見出し画像

7インチ盤専門店雑記530「憧れのジョージア(&京都)」

トーク・イベントでブラック・ミュージックの特集をやるにあたり、いろいろチェックしていて気がついたのですが、何か同じような作業をしたような記憶が蘇ってきまして、「そうか、ラジオか」となっております。100本近く番組を作ったわけですから、いろいろな特集をやっております。似たような内容のものがあって当然です。

一年半ほど前に「70sソウル特集」をやったときのプレイリストがnoteにも残っておりまして、どうしても似たような選曲になるだろうなと思います。ただ1時間番組に対して3時間のイベントですから、構成は全然違うものになるでしょう。結局のところ自分の好きな曲は何かということですから、アーティストとしてどの辺を中心に据えるかを考える土台にはなります。ラジオ番組でかけたアーティストを3曲ずつかければそれなりのものにはなるでしょうけど、まさかそんなイージーな内容で済まされるイベントではありません。

ただし、自分が洋楽にハマったスタート地点がソウル・ミュージックなもので、どうしても外せない曲がその辺にいくつかあります。最初に好きになった曲がブルック・ベントンの「Rainy Night In Georgia」でして、まあ渋いガキでした。そしてグラディス・ナイト&ザ・ピップスの「夜汽車よ!ジョージアへ」と相まって、ジョージアとは何処、どんな所なんだという、ある種の憧れの地が出来上がるわけです。「ジョージア・オン・マイ・マインド」を知ったのはもっと後のことですからね。高校の授業で使った世界地図は、音楽関連の地名を調べるのに随分重宝しました。時を経てウェブ時代になり、ストリートビューなどが出てきた頃も、随分バーチャルでうろついたものです。…最近はYouTubeに載っている車載カメラ動画ですかね。

昭和30~40年代の子どもにとって、流行歌に歌い込まれた地名などというものは、旅への夢を掻き立てられる最たるものでした。自分の場合はジョージアと京都でした。京都はデューク・エイセスの「女ひとり」が好きでしたからねぇ。「京都、大原三千院~」で始まるアレです。そこにチェリッシュが「なのにあなたは京都へゆくの」ですからね。…しかももう少ししたら、渚ゆう子さんによる「女ひとり」のカヴァーがまた大ヒットしましたから、「京都はそんなにいいところなのか」ということで、行ってみたい場所として子供心に刷り込まれましたね。…70年代初頭、国鉄がディスカバー・ジャパンとかやっていた時代ですからね。

もとい!この当時のブルック・ベントンはヴェテランと言われていたことは憶えているのですが、元々1950年代から60年代初頭にかけてヒット曲を連発したシンガーソングライターだったということは、ずっと後になって知ることになります。しかもこの曲はトニー・ジョー・ホワイトの曲でして、他人様の曲で久々のカムバックだったわけです。…なかなか複雑な心境で歌われたと思いますが、全米4位の大ヒット。バリトン・ヴォイスでないとしっくりこない名曲です。

実際のところ、ブルック・ベントンもグラディス・ナイトもLPを買ったことがありません。昨日も書きましたが、ブラック・ミュージックに関しては、とりわけ、シングル曲が好きな場合とLPで聴く場合で全然違った聴き方をしておりました。ブルック・ベントンやグラディス・ナイト&ザ・ピップスはシングルで聴くもの、他の曲はどうでもよくて、「…ジョージア」が聴ければそれでいいんです。でもLPで持っているアーティストなんかより、ずっと好きなんです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?