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「#大学生の日常も大事だ」とは何だったのか

こんにちは。ぎんじろうです。

このnoteを読んでいただく際に
・筆者がコロナ禍を過ごした時期はいつなのか
・その時期の世の中はどんな様子だったのか
という基本情報を共有することがまず必要だろうと思いました。

なので早速ですが、私の簡単な自己紹介も交えつつ、2020年頃の当時の記憶を呼び起こす作業からこのnoteを始めたいと思います。

2020年4月を思い出す

私は2020年4月に京都のとある大学に入学しました。

この頃はコロナ的にどういう時期だったかと言いますと、安倍総理大臣(当時)が2020年4月7日に東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を行い、小池都知事が2020年4月9日に「密です。密です。密です。」と連呼して報道陣に距離を空けるよう求めた様子がネット上で話題となった、そんな時期です。

私の出身は金沢です。

私のスマホの写真フォルダに残っていた2020年4月13日に撮影された写真を貼っておきます。これは「金沢の人口当たりの感染者数は東京よりも多いぞ」というテレビの報道の一幕です。

この頃の私の心情としては、毎日報道される感染者数を目にして日々警戒感を強め、マスク手洗いうがいなどの感染対策も当然徹底していたものの、知り合いや身近なところで感染者が出たという話は聞かないため「東京の感染者数やべえな」と心のどこかで対岸の火事のように考えていた、そんな心情だったように思います。

さて、ここまで前置きが長くなってしまいましたが、そろそろ本文に入ります。ぜひご笑覧ください。

「#大学生の日常も大事だ」とは

タイトルにもあります「#大学生の日常も大事だ」とは、オンライン授業に対する大学生の思いや現状を世間に伝えるために一部の大学生や有志がTwitter上で開催したハッシュタグイベント(主催者の意図としては「ツイデモ」ではないそうです)で拡散されたハッシュタグです。

このハッシュタグイベントは、2020年7月15日21:00-22:00の期間で実施され、Twitterのトレンドに入るほど拡散されました。そして、その期間を過ぎた後もこのハッシュタグは多くの人に用いられるようになりました。

この熱心な運動が功を奏してか、大学生の現状はメディアに取り上げられるようになり、世間の注目が向けられるようになりました。

そして、注目を集めたということは当然のごとく様々な批判も向けられた訳で、
・対面になったら大学生はすぐ遊ぶ
・苦しいのは大学生だけじゃない、甘えるな
・オンラインで学べることもあるだろ
などのコメントも多く寄せられました。

そんな中、このハッシュタグがつけられた投稿でおそらく最も拡散され非常に多くの共感を呼んだたものが、これから紹介するマンガ付きのツイートです。

このツイートは美大に通う女子大学生(と思われるアカウント)による投稿で、その女子大学生と私は同学年です。

百聞は一見に如かず、です。
見たことがある人もない人も、今一度じっくり目を通してみてください。

maki(@D6Hy1q0FQJuxtPO)午後11:45 · 2020年7月17日 Twitterより URL: https://twitter.com/D6Hy1q0FQJuxtPO/status/1284137078914076673?s=20
(画像とURLは2023年4月23日に取得)


「大学生は、いつまで我慢すればいいのでしょうか。」??

さて、マンガはいかがだったでしょうか。

この章では、先ほど読んでいただいたマンガに登場する美大生のストーリー風に、私の大学生活(入学~1年生7月)を描き出したいと思います。

そのうえで、次章では「なぜ当時の私はこのように感じていたのか」を分析することにします。

それではここから少し、私の自分語りにお付き合いください。


私は大学一年生(18)だった。春から京都の大学に進学したけれど、大学には一度も行けていない…というわけではない。2020年4月6日に学部の新入生向けガイダンスは対面で行われた。そのとき座席が近かった彼は私の数少ない友人になった。

同級生の顔は実は意外と知っている。英語の先生がZoomのカメラオンを強制する人だったからだ。当時はカメラオンに抵抗感を覚えたが、この授業はマスクを外した同級生の顔と名前を一致させるまたとない機会だった。

大学が前期の授業を全面オンラインで行う方針を固めていたため、ガイダンス翌日に高速バスで実家に帰った。

ひとり部屋にこもり画面と向き合いオンライン授業を受ける毎日。それでも、毎日一緒に夕食を囲む家族が居たので寂しくはなかった。

4月。入学式や対面新歓は中止されたが喪失感はほとんどなかった。オンライン新歓で良い団体を見つけることができたからである。オンライン説明会にいた先輩たちの安心感があって真面目な話をできる雰囲気をとても気に入った。

5月。オンライン授業に備えて4月から実家に帰っていた私の生活は安定期に入っていた。分からないことが多いながらも履修登録を済ますことができた。相談できる先輩や同級生はいなかったが、自分一人で何とかなったようだ。

6月。オンライン授業、課題。15コマ分の課題が毎週あったはずだが、つらかった記憶は思い出せない。なんせコロナ禍&実家暮らしでは外に出る用事がない。課題をやる時間は腐るほどあった。

7月。オンライン授業、課題。6月とほぼ変わらない生活だったように思う。

初めて使うパソコン、ソフトに一日中格闘することは特になかった。
相談できる友だちや先輩はいなくても基本一人で何とかなった。

オンラインでは学べないことがたくさんあると言われているが、具体的にそれは何かと聞かれた時に当時の私はきっと答えることが出来ない。

消えていくのは授業日数と変わらない学費と言われているが、学費免除を受けていた私にとってそれは他人事だった。

「大学生はいつまで我慢すればいいのでしょうか。」??


私はなぜこう感じたのか

私は、端的に言うなら、「#大学生の日常も大事だ」に心からの共感はできなかったのです。

そして、その理由は大きく外的要因内的要因の二つに分けられると考えています。

外的要因とは、
・オンライン授業の質や大学の対応がよかった
・家族と過ごせて衣食住やメンタルが安定した
・オンライン新歓で良い団体に出会えた
・学費免除と給付型奨学金の経済支援があった
などのことで、私を取り巻く環境(あるいは運)に恵まれていたということです。

内的要因とは、
・パソコンにそんなに弱くなかった
・初めて会うの人と対面で話すのはあまり得意じゃなかった
・オンライン授業のスタイルが嫌いじゃなかった
・「大学」や「大学生の日常」に期待していなかった
などのことで、私の性格や特性がウィズコロナ時代の生き方に合致していたということです。

ここで更に、内的要因の中の「大学や大学生の日常に期待していなかった」について、もう少し詳しく分析してみます。

落胆や絶望といった感情は、期待を裏切られた時や希望を失った時に発生するものです。ということは、私は大学生活に期待や希望を抱いていなかったということなのか。

私は、期待や希望を抱いていたというより、「なるようになる」と思っていたのだと思います。

よく考えればそれもそのはずで、私は高校時代に大学生活がどのようなものなのかをほとんどイメージできていなかったのです。大学生の兄や姉などがいれば大学生活のリアルを知る機会もあったかもしれませんが、私にはそういう人がいませんでした。要するに、リアルな大学生の様子を見聞きし、そこから大学生活をイメージする機会が私には全くと言っていいほど無かったのです。

それに加えて、私の通っていた高校は大学進学が当たり前のいわゆる進学校でしたから、「大学生活のことは受験が終わってからいくらでも考えられるから合格うかるまでは勉強に集中しよう」という雰囲気がありました。それは目の前の受験勉強に集中できる良い空気感である一方で、受験の後の大学生活のことをイメージする必要性を感じさせない空気感でもあります。

これらを踏まえると、私が「大学生の日常」に期待していなかった理由が上手く説明できそうです。つまり、高校時代に私が大学生活について知らなかったことと知ろうとしなかったこと、つまり知る機会の不在知る必要性の不在、が相まって「大学生活のことは大学生になってから考えよう」という考え方(=なるようになる精神)が私の中で形成されたのだと考えられます。

(余談)
そして、そのメンタリティは私の中で今も健在です。「なるようになる」は一見すると消極的・受け身といったネガティブな言葉に見えますが、私は柔軟性・臨機応変といったポジティブな言葉として理解しています。
(余談終わり)

このように考えると、「大学や大学生の日常に期待していなかった」という心的で個人的な内的要因すらも、高校時代の周囲の環境によって構築されたものだったと言えるかもしれないですね。

#いまコロナ禍の大学生は語る

ここまで私にとって「#大学生の日常も大事だ」とは何だったのかをつらつらと書いてきました。

『「#大学生の日常も大事だ」とは何だったのか』という批評っぽいタイトルでありながら、かなり個人的な語りを多く含んだnoteになっているのはこういった理由です。

さて、読者の皆さんの中にはリアルタイムで「#大学生の日常も大事だ」を目撃した人もいる思います。

皆さんは当時どのように感じていましたか。
また、そう感じたのはなぜだと考えますか。

対面の活動がほぼ復活し、大学生がかつての日常を取り戻したかのように見える今こそ、過去を振り返り、現在を見つめ、未来を語りたい。私はそのように考えています。

ぜひ皆さんの意見もお聞かせください。

この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。

また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。

補足:「共感しない=冷笑主義」なのか

このnoteの文章を読んで、私が冷ややかな人間であるように映った読者の方もいるかもしれません。

それについて書いた記事をこのnoteと同日に公開しました。ぜひこちらもご覧ください。

ここまで読んでくださりありがとうございました。今回のnoteはこれでおしまいです。

ぜひ次回作にもご期待ください。


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