ほしいものだらけの世界だけど

昨日の三浦春馬のニュース、
自分でも意外なものでかなりショックを受けている。

私は毎週木曜の夜、正座待機で楽しみにしていたテレビ番組がある。
JUJUと三浦春馬の『世界はほしいモノにあふれてる』
これは世界各地のバイヤーさん(ジャンルは食品、骨董品、ジュエリーetc...)を取材して、モノと人と空間の関係を紹介する番組だ。(と、私は勝手に解釈してます。)

アンティークやヴィンテージ、ハンドメイドが好きな私にとってこの番組は、一週間を生き抜くHPがほぼゼロになったタイミングで、程よいチャージをしてくれる、とても特別な番組だった。
何よりMC2人の緩く紡がれる会話が好きだった。
2人とも古き良きを理解して、向き合って、愛でるあのひとときの良さは、心にたっぷり水をくれる様な良さがあった。

そんな中の土曜日のニュース。
最初はコロナにでもかかったのかと思いきや、
自ら命を絶たれたとの文字に、ある種の恐ろしさと悲しさがどっと押し寄せてきた。
これからが絶対に良い役者さんであり、人間であるはずなのにな…悲しいよ…

少し脇道逸れて私の話をします。
私はこの短き人生の間に、一度、死んでもいいかなぁと思った時期があった。
無論、病院に行き診察を受けるなりするっとうつ判定が下り、そのまま仕事は休職、半年後に退職という道を辿ることになった。

彼がなぜ死を選んだのかは分からない。
ただ私が『生きてなきゃいかんな』と思えたのは、休み立ち止まる時間があったこと、死ぬ勇気が無かったこと、死んだら負けと謎の悔しさが湧き上がってきたこと、そして大事な人たちの心配する悲しそうな顔を見たこと、これらがあったからだ。
そこから這い上がり今に至るのだが、辛くてもこの先には何がいい事があるはずという漠然とした確信があるから、辛くても今は生きていこうと思える。

死を選び、実行することを選ぶ人の心情は計り知れないが、想像を絶する程に視界が、思考が、闇に飲まれてしまう感覚は想像出来る。優しくて真面目で責任感があって、才能と感覚に恵まれた素晴らしい人なのだろう。やりたい事も夢もあったろうに、それでも闇に飲まれてしまったこの現実が悲しい。

生きていればなんとかなるのに、不倫も薬物も不祥事も、生きていればなんとかできるのに。
赤の他人の私が何が悲しいって、生きてりゃ何とかなる事を知っているからこそ、光を見るチャンスがあったはずだからこそ、勿体なくて悲しいのだよ。

抱え込むタイプだよなぁという人が思い当たる方、ぜひその人の事を注意して見ていて。
そういう人はいつ何時闇に飲まれてしまうか分からない。そして抱えた闇を吐き出す術を知らない。
どうか少しでも様子がおかしければ、きちんと吐き出させてあげてください。

とにかく思ったことをつらつらと書かずにはいられなかったので、めちゃめちゃな文章になってしまった。
けれどもこんなに悲しいことはあってはならないので、今感じてる事を人目のつく場所にそっと置いておこうと思いました。

辛いけど生きましょう。
悲しいけど生きましょう。
誰しも誰かが心配し、好きでいてくれるから。
いつか出会えるはずの『ほしいモノ』に溢れた世界を、どんな形であれ生きていくことに意義があるのだから。

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