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【考察】どうして知能検査を受けたのか【動機】


優しくなりたい

それと

人生を通して抱いてきた違和感の正体を知りたかったから


これに尽きる


先日に引き続き、知能検査について

▼知能検査結果


今回は受けた動機について。
探したら私のような大人もいなくはないみたいなので、私が助かったように、誰かの助けになれば幸いと思います。

この孤独と孤立を救うのは共感のみですねほんと

そしてそれらが理解される日は来ないという皮肉つき


違えば許せる、同じなら努力しろと言える


今回の検査はどちらに転んでも私の精神衛生を保つ助けにしかならないとわかったのです

違う人間だとわかれば他者を許せるし

同じ人間とわかれば努力が足らねーんだよ、と言える

どちらでもいける、と

ただ、TOEICのように能力が数値として現れない人生なので今回もそうなんだろうなと思っていたので「まじか」とはなっている。
でもやっぱり総IQは低いという通常運転でもあった。

このバッドスパイラル、いつになったら抜けられるんだ




報われないフラストレーション


「評価…が必要なんですか?」と心理師に言われた

アホを抜かすな

人という生き物は「報酬」で生きている。
お金だけではなく共感など全て報酬のもと、生きていられる。
自分の渡したものに報酬が必要なのだ。

もちろん無償の部分もあるけれど、それは今回は割愛。

時給が低いこと、時間を取って人のためにしてあげたのに当たり前と思われること

これらは全て報われていないと思うに充分すぎる

心理師でそれわかんないのしんどい。

自分の能力を搾取され続けたら誰でも憤るだろう

自分の身を切ったものを当たり前のように扱われるから人は憤る

それは仕事でも友人関係でも恋愛でもすべて同じ

優しさ始め、自分の能力を軽んじられることが、「報われないこと」だろう

その報酬がお金なのか感謝の言葉なのか行動なのか、ただそれだけだ



社会人になってあと数ヶ月で3年


この3年で自分は分け与えられる能力を人より沢山持っていることを知った

最初の時給は1000円
それから1300円、最後は1750円

今は時給換算するとそんなものではない

社会人2年半でそこまで上げた

それを「偶然」だけで済ませたくなかった気持ちもある。
だけどもちろん、会社の人たちの優しさにも助けられた。

しかし私が優しくしてもらえる言動、行動をしたからとも言えるわけで

それは賢さなのか人間性なのか能力なのかはわからないけれど、ありがたいことに前職の上司は今でもそれを「全部素晴らしい」と言ってくれる。

お金は能力の絶対的評価に近い。
人が身を切らないと私に与えられない一番価値のある評価、報酬。

それを私に与えてあげないと、私のインナーチャイルドの、過去のミニえつこが報われないのだ。
それを満たしてあげないと私は本当の優しさを分け与えられないと思っている。

もう、口先での「すごいね」なんか、いらないのだ



自分を満たしてからあげられる


愛情というのはそういうものだと認識している

そのためにはまず自分自身が精神的にも物質的にも余裕がなければならない。
余裕が無いのに身を切って分け与えるからそれが期待となり「あれだけやってあげたのに」となる。

そんなことはもう思いたくない

ただただ人が、社会が良くなるために自分の能力を分け与えたい

そのためには私自身がある程度満たされてなければならない

そのために能力の客観的評価を求めてTOEIC知能検査を受け、知ることで仕事に活かしたい、少しでも他者を許す助けにしたいと思ったのだ。


お金を追いかけるな


「あなた、お金を追いかけたらだめよ、お金は結果だから勝手についてくるから」

「求めるなら、求めるな」

これらは過去-現在の上司に言われてきたことで、至極心に刺さる言葉である。

私のことなので守銭奴になることもなければ、なんなら今でも損なことをする。
でもそれも時制が現時点で損なだけで、今のその損、不都合を飲み込むことで未来の私の価値が上がると計算しているからだ。

そう納得していれば、高くはない賃金でも勉強させてもらっているから頑張ろう、と感謝できる

人間は思い込みの生き物なので認識さえ変えたら如何様にでもなるのだ

知能検査も性格診断も血液型もなんでも、指標にしか過ぎない

だけどそれが公的な力を持つことで説得力も上がる

いずれも物事を判断するための材料にしか過ぎない

こんな当たり前のことに、今更そんな説明しなきゃならんのか、と思わないように生きたい

優しくなりたいのだ

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