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結局、欲しいものって何なワケ?

生まれ育った実家は所謂アッパーミドル層で、でも私は少しも欲しいおもちゃを買ってもらえなかった。

本は欲しがれば欲しがるだけ買い与えられた。小学校に上がると同時に百科事典と国語辞書も買い与えられた。父が最初に私向けに選んだ小説は小川未明や坪田譲治などの文豪の書いた童話集で、私は繰り返しそれを読んだ。だから私の「今」がある。
私は二宮金次郎みたいに本を読みながら歩いて登校する子供だったし、周囲はそれを指差して笑った。だけど私にとって「周りの子供」がそんなに魅力的でなかった時期が長かったので気にならなかった。

何故「周りの子供」がそんなに魅力的でなかったか。
彼女らは「欲しいおもちゃ」や「欲しい服」を買い与えられていたからである。
……つまりは僻みなのだが。

セーラームーンのおもちゃから、プレイボーイのハイソックスまで。
私は「ちょっと欲しいもの」は与えられなかったし、しかも私が「いちばん欲しいもの」は本なので、少ないお小遣いも全部本に消えていた。
貯金箱に投げ込んだ小銭をそのまま両手で大事に抱えて持って本屋に行き、『デルトラ・クエスト』の新刊を買ったことを昨日のことのように覚えている。
村上春樹も江國香織も伊坂幸太郎も荻原浩も、母が買っていたから、私は児童書だけにお金を使えた。

これは嫌味ではなく、まあ何と恵まれた環境だろうか!
文学を志す人間にとって何より大事なものが溢れた幼少期だった。

しかし私が恵まれなかったものがひとつ。
バスタイムの環境だ。

実家の風呂は広い。
身長160センチの私が顎先まで湯に浸かっても膝を曲げる必要が無い。
「家族全員で仲良くお風呂に入れるように」と母が望んだ末の設計だが、これが「広い風呂」であることを知ったのは奇しくも両親の離婚後、母にくっついて入った先の県営住宅でだった。
バランス窯の、屈葬されたような気持ちになる小さなお風呂。今となってみれば、あれはあれで肩まで浸かってもガス代がそこまで掛からないので良いものだ。

広いお風呂でも、狭いお風呂でも、また前の夫と暮らした薄暗いお風呂でも、何処でだってそこになかったものがある。アヒルちゃんだ。

皆様もアニメや映画で見たことがあるだろう、お風呂に浮かべる黄色いアヒル。
私はあれに猛烈な憧れを抱いていた。

Round1:

「ねえ」

何とかのひとつ覚えみたいに『メタルギア・ソリッド』をプレイしていた当時の夫に声を掛ければ彼は「なに」と無感動な声を出した。視線は画面に釘付け。

「お風呂にアヒルちゃん買って良い?」
「だめ」
「何で」
「お前片付けないから」

とりつく島もない。そもそもアヒルちゃんのいるべき場所はお風呂なので、片付けも何も無いのに。
しかし私は家父長制に従順に、ゴリゴリの儒教家庭で育てられたので諦めた。

Round2:

「ねえ」

無言で父と夕食を囲む中、唐突に声を掛ければ父はパッと視線を上げた。

「お風呂にアヒルちゃん買って良い?お風呂に置くから一応聞く」
「だめ」
「何で」
「だめなものはだめ」

とりつく島もない。父は私の親とは思えないぐらい言語化というものが下手なので、理由すら説明してくれなかった。
勿論私は家父長制に従順に、ゴリゴリの儒教家庭で育てられたので諦めた。

ちなみに子供の頃も許されなかったし──「お金の無駄」──、母との暮らしはそもそも役所からレトルトの親子丼を送ってもらうほど貧しかったので買うための資産が無かった。

さて時は流れて2023年6月。

私は初めての一人暮らしに踊り狂っていた。
ひとりで音楽を流して踊り狂っていたが、そのうちそこにミラーボールまで設置された。友人のユンちゃんが引っ越し祝いのほしい物リストから送ってくれたのだ。これは重要度が最高に設定された物だった。人として当たり前に、一人暮らしの家にはミラーボールが必要だ。

同じく引越し祝いのほしい物リストの重要度最高に位置付けられたのがアヒルちゃんだった。

私は今も当時も生活保護受給者より金が無い。
しかも当時は引っ越したばかりで物が入り用で、今より更に金が無かった。同情した友人のモカちゃんが私にウーバーイーツでケンタッキーのチキンを送ってくれるほどに困窮しており、しかも私はそういった友達に恵まれていた。

かくしてアヒルちゃんは、Tさんというアカウントもわからない女性から我が家に贈られてきた。その節はありがとうございました。
なお、Tさんはその後、度々ほしい物リストを送ってくれるありがたい支援者となってくれるのだ。


クナイプの海を泳ぐキャプテンの勇姿

見ろ!この堂々たる貫禄を!

名前を「キャプテン」という。
「キャプテン」とは、私が中学生の頃、繰り返し繰り返し、開き癖が付くまで読んだ児童書『ふしぎをのせたアリエル号』で主人公・エイミーと共に冒険をする人形の名前だ。ありがたくそこからいただいた。
多分大人でも号泣するので興味がある人は是非読んでみて欲しい。
私は中学生にもなって、月齢二ヶ月の赤ん坊の頃から抱えて寝ている「ぺそぺそのいぬ」のぬいぐるみに読み聞かせをして裁縫針でつつき、「どうして」と蹲って泣くほどこの物語に没頭した。そんな奇行に及んだ理由はネタバレになるので書くのを控えさせていただくし、このくだりは詳しくは後述とする。

キャプテンがいるお風呂は最高だ。
私はサラ湯に浸かるのがあまり好きではないので、入浴剤で色と匂いをつけた湯に浸かる。その上を滑るように泳ぐキャプテンと、防水のスピーカーから流れるお風呂用のプレイリストのフレンチポップ。

面倒臭がりの私は夏場はシャワーで済ませてしまいがちなのだが、残念なことに私の身体は毎日湯船に浸からないと体調管理ができない。
キャプテンがいればキャプテンが活躍できるようにお風呂にお湯を溜めるし、キャプテンを汚い湯に放つのは上官命令に背くことになるので追い焚きも一定回数以上繰り返さない。
キャプテンさえいればバスタイムが完璧になるのだ。

幼い頃から欲した物を大人になってから手に入れるというのは気分が良い。
私にとっては、「友達」というものそのものでさえそうだ。

話は『ふしぎをのせたアリエル号』に戻る。

何故私が執拗にぺそぺそのいぬを針で突いたか。
「友達」と認識できる相手がいなかったからだ。

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