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関係性に名前をつけなくちゃだめ?この関係って何?-空の思想から考えてみた-

12月第2週!月曜日担当のあおいです。
前回書いたはじめてのnoteたくさんの人に読んでいただけて本当に嬉しい限りです。

嬉しさに浸って達成感を感じきってしまったのですが、(あぶないあぶない)継続していくことが目標なので今回も書いていきます。
改めてよろしくお願いします!


この関係性なんて呼べばいいのか問題


私は3兄弟の長女なのですが、小さい頃からずっとお姉ちゃんお兄ちゃんが欲しかった、、!


その願望からか学生時代は部活の先輩サークルの先輩に懐くように。


今まで味わったことがない、自分のことを可愛がってくれる年上のお姉さんお兄さんが新鮮で嬉しかったんです。

そしてそれは現在も続いていて、、、
この日替わりnoteの6人もみんな私より年が上のお姉さんお兄さん達。

私が最近、というか数年思っていたけど曖昧にしてきたこと。それは、この関係性なんて呼べばいいのか問題。自分の中で名前をつけられない。

いやむしろつけたくない??

今までは部活の先輩・サークルの先輩・職場の先輩のように名前で括れていたのですが、、

みんなとは地元が同じでもなければ小中高大が同じだったわけでもない。仕事も違う。
この人たちをなんて呼べばいいの?友達


うーーん。



私にとってみんなは年上で
人生の先輩
呼び方は〇〇さんだけど
敬語で話すわけでもない。

だけど友達と呼ぶのもなんかおこがましい気がしてしっくりこない。(昔からの先輩っ子が続いている。)

みんなを言葉で括るとなんなんだろー。
この関係性に名前をつけるのもなんか違和感があるなー。

人に軽く説明する時にこの問題がよりあらわになるんです。


どんな関係なの?
それどういう人達


え。なんて言えばうまく説明できるだろう。

とりあえず先輩!って言ってみるものの、自分の中で毎回腑に落ちないまま。


東洋哲学が解決のヒントになる??

お世話になっているお兄さんが、(ここでもうまく説明できず)普段から言語化ができず抽象的なことを考えすぎる私に、あおいにぴったりだよ!
と薦めてくれたこちらの本。

ブッダを元に6人の東洋哲学者をわかりやすく説明している本。読みやすくて面白いので気になる方はぜひ読んでみてください。


この本の第2章「龍樹の哲学」で述べられていた、「空-くう-」の思想を読んで、
あれ!これ私の疑問に通じる?!と思い、
空について調べてみました。

「空-くう-」の思想

まず龍樹(りゅうじゅ)について。

龍樹の肖像画

龍樹、こんな感じの人らしいです。

龍樹はインドの仏教学者で大乗仏教の基礎を確立した人物。空の思想を説いています。
原名はサンスクリット(古代インドに属する言語)のナーガルジュナ、漢訳名が龍樹で日本では漢訳名で呼ばれることが多いみたいです。

※以下「空」の思想についてまとめていきますが今回の説明はあくまでも個人的解釈になります。

「空(くう)」の思想とは、仏教の基本的な教えの一つで、物事には固定した本質や独立した実体がないという考え方を指します。

物や出来事はそれ自体で存在しているわけではなく、他のものとの関係や原因によって成り立っています。たとえば、木は種、土、水、太陽などの条件がそろって初めて育つので、木そのものだけで存在しているわけではありません。

これを空の思想から、「親友」に当てはめて考えるとどうなるのかChat GPTに聞いてみました。

親友とは、それ自体として独立して存在するのではなく、環境、状況、経験、感情といった多くの要素が絡み合う「縁起」によって成り立っています。もしその中の一つでも欠ければ、その関係性は異なるものになるかもしれません。これが、「空」の思想が示す「実体のない存在」の例です。

Chat GPTより


おお。確かに。関わる人、一人ひとりにそれぞれに多くの要素とストーリーがあるなあ。


物事には固定した本質や独立した実体がなくて、全ては関係で成り立っているのかー!
そしたらこの世界はすべて空??

でも、「実体がない」ときくと、

じゃあなにもないの?!全て幻、、??
そんなこと、なくない、、??

私はこんな感情になりまして。
この疑問に仏教はちゃんと答えてくれました。

「空」は、しばしば、何もない「無」という言葉と混合されがちですが、固定的実体が無いという意味であり、存在が「無」ではないという事が大切です。

「日蓮宗 いのちに合掌」
https://www.nichiren.or.jp/glossary/id133/


ああ。よかった。
とりあえず空の思想では、
存在が無いわけではないみたい。

実体がないって具体的にどういう意味??
こちらの回答が↓

全てのものは常に変化しています。一見「固定しているように見えるもの」も、時間とともに変わり続けます。私たちにも、肩書や地位、属性などが常に存在しています。
しかし、それは常に条件によってたまたま与えられているだけで、固定的ではなく変化をしていきます。人間関係は、私たちが心の中で「親しい人」「恋人」などと名前をつけることで作られています。しかし、このラベル付けも主観的なものであり、時間や状況によって簡単に変わります。
しかし、変化をしながら自分は存在し続けていきます。この変化しながら存在するという考え方が「空」です。

「日蓮宗 いのちに合掌」
https://www.nichiren.or.jp/glossary/id133/


なるほど!!!
これが仏教でよくいう「無常」ということなのか?!

と、まあこんな感じで。
空の思想についてざっくりまとめてみました。

大事なのは自分の心そのもの


ここまで概念的な説明ばかりになってしまったのですが、、私の中で1番しっくりきた龍樹の言葉があるので紹介します。

「この世のすべては、ただ心のみであって、あたかも幻のすがたのように存在している」

『大乗についての二十詩句篇』18


これを関係性に当てはめて私なりに考えてみると、、

・関係値に名前や呼び名、ラベルをつけたとしてもそれは幻のすがたのように存在しているだけ。

・そしてそれは常に変化していくもので、その変化も自分の心の中の主観的要素でしかないのではないか。

私はこの幻に名前を付けたくなくて、
でも自分でもうまく説明できず
この関係を表す名前ってなんなんだ!!!
ってなってました。


こんなこと考えなくて良くない???
考えすぎだよ!

よく言われます。私も思います。

でも、空の思想からみるとこの私の疑問っておかしくない、むしろ普通のことなのではないかとも思ってきました。


私が感じていたこのモヤモヤは言語化すると、
「名前をつけることへの違和感」であったけど、
人間関係もその時々の関係性が大切なのであって、わざわざ名前をつける必要はないかもしれない!と空の思想を少し理解して思いました。

名前よりも、「自分の心で感じていることそのものを大切にすればいいのでは」と。

さいごに


今回、空の思想を調べてみて私の周りにいるお姉さんお兄さんとの関係性についてあえて説明するならば、

○言葉にできないけど大切な人たち

〇変わりゆく時間の中で今の私にとってとても大事な人たち

こんな感じになるのかな〜。と。

龍樹ありがとう。
一旦ここ数年の疑問は自分の中で解決できました。

関係性について、空について、私の感覚で書いてきた今回のnote。ここまで読んでくださりありがとうございます。

みなさんの身の回りにいる大切な人たちのことを思いながら、空について考えてみてくれたら嬉しいです。

では、明日はよく一緒に哲学の話をするまひろさん!さようなら〜〜👋

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