「聖徳太子」に学ぶ「国防」・「安全保障」
○はじめに
2024年に新紙幣が発行されます。
1万円札には日本資本主義の父・渋沢栄一、
5千円札には津田塾大学の創設者で日本女性で初めて留学生となった津田梅子、
千円札には日本の予防医学の礎を築いた北里柴三郎が、
それぞれ新しい顔となる予定です。
では、
これまでお札の肖像になった人物で最多なのは誰かご存知でしょうか?
答えは、
戦前に2回、戦後に5回の計7回というダントツの「聖徳太子」です!
また、
聖徳太子は回数のみならず、発行期間においても戦後ではトップであります。
そのため、
聖徳太子は、長い間「国民に最も親しまれ続けてきた偉人」であると言っても過言ではないのです。
ところで、
聖徳太子がこれほど多くお札に採用された理由とは、一体なぜなのでしょう?
それは、ズバリ2つ。
1つ、
外交力により日本を「独立国」として存続させたこと。
2つ、
日本の「国防」「安全保障」の第一人者であったこと。
の2つです。
また、これはあまり知られていない事実ですが、
日本が「世界史」に登場・関わり始めたのも、聖徳太子からでありました。
今回のテーマ、「〜「聖徳太子」に学ぶ、「国防」・「安全保障」〜」では、
そんな「聖徳太子」に焦点を当て、「聖徳太子が築いた日本の礎」について、
主として、「外交」・「国防」「安全保障」、
また、それに伴う「対中(中国・中華)関係」について説明して行こうと思います。
聖徳太子の外交政策により、日本は国際政治に登場することになります。
ただし、
この場合の国際政治とは、主に中華王朝(当時は隋王朝)との関わりとなります。
聖徳太子の時代のみならず現代であっても、
外国と交わり交易・政治・文化交流を行うということで得られるメリットは様々ありました。
しかし、得られるものはメリットだけではなく、多くのデメリットも同時に受容することになります。
メリットとしては、
言わずもがな、経済的恩恵・先進的な政治・文化の受容など様々でした。
では、
デメリットはどのようなものだったのでしょう?
それこそが、今回のテーマでもある「国防」「安全保障」だったのです。
それもそのはず、
これまでは国内問題にだけ目を向けていればよかったという状況だったものが、
海外の国々(主に中華王朝)と交わることで、
いかに日本の国土と国民を守っていくか?という命題が浮上してくるのです。
聖徳太子の代名詞といえば、
法隆寺建立や冠位十二階・十七条の憲法などが挙げられるのではないでしょうか。
もちろん、それらの功績は国内政治に焦点を当てると、素晴らしい功績です。
しかし、
視点を国内政治から国際政治に切り替えると・・・、
遣隋使派遣による対中外交もまた、
聖徳太子の偉業であることがおわかりいただけると思います。
なぜなら前述したとおり、
海外の国々(主に中華王朝)と交わることで、
いかに日本の国土と国民を守っていくか?という命題、
つまり、
「国防」「安全保障」という問題が生じてくるからです。
そして、
聖徳太子は、対中外交により生じるメリット・デメリットという波を、
天才的外交センスと政治センスにより上手にライドオンし、
とりわけ、
「国防」「安全保障」というデメリットを見事に成し遂げた偉人でもあったのです。
次回・・・、
「国防」の重要性を理解していた「聖徳太子」
乞うご期待!