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与えられていた

 子供が生まれて、名前をどうするか、二人で話し合う。
 俺は、女の子だから、愛とかどうかなーと、提案してみる。
 すると、即却下される。
 「なんで?」
 「なに、愛って?」
 逆に訊かれる。
 「いや、愛、良くない?」
 「どう良いの?」
 「まあ、言葉が」
 「愛という言葉?」
 「そう」
 「じゃあ、愛ってどういう意味なの?」
 「意味?」
 「わからないの?」
 「いや、まあ」
 「わからないのに、愛とか言うの?」
 「うん、まあ」
 「そのよくわからない言葉を名前につけられて、娘はどう思うの?」
 「どうって…」
 「なんでそんなに無神経なの?」
 妻は呆れたように笑う。
 俺はそれに、イラッとする。
 言い返したくなる。
 だって、愛だろ?
 きっと愛に溢れる、素晴らしい女に育つんじゃないか?
 俺は父親として、そう期待してもいいよな?
 でもその理由で、妻を説得できるだろうか?
 呆れ笑いの妻を。
 俺は考える。
 まず、愛という言葉の意味が曖昧だ。
 だから妻が呆れている。
 でも、曖昧でいいじゃないか?
 だって、名前なんだから。
 名前ひとつで、まるで自分の存在が、丸ごと定義されてしまうような、そんな決定的な名前を、果たして生まれたばかりの子供に、つけてしまっていいだろうか?
 それとも、愛という言葉が否定されている?
 今時、愛なんて、古くさいとか、平凡とか、時代遅れ、つまらない、そういうこと?
 なら逆に、もっと今時の言葉ならいいのか?
 スマホとか?
 でもそれは機械の名前だし…。
 俺は考え込んでしまう。
 すると、妻が言う。
 「わからないの?」
 「そうだよ」
 「じゃあダメね」
 「いや、確かに名前は大事だけどさ、そんなに意味深でもしょうがないよな」
 「意味深?」
 「だから、もっと空想の余地というかさ」
 「子供は空想の道具なの?」
 「いや、だからさ。もっと好きに生きてもいいよ~的な」
 「好きに生きるって?」
 「なんか、楽しく」
 「楽しくって、アニメみたいに?」
 「そ、そう」
 「人生は物語じゃないでしょ。現実を生きないといけないの。私は娘には、しっかりと生きていってほしいから、薄っぺらな愛なんかで適当に誤魔化されるような子にはなってほしくないの」
 「……」
 「だからちゃんと考えて、言葉を」
 言葉を。
 つまりは、名前を、か。
 言葉は名前で、なにかに名付けられたもので、だからこそ、言葉は大切にしないといけない。
 じゃないと、名付けられたそれを、軽んじることになってしまう。
 適当に愛なんて、言うべきではなかった。
 ましてや名前なんて、俺は娘を軽んじるところだったのだ。
 言葉なんてありふれている。
 子供なんてたくさんいる。
 だから、愛なんかも軽んじられる。
 でも、それではダメなのだ。
 ちゃんと、名付けないと。
 俺が、そうされたように。
 与えられたように。

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