続・永すぎた春

放蕩の限りを尽くしたのだから、そろそろこの生活も終わりにしよう。

と、つぐみは思った。

6月の晴れた夜のことだ。

つぐみが住むのは小さな軽量鉄骨のアパートだ。裏が大家の家で、窓を開けると庭、一面の花畑。それが気に入ってここに住んだ。引っ越してきた日も、ニホンアジサイが咲いていた。ちょうど1年前のことだ。その日は確か雨だった。

この生活にさよならを告げるため、つぐみはナスを切った。夏が近づき、さすがの東京世田谷でも、野菜は安くなってくる。ナスは3本150円。ミョウガは198円。大根1/4は70円。ナス3本をまな板の上に並べると、つぐみは一気に包丁を入れた。

丁寧な生活のような気がする。

輪切りにしたナスを油で揉み、レンジにかけている間、つぐみはそう思った。うどんを茹でるために水を鍋に張り、ああそうだ、大根をおろさなきゃと買ったばかりのおろし金を出した。

ざり、ざり、と、音を立てて、大根は小さくなっていく。

この10日、つぐみは放蕩の限りを尽くした。6月8日から6月19日の間のことだ。しかしこの10日ほどで彼女が行った「放蕩」と言うのは、本物の放蕩者にしてみればつまらないことだった。曰く、「好きなだけ何かを食べたり、好きなだけ飲んだりする」。「好きなだけ、会いたい人に会う」。「やれる範囲で、好きなことをやる」。それは文字にして見ると非常に陳腐な標語だった。そして10日が経ち、彼女は気がついた。自分の考える「やれる範囲」と言うのが、がいかに小さくせせこましいかと言うことを。

「わたし、<好きなだけ、会いたい人に、会いたいと言うこと>すら、できなかったな。」

次のシナリオのセリフにどうだろう、と、つぐみはつぶやいた。大根をすりおろすのをやめて、湯だった鍋に冷凍うどんを入れる。冷凍うどんの茹で時間は1分。次のシナリオのコンペは3分作品だったな、と、時計を見ながら考えた。

言い忘れていたが、つぐみは脚本家だった。

演劇の脚本家だった。だった、と言うのは、彼女がもう物を書くことをやめたからではなく、今まさに映像の脚本家としてデビューし直そうと画策しているからであった。そのため彼女はバイトの合間にシナリオの学校へ行き、技術とコネクションを積み上げている最中なのであった。

よって、私はもう、演劇の脚本家ではないのだ。

うどんをざるに上げ、湯だった水を捨てる。もったいない、と、いつも湯を捨てるのをためらい、水を濁らせてしまうのは、つぐみが自分で自覚する悪い癖だった。今までの自分と違う自分になるんだから、うどんの水ぐらい捨てなきゃ。大家がこだわってリフォームしたというリクシルのシンクは、「ベコリ」と言う音も立てずに、ただ湯を流し、つやと光った。

よく水を切ったうどんは、美味しかった。ナスとミョウガと大根おろしを添えて食べた。カーテンを開けて、ニホンアジサイを眺めた。良い晴れた6月の夜。先週行った新潟でのお土産がある、と、気がついて、7日ほどしまっておいた日本酒「苗場山」を取り出し、蓋を開けた。実家を出るとき母親が持たせてくれた小さなショットグラスにとくとくと注ぐ。本当は、自分で飲むつもりじゃなかった。つぐみは少しためらいながら、グラスを舐めた。本当は、日本酒が美味しいのか美味しくないのかもよくわからない。驚くほど進まない苗場山は、グラスの中で、ぼんやりとニホンアジサイを透けさせている。

わたしね、と、つぐみは口を開いた。

この10日で気がついたことがある。わたしは、20歳から6年間、自分は「孤独」をつまみに「酒」を飲んでいると思ってた。だってね、わたしはいつでもさみしくて、いつでも好きな人たちにそばにいてほしくて。だけどもういい大人だし、それ言ったら、恋人も友達も、家族だって困ってしまう。この孤独を抑えなくちゃいけない。抑えて、抑えて、なんでもないふりをしなきゃいけない。でもね、お酒を飲めば、その孤独を隠さなくていいの!好きなだけ「さみしいよ」って言えるし、「ずっと一緒にいてよ」も言える。「帰らないで」も言えるし、「ラーメン食べよう」「うちにおいでよ」も言える。そうして、部屋の中で、誰かの寝息が聞こえる。それは男とか女とか恋とか性とか関係なく、ただそこに在るということで、わたしの孤独を抑えてくれる。

グラスが揺れる。

……でもね、それってもう「孤独」に酔ってるって状態だったんだよね。酔ってるっていうのは自己憐憫って意味じゃなくて、自分で自分のことをコントロールできない状態ってこと。シラフじゃないってこと。

つまり、わたしは長い間、「孤独」と「アルコール」をちゃんぽんしてたんだよ!

いけない、大きな声を出しすぎた。と、つぐみは見えない隣人に目をやった。自分の喉が震えている。それを抑えることすらできない。軽量鉄骨のこの家は、信じられないほどよく響くのに。つぐみはソファから立つと、鍋を洗い始めた。けれどひねった蛇口の水のように、彼女の口は止まらない。

「わたしの……!」

どうかこの声を水音がかき消してくれますように。

「 「孤独」は……これからも、きっと、消えることは無い。誰かと一緒にいない時、それが一瞬だとしても……わたしの心は、「さみしい」という感情が占拠する。……きっと、子供が生まれるぐらいの大激変がない限り、変わらないだろう。だから……だから、きちんと自覚すること。自分は最初からシラフじゃないって。孤独でいつでも酔っ払ってるって。だから………もうお酒は飲まなくてもいいって、わかってる。わかってる……」

それでもつぐみは、苗場山を捨てることはできないのだった。

6月の晴れた夜が明けると、雨の朝だった。

今日も一日が始まる。昨日買ったヨーグルトにバナナを入れて、丁寧な暮らしを演じてみる。

昨日、口に出したことを、ざっくりとパソコンに書き留めていた。シナリオ教室の講師に、「小説も書いてみたら?」と勧められたからだ。

曰く、映画のシナリオと、演劇の戯曲と、小説は、似て非なるもの。

昨夜のモノローグを眺めながら、確かに、小説で書けることと、戯曲で書けることはまるで違う、とつぐみは思った。戯曲で必要なのは「シチュエーション」。誰がどんな場所でどんな空気の中、何を喋るのか。一方、小説は、きっと「エモーション」。使い古されつつある言葉がぴったりくるようなこのモノローグも、地の文を入れてしまえば、それなりに読めてしまうだろう。けれどそれこそ、小説の自由さ、無制限さなのだと、つぐみは思う。

このお話のタイトルはそう、「軽いアルコール中毒の女」とかどうだろう。怒られるかな、とつぐみは少し笑った。わたし、小説家にもなれるかな。

「やれる範囲で、好きなことをやる」その範囲を少しずつ広げていけるように、今日がある。

ニホンアジサイは雨に打たれていた。

・・・・・

「ちょっといい感じにまとめすぎじゃない?」

シナリオスクールの講師・各務原月子(かがみはらつきこ)に、渡したばかりの小説の原稿を返されそうになったつぐみは、とっさに手を前に出し「ですよねえ〜!はは…」と笑った。

「各務原さん、読むの早いですねえ!」

「その、はは、って。文字に書いたみたいな笑い方さ、」

「はは………?」

「だからやめなって」

と、月子はつぐみの手をつかむと原稿を返した。

「都築さん」

「はい」

「我慢するってこと、覚えた方がいいよ」

「えっと…」

「ああ、こういう意味じゃなくて」

と、月子は原稿を軽く指した。月子が一瞬で読んだその小説はまさしく、「我慢すること」について書いたものだった。

「焦っちゃうでしょ、あなた」

「はい」

「ほら、食い気味じゃん」

「あー……」

「すぐにわかろうとしなくていいんだって」

「………」

「都築さんの頭の中にはさ、結論があるのよね。こうしたいとか、ああまとめたい、とか。そこに行きたすぎて、はしょってんのよ、過程を。演劇書くとき、どれぐらいで書く?」

「…構想に、半年。書き終わるのに2ヶ月とか」

「でしょ、それぐらい掛けるでしょ?」

なんと返そう、と、つぐみはうつむいた。それを見逃さなかったのか、月子はそっとかがみこみ、つぐみの目を直接見た。

「小説も一緒よ。掛けていいのよ、時間をさ。どれだけ短い作品でも。1日、2日で書き上がらなくていいんだから。これは?どんぐらい掛けたの?」

「5時間」

「ちょっと寝かせてみなさい」

そういうと月子はコーヒーを飲んだ。彼女の腕は白くて細い。

各務原月子、31歳。もちろん芸名だ。その美しい名前に負けず劣らず、彼女のその経歴もそこそこには華々しい。インターネットではちょっとした有名人で、シナリオの他にコラムもいくつか持っている。つぐみがこのシナリオスクールを選んだのも、彼女がいるとの噂を聞きつけてだった。

「戯曲はおもしろいんだからさ」

「読んでくれたんですか?!」

思わず大きな声が出て、つぐみはハッとなった。けれどそれ以上に喜びが体の中を跳ね回る。そのエネルギーは指先に向かったのか、先ほど見せた駄作の小説の原稿がくしゃくしゃになるぐらい握ってしまって、つぐみはまた「はは………」と笑った。

「読んだよお。読むでしょ、渡されたら。」

「嬉しいです……」

「シナリオもあれぐらい書けるといいね」

「……はい。」

月子は優しい。

「各務原さん、わたし今思うんですけど、自分が書けるジャンルに序列をつけるとすると、一番が戯曲、で、随分間を開けて次点がシナリオ、ドベが小説。これを、どうにかして、戯曲まで、レベルを持ってきたいんです!」

「うん。」

「それだけです!」

月子はわざとらしく口を歪ませて、「オチがないねえ」と笑った。その皮肉っぽい女の演技が、つぐみは好きだった。「好き」だった。それはまごう事なき、「好き」だった。本当の意味で、「好き」だった。

「都築さん、小説ね、ここをはじまりに、展開させてみたら?」

果たして展開などするのだろうか、この「好き」は。

梅雨はそろそろ明け、猛暑が近く予感ばかりの6月の終わりだった。


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