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勉強に裏切られたあの日ー勉強も努力だけでは解決できない事実

前回の記事で書いたように、私は運動神経は最悪で、運動は何をやっても何もできるようにならなかった。
運動会でも体育祭でも、私はただ足を引っ張るだけの存在だった。
リレーの選手の人たちが脚光を浴びるのを見て、羨まずにはいられなかった。自分もこういった脚光を浴びるような機会が訪れればいいなとそう考えていた。
ただ、今に至るまで残念ながらそういう機会はない。

しかし、そんな私でも、勉強だけはできていた。
勉強だけは努力を裏切らなかった。

運動はあんなにやっても全くできるようにならないのに、勉強はやればやるだけできる。
自分の味方は勉強だけだった。
小中学生の時、私は勉強が実は大好きだった。
何しろ、常に上位にいれるのだから。

ところが、そんな私にも、勉強が手に負えなくなる時期がやってくる。

中学3年から、通っていた塾の特進クラスのようなところに入った私は、そこで完全に落ちこぼれた。

まず、周りのレベルが違った。
私のレベルなんて、みな軽く達している。

そして、私は勉強につまずいた。
初めての経験だった。
まず訪れたのは数学だったか。時間の問題で全科目になったのだが。

解けないのである。
問題を前にして、手が進まない。解説を聞いてやっと分かるかどうかというレベルだった。

当然、周りも苦戦はしていたが、テストまでには皆できるようになっていた。
私は、そもそもできなかった。スタート地点に立っていなかった。

たまにできる問題があった。
喜ぶのだが、実はその問題は誰でもできる問題だった。できていない人はいなかった。

私ができるレベルなんて、誰でもできるもの。
誰でもできるようなものでないと、私はできない。
現在に至るまで、以降はずっとそうなのである。

もう、いくら勉強しても無理だった。
そもそも次元が違っている。勝てない。

こうして私は塾の中で落ちぶれた。
志望していた公立には落ちたが、得点ではおそらく相手になっていない。下から数えた方が早いくらいの順位だろう。

驚いた。
これまで自分はどれだけ井の中の蛙だったのかを思い知らされた。

高校生になった。
私の学校は、そもそも私みたいな奴らばかりの集まりだった。つまり、志望校に落ちて来ましたという奴らの集まり。
とても楽しかった。皆レベルが近いので、いじめに遭うこともなかった。

ところが、ここでも私は勉強で詰まった。

周りに勝てなかった。
同じように志望校に落ちた奴らでも、ここまでレベルが違うのかと思い知らされた。
中の下が精一杯だった。

いつからか私は、「勉強ができないキャラ」になっていた。中学時代には考えられなかった。

もちろん努力はした。勉強はした。
でも、及ばなかった。
というか、相手はもうスタートの時点で違っており、いくらやっても勝てるビジョンは見えなかった。

無理だ。勉強が、できない。
そして、もちろん運動もできない。芸術のセンスもない。
最悪だった。
ついに、「何をやってもできない人」の地位に辿り着いてしまったのである。

とにかく落ちぶれた。

次第に私は無気力になっていき、体育祭はサボるわ、文化祭は教室で遊んでいるわで、クラスでは何でも引き受けて目立つ方だった中学生時代(ただしクラス内に限る)とは打って変わった。学校をサボったのも、一度や二度ではなかった。

幸い、人間関係は良かった。
同じようにサボる仲間もいたし、そうでなくても、サボっているくらいで仲が崩れるようなことはなかった。今考えると、本当に当時の仲間には感謝したい。

そして、大学受験。
高校は公立に落ちたので、大学は国公立に!と考えていた。
誰よりも勉強した。予備校に一人缶詰めだった。
ずっと勉強していた。

だが、またもやうまくいかない。
センター試験が、一定の点数以上取れない。
模試も、一定の偏差値から伸びない。
どんだけ勉強しても、だ。
また、一定以上のレベルの問題は、そもそも解けない。解説を聞いても分からない。解けるようになるビジョンが見えない。
普段遊んでる奴でも解けるような問題が、私にはどれだけ勉強しても解けないのである。
認めたくはなかったが、「限界」を認めざるを得なかった。

こんなはずではなかった。
小中学校では勉強すればできて、クラスで一番でもおかしくない成績だったのに、その数年後にこれである。

今となっては、私は勉強が苦手であり、単に範囲の決まっている学校のテストが得意だっただけということが分かったのだが、当時はなかなかそこまで頭が回らなかった。
運動と同様、私には勉強もセンスもなかったのだ。

当然センター試験は失敗し、地方の国立を前期に受け、志望していた国立は後期に回した。

前期の地方の国立は受かった。後期の志望校は落ちた。高校時代に続いて志望校不合格。
併願していた中堅私大に一つ合格し、そっちの方に進学した。
今となっては、国立に進学すべきだったと後悔しているが、実家から通えるか微妙な距離で、レベル的にも中堅私大の方が高いと言われていたので、そっちに決めた。このあたりの話は別の機会に綴っていきたい。

中学時代は上位だったのに、大学は猛勉強して中の中になってしまったという現実。
でも、これが私の実力、残念だが、センスがない。いくらやってもできるようにはならない。
諦めがついた。これが私の限界なんだと。
この言い方は良くないかもしれないが、そもそも持って生まれたものが違った。

大学時代は塾の講師のアルバイトをしていたのだが、そこで分かったことがある。
できない子はどんなに頑張っても、どんなに丁寧に教えてもできるようにはならない。
私の力不足なのもあるが、そもそものセンスが違いすぎる。

きっと私も、そうだった。
所詮、努力が報われるのは学校の定期試験レベルであり、それ以外では努力は報われないのだから。
よく私が言うのだが、この世の中は「努力しないでどれだけできるかがモノを言う世界」だ。
努力しないでもある程度できるものは、努力すれば伸ばせる。でも、努力しないでは全くできないものは、努力しても伸ばせない。
残念だが事実だった。

大学時代のことはまた別の機会に綴っていこうと思う。

勉強は、才能がモノを言うのだとは思っていなかった。

だが、皆が皆スタートラインが同じで、努力が全てという世界は、それはそれで恐ろしい。
上もいれば下もいる。
そして、それは単に運で決まる。
だから、運に見放された人であっても、しっかりと社会が保障する。

ある意味当然なのかもしれない。

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