人事評価で「B」と言われて、うれしい人はいない

僕は経営者なので人事評価で「A、B、C」といった評価を付けないといけません。

でも、毎回こう思うのです。

「君はB評価だよ」と言われてうれしい社員はいるのだろうか? と。

期末の面談で「○○さんの評価はBです。理由をこれからお伝えします」とやるわけですが、そのときに「よかった」と思う社員はいるのかーー。

僕はそんな人は、この世に1人もいないと思っています。

むしろ「なんでAじゃないんだろう……こんなにがんばったのに!」と思う人がほとんどではないでしょうか?

ましてや「あなたはC評価です」と言われて「BやAになるようにもっとがんばるぞ!」なんて思う社員はいないでしょう。

「なんで俺がCなんだよ、ふざけんなよ」と思われて、さらにやる気を失うのがオチです。

僕はそれよりも「今期もご苦労さん。おかげで新しい期を迎えることができるよ」と言うことのほうが大切だなと思っています。

会社員のやる気がなくなる原因は「B評価」にある

世の中の会社員のやる気がなくなってしまう原因。

それは「B評価」にあるのではないか、とすら思います。

人事評価というのは、大半の人が「B」になるように設計されています。「Bでは申し訳ないから君はAマイナスね」というケースもありますが、いずれにせよ社員からすればあまりうれしいものではありません。

膨大な時間をかけて、そういう評価をすることの価値ってどれだけあるのでしょうか? 少なくとも僕は、あまり価値を見出していないのです。

ある経営者の方がこんなことを言っていました。

"ポテンシャルがA評価の社員がいたとします。でも、制度上「評価はBです」と言うことになる。それが3年も5年も「あなたはBです」と言われ続けたらどうなるでしょう? その社員は間違いなくポテンシャルも「B」になってしまいます。"

たしかにそうだなと思いました。

僕自身も「評価のおかげでやる気が出た」という経験がありません。経営者になってからも「評価することで社員が成長した」という実感がない。

だから、自分の中で人事評価の大切さがまだわからないのです。

評価制度があることによる弊害もある

人事評価って必要なのだろうか?

そう思いつつも、うちの会社にも人事評価の制度はあります。ただ、できるだけ人事評価にかける時間を減らしたいというのが正直なところです。

父が社長だった時代に、人事評価はありませんでした。

評価制度も、人事制度もない。就業規則はいちおうあったけれど、誰も見たことがない。そんな感じでした。

しかしその後M&Aをしたことで、異なる文化の異なる制度の人たちが集まってきました。給与体系もゴチャゴチャしてきた。そういう中で経営していくときに、ビジョンだけではどうにもならなくなったのです。

そこで組織を動かす制度やオペレーションを整備しはじめました。人事コンサルタントさんの力も借りつつ、いろいろな制度を整備していきました。

もともと、僕は人事評価はいらないと思っていました。ただ、制度がないときは「ない」ことに対して、社員は不満を持ちます。

一方で、僕は「制度があることによる限界」もずっと感じているのです。

制度があると、給与の数字や上がり幅が、ある意味、冷徹に可視化されます。すると「ああ、俺はこんなもんなんだ」「あいつは、こんなにもらえるんだ」というのが見えてしまう。

会社は給与の原資を適正に分配しないといけないので、便宜上は「A、B」などに分けます。ただ、それを社員に伝える必要があるかどうかはまた別の話です。

可視化されることが、ほんとうにいいことなのか? それはわからないな、といまも思っているんです。

人事評価によって、会社がよくなるならいいのですが、今のところ僕にはあまりその実感がないのです。

3000文字の「フィードバック」に力を入れる

「A、Bなどの評価」よりも力を入れているのが「フィードバック」です。

一緒に仕事をしていると、瞬間瞬間で「すげえいいじゃん!」とか「ここは惜しいな」と思うことがよくあります。僕はそれをきちんと伝えることを大切にしているのです。

フィードバックは文章でおこないます。1人につき3000文字から5000文字くらい。しゃべるよりも、文字にして書いたほうが伝わりやすいと思うのでそうしています。

僕が直接評価するのは部門長以上の人間です。よって、すべての事業会社の部門長以上15人に対して3000文字以上のフィードバックをすることになります。

「よくそんなに書けますね」と言われたりもします。

でも書き始めれば、別に苦にはなりません。それに、そもそも書くことがないような相手をこちらが評価してはいけないと思うのです。評価する人間として適任じゃない。「書くことがない」というのは「その仕事を評価できない」ということと同じだからです。

フィードバックは「いいところを褒める」というよりは「気づいてもらう」という感じです。

たとえば、うちの会社のバリューの中に「自ら事業を作る」という項目があります。それをそのまま解釈すると「新規事業を作っていく」という話になる。

でも、そのバリューを一般化・抽象化して、目の前の自分の仕事に落とし込むことも「自ら事業をつくる」ことにつながります。そこに自分ではなかなか気づけない人も多くいるんです。

そういう人に対して、僕はこうフィードバックします。

「君がやってるこの仕事のこの瞬間が『事業を作る』ということだと僕は思う。気付いてないと思うけど、あの瞬間が事業の扉を開くものすごいターニングポイントだったと思うよ」と。

日々のできごとを、僕の視点で多面的に捉えてフィードバックするわけです。

見える景色はみんなそれぞれ違います。もちろん僕が正しいわけではないけれど「僕にはこう見えるよ」というのを伝えてあげるのです。

数字や記号よりも、きちんと言葉で伝えたい。

もしかしたらそういう考えは古いのかもしれません。でも、僕はどうしても「あなたはAです」「あなたはBです」ということが「経営」なのだろうか、と疑問に思ってしまうのです。

人が人を「評価」することは可能なのか

人事評価制度については、いまだに僕の中でも研究テーマのひとつです。

どうにも社員とのコミュニケーションにとって、プラスになっている感じがしないのです。僕らの会社もそうですし、まわりの会社や社会全体を見ていてもそう思います。

もっといいやり方があるんじゃないか、と思うのです。

あとは、本当に「人が人を評価する」ということの限界というものも感じます。僕自身、「評価する」ということが、体感的に馴染まないというのもあります。

ここは、僕の経営者としての「欠陥」のひとつかもしれません。人事評価は必要じゃないと思いつつ、実際問題は必要になってくる。ここが僕の最大の弱点な気もするんです。

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