見出し画像

#3 魚を食べないなら川上から出て行け──闇の森とエスガロスの地政学『エスガロス魂』

それでは前回の続きから、映画『ホビット』EE版の考察。助けに来なかった者たちについて。

スマウグに襲われる”エレボール”を助けなかったのは、スランドゥイルだけじゃなかった。実際には同族のドワーフを含め、誰ひとりとして助けには来なかった。

人間たちの国”デイル”がスマウグに応戦したのは、あくまで巻き込まれた自国を守るため。

[Bilbo:] Such wanton death was dealt that day, for this city of men was nothing to Smaug; his eye was set on another prize. For dragons covet gold, with a dark and fierce desire.

プロローグ──The Hobbit: An Unexpected Journey Extended Edition

【拙訳】
ビルボ「それは理不尽な死だった。スマウグにとって人間の街に価値はなく、その眼は別の獲物を捉えていたのだから。邪悪で貪欲な竜はきん垂涎すいぜんしていた」

ガンダルフも助けてくれなかった。映画では助けてくれるけど、それは情勢を読んでのことで、ドワーフにだけ特別に肩入れしているんじゃない。

[Gandalf:] Smaug owes allegiance to no one. But if he should side with the enemy, a dragon could be used to terrible effect.

白の会議にて──The Hobbit: An Unexpected Journey Extended Edition

【拙訳】
ガンダルフ「スマウグは主を持たぬ はぐれ者じゃが、もし敵側につくようなことになれば恐ろしい効果を発揮しようぞ」

戦う気のない ”エスガロス”

そしてエレボール周辺にはもう一つ、”エスガロス”という街があるよ。ここはスランドゥイルたち”闇の森”のエルフたちよりエレボールに近い。でもやっぱり助けに来なかった。

エレボール周辺地図
エレボール周辺地図 この4ヶ国の中ではスランドゥイルが一番遠い

以前、拙作のフード解説動画(※福田里香氏のフード理論を参考)において、エスガロスは不況に陥っていると話したね。スマウグによって魚の輸出先であるエレボールとデイルが滅んでしまい、買い手のない魚が余っちゃってんだよね。

こういう時こそ集団的自衛権。自国の経済を守るため、命を懸けてエレボールに駆けつける意味は(結果がどうあれ)あった。でも来なかった。

しかもこの時に駆けつけなかっただけじゃなく、今度は三作目において、自分たちがスマウグの標的になった時でさえ、バルド(とその息子のバイン)以外、誰ひとり戦わず逃げ惑っていた。武器庫もあったのに、誰ひとり武器を手に取ろうという気概すら見せなかった。なぜ彼らは戦わないのか?

だってエルフが魚を食べないから…

もちろん、冗談ではなく真面目な話。

エルフが魚を食べない(ベジタリアン)というのは、原作にはない映画オリジナルの設定。そして実はこの小さな設定変更によってエスガロス周辺の情勢は一気に不安定になってしまう。

川の下流域という地理条件は、川上から流れてくる生活排水や工業廃水、ダムの建設等の影響を無視できないからね。現実世界での実例として、ナイル川の上流に作られたダムを巡る下流域国と摩擦を挙げておくよ。

映画ではこの小さな設定変更によって「漁師の街の川上を、よりによって魚食に興味のない者たちに牛耳られている」──そういう構図を作り出したんだね。

実は考察一周目だけでは飽き足らず、考察二周目をやり始めたのは、ここを語りたかったんだ。

そしてこの街の在り方『エスガロス魂』が二周目の考察の核になるよ。

魚を食べないエルフと漁師の街 の地政学

エスガロスという街の特徴はざっくり以下の通り。

エスガロス全景
エスガロスは湖の上に組んだやぐらの街──映画『ホビット』より
  • 構成種族:人間

  • 湖の上に組んだやぐらの街

  • 湖は川下にある

  • 経済基盤は湖での漁

二本の川が流入
エスガロスのある"たてのうみ"には二本の川が流入

この湖には二本の川が流れ込んでいて、末永く漁師として生きていけるかは、湖の環境に掛かっている。でも上流はよその国のもの。もし先述の実例のように、上流の国がダムを作ったとしたら? 治水や飲み水の確保 vs 漁師の生活──互いの利己的な事情が真正面からぶつかり合うことになる。

魚食する国しない国
魚食しないエルフが西の川を単独で牛耳っている

この時、東の川沿いのエレボール(ドワーフ)とデイル(人間)は魚食する。魚はこの三ヶ国共通の利得になるため話し合いの余地がある。片や魚食しない相手とは、互いの事情が相手には何の利得もなく、一方的に譲歩を迫りあう水掛け論になる。その国が自国内で何をしようと他国に止める術は(その国に攻め込んで実力で阻止しない限り)ない。結局、川上のやったもん勝ちになってしまう。エスガロスの存亡は、”闇の森”のエルフに握られちゃってんだね。

ならば、いっそ魚食をする三ヶ国で『おさかな同盟』を組んで、エルフたちを闇の森から一掃してしまえ……るならいいけど(そういうのを現実世界では「民族浄化:異分子を"取り除き"コミュニティを同質の民族のみにしようとすること」と呼ぶ)、エルフだって座して死を待つわけじゃない。『おさかな同盟』なんて、わざわざ「おさかな食べられなくなると困るんです」と公言し「報復には湖の環境破壊が効果的ですよ」と教えるようなもの。

魚食しないエルフが湖の環境破壊を思いとどまる理由はない。しかも本当に環境破壊しなくても、その手のデマだけで魚の価格は乱高下。元手もかからず三ヶ国に経済的打撃を与えられちゃう。

となると、もうエレボールとデイルは、国民の胃袋を魚に頼るなんて怖くてできない。畜産や豆といった陸のタンパク質がいい。食糧を自給できるようになるのも大きい。つまり三ヶ国による同盟は成立しない。エスガロスはスマウグ以前に、エルフに川上を取られた時点で魚の輸出先を失っている。チェックメイト(詰み)なんだね。

  • エスガロス ⇒ 闇の森「湖の環境を破壊されそうで不安で堪らないから、いっそ川上からいなくなって欲しい。我々は漁師として生きていきたい」

  • 闇の森 ⇒ エスガロス「魚食しないだけで森から追い出されそうで不安で堪らないから、いっそ川下からいなくなって欲しい。我々は森で生きていきたい」

両国が相容れることは永遠にない。相手の心は見えない、最大の利得は「生存」という中で「生存を確信できない」ってこと。どれだけ恐ろしく耐え難いことか…当事者たちを追い詰めることか──映画化でのほんの小さな設定変更が、地域を巻き込んだ一触即発の事態を招いちゃってんだね。

中立主義という立ち位置を確立し 外交カードとせよ

このチェックメイト状態を打開する方法として出て来るのが「中立主義」。資金洗浄やら、租税回避やら、諜報活動やらで独特の立ち位置を確立してたりする。今回の場合は「『おさかな同盟』なんか有り得ませんよ」という意思表示にもなる。

[Thorin:] I remember this town and the great days of old. Fleets of boats lay at harbor, filled with silks and fine gems. This was no forsaken town on a lake! This was the center of all trade in the North.

トーリンのエスガロスでの演説──The Hobbit: The Desolation of Smaug Extended Edition

【拙訳】
トーリン「この街の古き良き時代を良く覚えている。シルク、そして宝石を満載した船が、港で列を成していた。この様な見捨てられた街ではなく、北部における全ての交易の中心だった」

水辺が交易に向いているのは、遠くまで楽に運べるから。海や大きく流れの穏やかな河川のことだね。あの湖ではエスガロス以外に運べる先もない。闇の森を流れる西の川も、ドワーフたちが流れていったシーンを見るに、あまりの急流で運搬には向かない。湖直前までは物品を陸路で運び、そこからエスガロスでの取引のためだけに舟に乗せ、また陸路を帰るだけなら不便極まりなく、自然発生的に交易の中心になる地理ではない。

それでも尚「北部における全ての交易の中心」足り得たなら、他に何かそこに集まるだけの利得があったから。すなわち中立の恩恵を受けたいものが、舟に乗せる手間をかけても勝手に集まってくる状況だったんだね。

エスガロスは中立主義によって、闇の森のエルフにとっても利用価値のある隣人になり、魚以外の外交カードを持つことができた。両者の緊張関係が和らいだことによってエレボールとデイルも魚を輸入できるようになった。

この状態がこの地域の均衡状態。中立の街だからスマウグの襲撃に関わらなかった。

やぐらを捨て 舟を死守せよ──『エスガロス魂』

そして、ならばいっそのこと非武装中立までいってしまうのが都合よかった。

エスガロスはそもそも例え戦争が起きても籠城作戦をやるのは難しい。やぐらの上では農業や工業が困難なため物量に劣り、定期的な修繕も必要で、櫓自体への攻撃も有り得る…ときたもんだ。常に他の国より一つ選択肢が少ない状態なんだね。

ただ、もし櫓が破壊される事態に陥っても、舟と自分の腕前さえ残れば(湖に魚がいる限り)すぐ仕事に復帰できる。むしろその二つを失ったら、湖上の櫓だけ残ったって仕事にならず、生活再建は遅れる。だからエスガロスの軍事ドクトリンは「舟で逃げ、空っぽのやぐらを敵に明け渡す」

統領宅の隠し扉
スイッチは燭台に 扉は本棚に 偽装されていた統領宅の避難路──映画『ホビット』より

櫓だけなら命懸けで守る価値も、敵にとって占領する価値もない。つまり彼らは定住しているように見えて本質は移動民族なんだね。実際、バルドは家の下に仕事とは別の小舟を用意していたし、統領の邸の避難路は隠し扉になっているよ。この移動民族の論理を以下『エスガロス魂』と名付けるよ。

[Thorin:] You will have enough gold to rebuild Esgaroth ten times over!

トーリンのエスガロスでの演説──The Hobbit: The Desolation of Smaug Extended Edition

【拙訳】
トーリン「"エスガロス"を十回以上再建できる程のきんをお分けするとお約束します!」

だから「やぐらの修繕10回分、エレボール持ち」ってのは有難いよね。これ請求書を回せばいい話で、それだけの重量のきんを、本当に街に置いておくんじゃないよ。強盗に狙われやすくなるし、それだけの重量は持って逃げられないし、現に統領は貯め込んだ金を持って逃げようとし、逃げきれなかったよね。

エスガロスはスマウグの襲来によって魚の輸出先を失い、中立がもたらす立ち位置も失い、不況の真っただ中。また昔のように魚を買ってもらいたいんだね。

今回のまとめ

  • エスガロスは非武装中立の街

    • 中立⇒ 魚食しないエルフに川上を取られているから

    • 非武装⇒ やぐらより舟の方が大事だから

  • 非武装中立だからスマウグの襲撃に二度とも戦わなかった

  • エスガロスの民が望んでいるのは目先のきんではなく魚の輸出先

  • エスガロスは移動民族であるが故の考え方と視点を持つ⇒「逃げるが勝ち」な『エスガロス魂』

  • 闇の森のエルフとエスガロスは互いに「いっそ居なくなって欲しい」永遠の敵国同士


では、なんでエスガロスは自分で選んだ非武装中立なのに、デイルの領主ギリオンに文句を言ってるの?ってとこを次回



  • 映画『ホビット』EE版(エクステンデットエディション版)の考察です。

  • 考察は一定のルールに従って行っています。

  • 掘り下げは日本語版ではなく、原文(英語/エルフ語)で行っています。英語とエルフ語に齟齬がある場合、エルフ語を優先。エルフ語については出典を示します。英語は自力で訳しましたが精度は趣味の域を出ません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?