ちなみに現代のアーチェリー競技における最長は90m(公益社団法人全日本アーチェリー連盟)。どんなにエルフが身体能力に恵まれていようと、中つ国には現代的なライフルも、暗視スコープも、光学照準器もない。
【拙訳】
スランドゥイル「我の間違いでなければ…この小さき者が、我が衛兵の鼻先から牢の鍵を盗んだのであろう?」
ビルボ「…そうです。あの時はすみません」
だから指輪も使わずに潜り込むことができ、嫌味だけで許して貰えた。
それにいくらエレボールの玄関口を埋め尽くしても、ロングボウでは石の砦は崩せない。オークは投石器持ってきたし、最終的にドワーフたちが自ら石の砦を崩して出てきた時も、巨大な鐘を振り子のように使って突き崩した。
トーリンが降伏しなかったのは、スランドゥイルの軍は所詮見かけ倒しで攻め込んでこられないと見透かしていたから(とは言えハリネズミにされるから出て行くことはできない)。実際スランドゥイルが狙ってたのは兵糧攻めだったしね。
でもダインが援軍に来ちゃって、オークまで進軍してきちゃった。脅すだけのつもりが本当に戦闘に突入してしまったというわけ。
【拙訳】
ガンダルフ「儂が何をしようとしていると!?」
スランドゥイル「懇意のドワーフたちの助命に奔走していると思っていますよ。彼らへの誠意には敬意を表しますが、我に方針を変えさせるものではない。やめさせたいのは解りますが…ミスランディア──その前に我が終わらせたら許されよ」
スランドゥイルが頑なにガンダルフの忠告に耳を貸さなかったのは、グンダバド攻めの時に保証人としたのに保証にならず、結果として王妃を死なせてしまったからだね。あの一件で両者の友情と信頼にはヒビが入った──二度と同じ轍は踏むまい。“緑葉”(レゴラス/首飾り『ラスガレンの白い宝石』)は必ず我が手で取り返す──とね。
そのレゴラス、グンダバド攻めの時どうしてた? 次回
今回のまとめ
バリスタはギリオンがスランドゥイルから北方の竜の話を聞き、ドワーフに依頼したもの
スマウグを貫く威力がなかったのは、より小型な北方の竜の情報を元に製作したため
エスガロスはデイルと『対ドラゴン同盟』を組んでいた
一度で竜に懲りるエルフの賢さにとって、機械化を閃く人間の賢さは脅威であり、スランドゥイルはエスガロスと組んで、ギリオンの一族を『国家の敵』として失脚させた
スランドゥイルは浪費家のような悪いイメージを外交カードとして利用している
スランドゥイルは好戦的ではなく、むしろ抑止に動いている
魚の輸出先の無くなったエスガロスは、川上のエルフの傀儡として細々と命を繋いでいる
保証にならず王妃を死なせてしまったことから、スランドゥイルとガンダルフの友情と信頼にはヒビが入ったままである
映画『ホビット』EE版(エクステンデットエディション版)の考察です。
考察は一定のルールに従って行っています。
掘り下げは日本語版ではなく、原文(英語/エルフ語)で行っています。英語とエルフ語に齟齬がある場合、エルフ語を優先。エルフ語については出典を示します。英語は自力で訳しましたが精度は趣味の域を出ません
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