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離婚裁判百選⑲調停の歴史?と現代の調停

 調停委員の有識者?から、❶こんな調停なんてどうせ成立しない❷どうせ調整できない、など、心ないことばを言われてきたことがあります(事実です)。なんとか粘り、ようやく次回成立見込みが立ちました。

 調停委員ではなく裁判官に入ってもらい、ようやく話ができた状況でした。※ちなみに、調停委員の方は、話を聞きながら記録を投げ、ペンを投げたりしていました(これも事実です)。『冷静にお話しいただけませんか』と申し上げると、声を荒げている調停委員ではないほうの調停員が、『そっちが声を荒げているだろ』と、強く言われたこともありました(ちなみに発言をしたのは女性調停員です。これも事実)。にわかに信じられないかもしれませんが‥現代でもこんなことがあるのか、率直に悲しい気持ちになったが、声を上げる気持ちにすらなれず、調停制度について遡って考えてみます。

1 はじめに



 調停は,昭和6 年にいわゆる満洲事変が,昭和12年に日中戦争が始まり,これに伴い,出征軍人の留守家族間で各種の紛争が発生たことや,戦死者の遺族間で弔慰金や恩給扶助料の支給をめぐる紛争も続発していたことが背景にあったようです。このときに,女性が調停委員に選任されるようになったようで,女性の権利の確立期にも貢献している紛争解決制度であったようです。
 戦後,新憲法は,婚姻及び家族に関する立法について,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚することを求めましたが,当初,地方裁判所の支部である家事審判所が取り扱っていたようです。
 
その後独立し,地方裁判所と同等の裁判所が取り扱うのが望ましいとされたことにより,家庭裁判所が設置されました(ここまで秋武憲一『第3版 離婚調停』(日本加除出版、2018年)8頁以下)

2 調停のありかた 

もう少し、調停の在り方について掘り下げてみます。

 家族に関する紛争は,その性質上,権利義務の面からその正否を決めれば,それによりすべてが解決できるというわけにはいきません。つまり,他の法的紛争の多くが偶発的で 1 回限りのものであることが多いのに対し,家族に関する紛争は,通常,家族関係という特別な世界の中で,長期間にわたって形成されたものといえます。それゆえ,当面の課題が解決されたとしても,家族関係が将来にわたって継続すれば,再び同じような問題が生じるおそれがあります。また,多くの場合,紛争の背後に感情的な対立があります。しかも,家族関係の紛争は,いわば窮極のプライバシーであり,他人に知られたくないという面が強いものです。 こうしたことから,家族に関する紛争については,それが紛争である以上,最終的には,裁判所によって,その権利義務関係を適正に判断されることが必要ですが,紛争当事者が夫婦親子等の家族であるということから,その解決は,手続が非公開で,内容が相互に調和し,精神的にも経済的にも安定した家庭を営むことができるようなものであることが要請されます。これに合致するものとして,家事調停制度がもうけられているのです。‥(中略)‥紛争の当事者の申立てにより,条理,つまり,物事の筋道にかない,しかも紛争の実情に即した合意の成立を媒介する制度であるといえます。さらに司法制度としてこれをみますと,裁判所が関与するが,訴訟手続によることなく,当事者が自主的方法で紛争解決をする制度であるということになります。

秋武憲一/著『第3版 離婚調停』(日本加除出版、2018年)8頁以下

記載だけをみると、紛争の実情に即した合意の成立を媒介する制度、と評されています。実情に即す、となると、必然的に、一方当事者の主張をうのみにすることをも意味しかねません。冒頭から、非常に細かいことを持ち出してなぜ期日間に●●をやらなかったのだ、と当事者に対する弾劾から入っているケースの多くは、他方当事者の話を先行してきいたケースのように思われます。

 これでは、本質的な物事の解決になりません。手続の主宰者として、もちろん、こんな例は一部の委員であり、氷山の一角にとどまると思います。が、紛争当事者の気持ちに立ってみると、たまらない気持ちになるのではないか。ちなみに、この件の女性調停員は、『財産分与まで請求するのか』と、声を荒げていました。閉口したといいましょうか、悲しくなったが、めげない。

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