咲き乱れる言の葉とフィロソフィの花。

チャイムが鳴る。ガラガラと聞きなれた音をたて、教室の戸が開く。先についていた生徒はこちらを一瞬見ては元の場所へと目を戻す。その程度の、ありふれた話。僕が君に恋をしたことも。彼が彼女に告白したことも、あの人があの子と交わったことさえ、ありふれた話で。鞄を降ろすことと同じように堕胎する人間がいる世界で僕らが生きていることはどれほどの奇跡なのだろう。まぁ、生きている側の人間にしてみたらそれは確立の話で思考に行きつく前に消え去ってしまうのだろう。
インターネットの電波に乗って運ばれ、消費されるばかりのコンテンツと化した人間のアイデンティティはいつの間にか消費されることが評価の対象になってしまっている。消費される少女たちはいつしか少年を男にし、夢と現実を向けるのだ。
世の中は非常なもので、声を聴く耳を持つのに聞くことができない人間もいれば、大声に毒され、口があるのに何も言えないものも存在する。後者になってしまった者たちは、自らに刃を向け赤い涙を流すことで生と個を実感している。それは音のない叫びなのだ。まるで触れられないほどに繊細で驚くほどに透き通ったその叫びは、歪み、濁ってしまった畜生たちには触れられないほど神聖で思わず目を背けてしまう。だからこそ、その間にいる真っ直ぐな濁りを持つものが、代弁して叫びを届けることで、現在の純粋な人は生を保たれている。
争いの絶えないこの世の中は、国、都市、会社、学校、人、全ての社会の中で静かな争いが起こり続けている。見えない銃で撃ち、撃たれ。愛や恋で負傷する戦士たち。何を信じて何を疑うべきか。生まれた時から変わることのできない彼らは、どう生き、どう足掻くのか。生き続けることが正義なのか、死ぬことが悪なのか。奪うことは悪で、守ることは正義か。はたまた正義と悪なんて存在しないのか。
そんな言葉すら、嘘かもしれない。

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