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小山田の件、自分の中で考えがまとまったというか、過去の自分にも決着がつけられたというか…自己満かもしれないけど、書きます。小学生の時、自分は学校のあらゆるゴタゴタに絶望して、篭ってしまった時期があって、部屋を真っ暗にしてラジオばっか聴いてた時期に、corneliusを含むたくさんのアーティストの音楽に助けられた。世界がパァーッて広がる感じ。そこからいろんな音楽を聴くようになり、本を読むようになった。小学生であんまりcornelius知ってる人もいなかったし、少し優越感もあったかもしれない。小学生ということもあって、お小遣いも少ないので、その頃はまだ例の雑誌の記事に出合うことはなかった。私があの記事を読んだのは、高校生の時、古本屋で。「小山田の若い時の記事だ!」と思って読んだら、子どもの頃のいじめを、インタビュアーと(笑い)多めで語っていて、血の気が引いた。

自分が閉じこもり、一番辛かったというか、暗闇にいた時期にヒーローだったアーティストが、想像を絶する暴力というか、人の尊厳を踏みにじった過去を笑いながら語っている…自分が将来なりたいと思っていた編集者・ライターが、出版物で二次加害という爆弾を放り投げている…地獄だった。「作者の人間性と作品は別」なんて思わない、ただ自分の中に小学生の頃の自分と、高校生の頃の自分がいて、ずっとずっと「小山田は今、どう思ってるの?」「今の考えを、言葉で聞かせて欲しい」という気持ちがずっとあった。CDは高校生で買うのをやめた。でも、曲は聴き続けた。あの記事が頭によぎりながらも、ヒーローでいて欲しい気持ちもあった。夜のニュース番組のOP曲を作った時も子供番組の担当になった時も、「今の言葉でちゃんとあの時のことを語って欲しい」と待っていた。言葉にするタイミングはたくさんあった。小山田が五輪開会式作曲の一報が出て、そして、爆発するように過去の記事とそれに対する批判が出た。当然だと思った。その時は冷静になれなかった。「小山田が言葉にしてくれ」という気持ちがあったから。そして翌日、声明が出された。長かった。ずっと自分の中にいた小学生の頃の自分と、高校生の頃の自分が成仏できたというか、長いこと、ずっと執着していたものがパラパラと崩れたというか、ファッと重たいものが取れた気がした。とても個人的な話だけど、やっと冷静になれた。今の時代とこれからの時代を大人として生きる自分の考えや言葉がようやくまとまった。

私は小山田圭吾の辞任を強く求める。あの声明は果たして謝罪なのか。読み返すと、空を舞っているだけの言葉の羅列だと思った。結局、オリンピックの開会式作曲はやりますという決意にも感じた。謝っても、どうにもならないことがある。やってしまったことは消せない。

自分が一番辛かったあの時代を、弱い者は黙らされていたあの時代を「そういう時代だった」「そういう文化だった」と、仕掛けた側が言っている。今を大人として生きる自分に迷いはない。断固拒否するし、もう繰り返させない。知っていたのに、個人的な執着から批判をしなかったこと、反省して、何度でも小山田圭吾の辞任を強く求める。そして、東京オリンピック・パラリンピック自体の開催中止を強く強く求める。「復興」も「コロナに打ち勝つ」も「希望」も「絆」も「スポーツの力」も、嘘で塗りかためられた穢れたスポーツの祭典なんていらない。





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