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「もっと遊べ」 母親が言う意味 

高校生の終わり頃から最近までの数年間にかけて、母親から「もっと遊びなさい」と口酸っぱく言われていた。
私は「これでも十分遊んでるよ!」と返答していたのだが、「あんたなんか全然や」と返されるのがオチであり、正直母親は俺が結構遊んでいることを知らないで言っているんだなと思っていた。
だが、最近になって母親の言う「遊びなさい」の意味が、私が理解している「遊び」と違うことに気づいた。すなわち母親の「もっと遊ぶべき」と発言する本当の意味」を理解することができていなかった。自分自身でこの言葉の意味を他人に言語化できるレベルで理解できるようになってから、母親は私にもっと遊べと言ってこなくなった。

今回は母親が考える「もっと遊びなさい」の意味を理解するまで私の過程を説明しながら、「本来の言葉の意味」について記載しようと思う。

私がよく母親からもっと遊べと言われていたのは高校生後半から大学生の3回生あたりまでだったのだが、私としては十分に遊んでいると感じていた。というのも、休日には友達とカラオケ・ボーリングに行くし、服の買い物もたまにはするし、女の子とデートもしていた。
少なくとも勉強ばかりする学生ではなかったし、むしろ勉強が嫌いで好きな教科はとことん勉強するが、嫌いな教科は全く勉強しないような極端な考え方をする学生であった。
とにかく、私は一般的に見ると進学校に通っている中でもトップクラスの不真面目学生だと自分では感じていたのだった。
こんな私に対してふとした時に「もっと遊んだほうがいいよ?」と言ってくる母親の言動は理解できなかったし、私がプライベートでよく遊んでいる事を全然把握していないのではないか?と思ったので、改めて私が普段どのような生活をしているのか(毎日その日起きた出来事について話すので全て把握されていたが笑)を伝えると共に、一度真面目に母の言う「もっと遊べ」という言葉の意味について話し合う機会を作った。

話し合いの中で母親が私に話してくれたのは、
「あなたには「体験」をする機会が少なすぎる」「「遊ぶ」の意味をはき違えるな。「遊ぶ」とは女遊びをする事ではない」という二点だった。
母親が高校生・大学生の時代にどのような遊びをしていたかを教えてくれることで、この理由の意味を明確にしてくれた。

まず「あなたには「体験」をする機会が少なすぎる」に関して、母親は「バイト経験」と「遊び」の二種類を持って話してくれた。

まず「バイト経験」に関して、母親はとにかくバイト経験が豊富で、高校生の頃から飲食店・高級レストラン・店舗スタッフ販売・リゾートホテル・サーカス団の施設でアンケートを取るといった聞いたことのないようなバイトなど、とにかく様々な経験をしていた。
この母親のバイト履歴に関する深掘りエピソードは、私の母親だからとかではなく、客観的に聞いてもどの話も面白くて本当に聞き入ってしまうほどだった。これらの話は今回あまりにも長くなってしまうので、別の機会に記載しようと思う。

次に「遊び」に関して、大学生の際には友達と一緒に様々な場所へ飛び回っていたらしい。バイトをして溜めたお金を持って、スキューバーダイビングをする為に沖縄へ・スノボをする為に各地の有名なスキー場へ・車の運転技術を上げるために山道や細道など様々な場所へ走らせる・船舶免許を取って船を乗り回す・ファッションが好きでブランドの服・アクセサリー・香水などを買う・旅行に行く・海外へ留学するなど様々な経験をしていた。
あくまでバイトで稼ぐお金は自分の経験の為に使っており、全ての「遊び」においてスケールの大きさが何よりの特徴だった。

母親はよく「今の若い子がメインでお金を使うことがカフェに行って話すことだというけど、一杯5.6百円もする飲み物にお金を使って何が楽しいの?私にはそんな高いお金を払えない」と言う。
私はおしゃれなカフェで時間を過ごすというのが今の若い子のお金の使い方であり、ただのジェネレーションギャップ(時代によって若い子が使うお金のベクトルに対する価値が変わった)だけだと考えていたが、母親の発言の意図はジェネレーションギャップなどというワケでもないし、高い値段を払って飲むコーヒーが悪いと言いたいのでもないらしい。

そもそも大前提として、母親はお金を使うときの思い切りの良さはそこら辺の社長レベルであり、普段はケチなのに使うときは豪快というスタイルが主だ。
普段は買い物のレシートと話し合いをしているのかな?と思うほどケチなのに、私が音楽をする上でピアノが必要となったらその日のうちに10万円ほどの大金を払って購入してくれたエピソードがあるそんな母親だ。

母親が「おしゃれなカフェにお金を使うな」という本当の意図とは「それでは何も新たな体験を生んでいない」、「新たな価値観や刺激を得ることができない」と言うことを言いたかったのだと思う。
カフェに行ったところでただ話すだけ。これでは限られた人生の中で自分の経験を増やす事や新たな価値観を見つけることはできず、ただ目の前にいる人のパーソナリティを理解するだけになる。時間・お金の両面から考えて、人生における費用対効果が悪いと言いたいのだと思う。
(もちろんケチだからこそ本心から飲み物に数百円も使いたくないというストレートな気持ちがあるのだと思うが笑)

おそらく母は無意識のうちに「経験」に対する浪費に価値があると考えて動いていたのだろうと思う。この「経験が大切」だということを私に伝える上で、言葉は違うが「あなたは体験する機会が少なすぎる」と言っているのだろう。
カフェで友達と話をする事や、カラオケ・ボーリングに行くのも良いが、それはいつでも何歳でもできる遊びであり、その時にしかできない。若いうちにしかできない。といった「若さ」を存分に使った遊びを私自身に求めていると私は解釈した。
「今のあなたの遊び方」では「新たな価値観や発見を得る事ができない」という事実を自らの経験を元に私に伝えてくれていたのだった。

次に「「遊ぶ」とは女遊びをする事ではない」に関して、これは言葉の通り「異性関係の交友」が遊びではないということを指している。近年はSNSの発達もあり、異性関係に関する恋愛沙汰を遊びと指す場合が多いが、母親はその遊びに関して意味が無いとバッサリ言い切っている。恋愛は若い頃に思い切り楽しむべきだし、そこで得た経験は良いも悪いも勉強にはなるが、その遊びばかりしている時間の使い方はカフェで高い金を払って何時間も友達と話すことと同じだよと教えてくれた。

結論として、母親は「新たな体験の数を増やして自らの経験値にする事」こそが「遊び」であり、「私の遊び」では全く「遊び」とは言えないからこそ、日常のふとした瞬間に「もっと遊べ」と伝えてくれていたのだった。

私はこの意味に気づいてからというもの、遊び方を今までと180度変えることにした。

これが可能になった背景には大学生で時間がある事と、今までの生活習慣を大きく変えてくれる友達と出会ったことが非常に大きい。
今までの生活習慣を大きく変えてくれた友達というのは、料理人になる為に沖縄から京都に出てきた同い年の男の子だ。

彼との出会いはと言うと、今から一年ほど前、休みの日に当時の彼女とダーツをしていた際のことだ。たまたま席が隣になったことで「隣に見た目がいかついやつがいるな」という認識はあったものの、彼女もいたこともあり彼に話かけるつもりは無かった。ある程度遊んだタイミングで彼女がトイレに行くという事だったので、隣でプレイしていることもあり一人で彼のダーツを見ていたのだが、彼の実力は非常に高く、見入ってしまうレベルだった。そんな彼が私の目の前でハットトリック(ダーツの真ん中に3回連続で決めること)をやってのけたので、思わず「すごいですね!!」と私が声をかけたことがきっかけで、今では出会って一年の仲とは思えないほど仲良くなることになる。

彼は昼13時30分から夜12時までを週6で行う鬼のハードスケジュールをこなしていたことと、家が近いことを理由に、基本的に彼の仕事終わりの朝1時から朝5時まで遊んでいる。
彼は現在労働時間が変わっており、昼12時から夜12時までを週6で行いながら、毎週2日、本来の料理人の仕事が終わった後、休憩無しで中央卸売場に行き朝から魚をさばく仕事を数時間行っている。もちろんその後数時間仮眠した後料理人の仕事を行う。
私には絶対できないし、彼は本物の化け物だと改めて思う。

今までも夜に遊ぶ事は何回もあったが、特定の友達と毎回似たような事をするだけ。それも高校生と同じような遊びばかりで、何も新たな刺激のないお金と時間の使い方だった。

しかし彼と会って以降は、全く知らない人と親交を深める機会を得るような遊び方に変わった。その大きな理由に、彼との決めごとで「毎回違う遊びをする事。同じ遊び方をするにしても、毎回違うお店に行くこと。」を取り決めたことが挙げられる。これは単純に出会いの量が爆発的に増えるので、自分の知らない世界を広く浅く勉強できる環境を作ることに繋がった。
この「遊び」における行動の変化は、自分が生きてきた世界の狭さ・自分の行動範囲・視野の狭さに気づくだけでなく、多くの価値観を持った人々と生活することを社会で働くと言うのだと改めて理解する事に繋がった。

母が20代の時と同じような遊び方を行っているワケではないし、母の方がより偉大で素晴らしい体験をしていると思う。本当に若い頃の「青春」に対する時間・お金の使い方が上手だなと思うのだ。
母のようにはなれていないが、少なくとも自分の意識に変化を起こし、「私の中の遊び」を変化させることで母親からもっと遊べと言われることはほとんど無くなったし、自分の人生をより有意義なものに変化させることができていると実感している。

私のマネをするべきとは言わないが、今自分が使っているお金・時間の使い方で本当にいいのか。今一度見直して、ぜひ皆さんも日常生活を送るなかで「体験を増やす」意識をしながら過ごしてみてはいかがだろうか。


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