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脳出血入院記(15)2022年10月下旬 ありがとう、さようなら。

 あんなに嫌だった病院なのに、退院するとなるとちょっと寂しく感じる。不思議なものだ。
 病棟の中を移動する時には、ちょっとだけ遠回りや寄り道をしていつも使っていたところで写真を撮った。病室内でも色んな角度から写真を撮って、毎日の三食の御飯の写真も撮った。
 毎日通ったリハビリ室では特にたくさん写真を撮った。お世話になったリハビリの先生とも写真を撮った。退院してから自主トレをしていくつもりだけど、怠けたくなってしまった時にリハビリの先生の写真を見て気合いを入れ直すようにしよう。
 看護師さんとも写真を撮ったけど、申し訳ないけど思い出はほとんどない。このリハビリ病棟には3ヶ月くらいいて、今回の入院生活の中で一番長くいた場所なのだけど、日常生活のほとんどは自分でやっていたので、看護師さんや介護士さんの印象は薄い。親しかった何人かの看護師さんは覚えてるけど、それ以外のほとんどの人は顔がなんとなく分かるくらいで名前は全然知らない。
 たくさん思い出があって顔も名前も覚えてるのは、期間は短いけど、何もできない状態だった頃にお世話になった3階の一般病棟の看護師さんと介護士さんのほうだ。1階のリハビリ病棟の看護師さんや介護士さんにもお世話になったのだけど、なんだか申し訳ない。

 看護師さんから、僕が退院することは他の人に絶対に言わないように、と指示された。
 年配の人は物事を自分の勝手な解釈で決め付けてしまうことが多いので、僕が「退院する」と言うと、それを聞いた人はなぜか「自分も退院する」と決め付けて思い込んでしまうらしい。
 それが退院したい人の場合、「自分も退院する」という思い込みが更に飛躍して、「〇日に退院する」と勝手に自分で決めてしまうこともあるらしい。
 そういえば、僕が「〇日を区切りとして考えてる」という話をした時に、看護師長さんが怒って飛んできたことがあったけど、あの時は、僕がこういう混乱した状態になってしまってると疑われていたのだろうか。
 逆に、退院したくなくて病院にいたい人の場合、退院は良いことではなく「病院から追い出される」という悪いこととして捉える。だから、変な方向に飛躍して、「自分も病院から追い出される」という発想になって、パニック状態になってしまうことがあるらしい。
 どっちにしても面倒なことになる。だから他の人には絶対に言ってはいけない。
 ちなみに、退院を「病院から追い出される」と悪く捉える人のほうが多いので、退院が決まっても家族にだけ連絡して本人には教えず、いきなり病院から連れ出して移動させることもあるらしい。そういえば、3階の一般病棟では本人は何も聞かされないで、何でも全て家族のほうに連絡が行っていた。このリハビリ病棟に来てからは僕は直接に聞いてたけど、僕がそうなっただけで他の人はやっぱり何も聞かされないで家族に連絡が行っていたのだろうか。

 僕から親に連絡をして、退院する正式な日時などを伝えた。病院に迎えに来てもらいたいので、その時間などについても話した。
 その時に、退院後についての話にもなった。僕は退院したら自分のアパートに帰って、一人暮らしをするつもりだった。でも、両親は心配していた。いきなり一人暮らしをしても自分で出来ないことがたくさんあるだろうから、「しばらく実家にいて欲しい」と言ってきた。
 両親の心配は充分に分かる。でも僕は両親の子供を何十年もやってきて、両親のやり方は熟知している。両親が言う「しばらく」は「ずっと永遠に」という意味だ。つまり、「一人暮らしは辞めてこれからずっと実家で暮らせ」ということだ。
 実家で暮らすのは直ちに拒否したいが、正直なところ、一人暮らししても必ず絶対に大丈夫、と言い切る自信はない。悔しいけど両親の心配は当たっている。今回ばかりは言い返せない。とりあえず「しばらく」などという曖昧な言い方だけは拒否して、「春になって雪が溶けるまで」という期間を明確にして、実家で暮らすことを受け入れた。

 ちなみに、後で分かることなのだが、退院後は実家で両親のお世話になりながら生活する、というのが病院側と両親で話し合った僕の退院の条件だったらしい。だから僕は10月末で退院できたのか。
 もしかして、僕が退院後に実家で暮らすことを断固拒否して受け入れなかったら、退院は取り消しになっていたのだろうか。まさかねぇ。でも、そういえば、退院するって言ったけど退院しなかった人がいたっけ。まさか。でも、この病院なら有りなくはない気がする。恐ろしい。

 退院が決まってもリハビリの内容は特に変わらなかったが、退院後のことについて話す雑談が増えた。脳出血になった人がやったほうがいいこと、やってはいけないこと、などについてネットで検索すると色んな情報が出てくるので、そういう情報を元にして僕から先生に色んな質問をしてみた。でも、先生の回答はいつもだいたい同じようなニュアンスだった。「ネットの情報の真偽は分からないけど、それをやることで気持ちが満足できるならやったほうがいい」「極端なことじゃなければ、何でも好きなようにやってみたらいい」
 例えば、血圧が上がらないように塩分を控えた食事にする必要があるけど、好きなものを食べるのを無理して我慢してストレスになるくらいなら、好きなものを食べた方がいい。ただし、毎日ずっと好きなものだけ食べ続けるような偏った食事はダメ。
 退院後の日常生活について先生から言われた注意事項は何もなかった。
 ただひとつだけ言われたことは、ストレスを溜めないように穏やかに過ごすように、ということ。やったほうがいいことも、やってはいけないことも、そのこと自体の効果が云々ではなく、ストレスを溜めない為に、やったほうがいいと思ったことをやり、やりたくないと思ったことはやらない。

 ある日、リハビリから戻ってくると、車椅子がなくなっていた。僕はもう使わないだろうということで、撤去されたらしい。長い間ずっと僕の足になってくれた車椅子。ありがとう。
 それにしてもいきなりの別れだな。お世話になった車椅子には最後にちゃんとお礼を言ってお別れしたかったなぁ。病院での別れはいつも突然だ。車椅子は誰か他の人が使うことになったのかな。これからも誰かの足として頑張ってね。

 退院する数日前、看護師さんに相談して許可を貰った上で、1人でエレベーターに乗り、3階の一般病棟に行った。お世話になった看護師さんや介護士さんに会って、お礼とお別れをしっかり言いたかった。
 一般病棟のナースステーションに行くと、看護師さんが僕のことを覚えてくれていて、手が空いている看護師さんや介護士さんをたくさん呼んできてくれた。僕が外に出て病院の周りを歩いてリハビリしていたのをみんなで見て応援してくれていたらしい。嬉しい。ありがとう。
 一般病棟を初めて自分の足で歩いて周った。僕をいつも励ましてくれていた介護士さんと並んで一緒に歩いた。貴女の励ましのお陰でこんなに歩けるようになりました。ありがとう。
 一般病棟にいたのはほんの3ヶ月前なので、まだハッキリと覚えている見慣れた光景なんだけど、車椅子に乗って押されながら見ていた光景と、自分の足で立って歩きながら見る光景は、全く違って見える。こんなに狭かったのか。でもあの頃は、この狭い世界が僕の世界の全てだった。
 一般病棟の看護師さんや介護士さんがみんな集まってくれて、みんなで一緒に写真を撮った。これは本当に宝物の記念写真だ。ありがとう。
 戻らなければならない時間になったので、1人でエレベーターに乗り込んだ。振り返ると、看護師さんや介護士さんがみんな手を振ってくれている。僕も手を振る。エレベーターのドアが閉まり切るまで全力で手を振り続ける。僕の命の恩人の皆さん、ありがとう。
 僕はこの狭い世界を飛び出して、広い世界を自分の足で歩いて行きます。僕がもっとバリバリ動けるようになった頃に、いつかどこかでまた会いましょう。さようなら。

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