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【短編小説】『自由を奪われた人間は必ず誰かを憎むようになる』

むかしむかし僕が大学生だった頃、バイト先で知り合った女の子とお花見をすることになった。笑顔がとても素敵な彼女で、それでいて、ふとした仕草にどこかしら陰があり、僕はそんな彼女がすごく気になってお花見に誘ったのだった。 

彼女は、僕の誘いに少し眉間に皺を寄せ、それなら京都の円山公園の祇園しだれ桜を夜に観てみたいと、了解してくれた。

梅田の紀伊國屋前で待ち合わせ、阪急電車に乗り、河原町駅から歩いて円山公園に着いた頃には、太陽は頼りなく沈みかけていた。

おでん屋の前に空いているベンチを見つけ、ふたりして腰掛けた。

冷たい春の夜はあっという間にあたりを包み込み、先程まで流れていたふわふわとした春の生暖かさはひっそりと影を潜め、ひんやりとした風がふたりの首筋をなぞる。

彼女は、お目当てのしだれ桜を観ながら「花冷え」って独り言のように呟く。
なんだか寂しそうだった。

ふたりは背中を丸めながら、オヤジみたいだねって、おでんをアテに熱燗のワンカップ大関をちびちびやっていた。

あたりには流しのアコーディオンが奏でる演歌や同年代の若者たちの叫び声などが入り混じり、ノスタルジックな混沌になんだか居心地が悪かった。

微妙な距離のふたりの会話は、授業の事やバイト先の店長の悪口など、大学生お決まりのどこにでもある他愛もない話。

そして、いつの間にか結婚の話題に。
当時の僕にとって、結婚というものは、将来の夢の一部であり、一人前になるということであり、どちらかと言うと理想に彩られた美しいワクワクするものだった。

僕は彼女に『君は早く結婚したい?』って尋ねた。
すると彼女は眉間に皺を寄せ『私はしたくない』とキッパリ。彼女が抱える何かかがいつも彼女の眉間に皺を寄せさせる。

『どうして?』と僕。
『私は自由でいたいの』と彼女。
『つまり結婚は不自由ってこと?』
『そう。当事者同士だけでなく舅、姑、家と家。関係者の数だけ不自由になるのよ。そして、そのうち誰かを憎むようになる』

僕は彼女の意外な答えに少し戸惑いながら、彼女の顔を見つめながら尋ねる。
『誰かを憎むようになる?』
『そう。妻は夫を憎み、夫は妻を憎み、そして夫婦はそれぞれの相手の家族を憎むようになるのよ』
彼女のその答えは当時の僕のキャパシティを大きく超えており、僕は言葉を失った。

周りの喧騒がだんだん遠ざかっていき、
春の冷たい沈黙がふたりにひっそりと寄り添いにやりと笑う。

風に舞いひらひらとおちてくる花びら。彼女はそんな景色を静かに睨みながらこう言った。
『人ってね、自由を奪われると必ず誰かを憎むようになるのよ。間違いなく。私はそうなりたくないの。』

『そんなものなのかな?』
僕は自分の理想が傷つけられたようにも思えて、少し反抗的に言った。

彼女は『そうよ。そんなものよ』
と、僕をみつめながら物分かりの悪い子どもを諭すように言いい、そしてワンカップ大関を一気に飲み干した。

よく、女性は現実的だと言うけれど、彼女の発言は当時の僕にとってはいささか衝撃的で、結婚に対するネガディブなイメージが否応なしにも植え付けられた瞬間だった。

その日から数日後に彼女はバイトを辞めた。それ以来彼女とは会っていない。

彼女は今でも独身で自由にやっているのだろうか?
そしてその生き方は果たして幸せなんだろうか?
今なら僕は彼女の眉間の皺を緩めてあげることができるのだろうか。

桜の季節になると必ず思い出す記憶と疑問と黒い塊。

なんだかワンカップ大関飲みたくなってきた。

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