見出し画像

続・下町音楽夜話 0289「ボブ・ディランと村上春樹」

ラジオ番組の準備のためにピアノ曲にいろいろあたっていて、諸般の事情から諦めた曲がいくつかある。2時間番組を2人でやっているのだから1時間に収まる程度しかかけられないわけで、長尺曲は除外する方向に意識が向かい、まず外したのがボブ・ディラン「最も卑劣な殺人 Murder Most Foul」である。最新盤「ラフ・アンド・ロウディ・ウェイズ Rough And Rowdy Ways」に収録された17分弱の超大作である。コロナ騒ぎが世界中に拡大する最中の2020年3月末に発表された「少し前に書かれた曲」ということで、最新録音ではないが、8年ぶりに発表されたオリジナル・ソングではある。当然、ノーベル文学賞を受賞してから最初の曲ということにもなる。

「ラフ・アンド・ロウディ・ウェイズ」の裏ジャケットには暗殺されたケネディ大統領の写真がどーんと掲載されている。この曲はケネディ大統領の暗殺に関して歌ったものではあるが、半世紀以上前の事件を単に描写しただけではなさそうだ。病めるアメリカに対する嘆きを彼流に表現したのだろう。多くのアーティスト名や曲名なども登場するが、よほど音楽に造詣が深くないと、趣旨を理解することは難しい。

自分の場合、知っている名前が次々登場するので興味は引かれたが、軽やかなピアノに乗せて語られる内容が重すぎて、直ぐに歌詞を調べる気にもならなかった。それでも、外出自粛中の時間がたっぷりある時期にいろいろ調べたりはしてみた。結果として数カ月引きずったまま理解できず、消化不良になっている。中川五郎氏の秀逸な翻訳がウェブ上に公開されているが、これとて文字を小さくして打ち出してみると、A4で4ページの歌詞と2ページの注釈、1ページの補足説明という大作資料となってしまった。

そしてかなり難解であることはしっかり伝えられているが、歌詞を読んだだけでは到底理解できないことしか分からない。主題の部分は「ウルフマン、ああ、ウルフマン、ああ、ウルフマンが吠える ドンドコドン、卑劣なことこの上ない殺人だ」…ウルフマン・ジャックのことだとは分かるが「ドンドコドン」?となってしまう。読み流せばいいことなのかもしれないが、どうにも耳について離れないこの曲に、この数カ月間、気分的に抑えつけられている。全くもってとんでもない名曲なのかもしれない。実はそのことに自信すら持てないでいる。まあ、YouTubeにフル・レングスで載っているので、是非とも一度は聴いていただきたいものだ。

もう一つ、困ったことに頭の中に居座っているピアノ曲がある。正確に言うとピアノ曲集だが、シューマンの「謝肉祭」である。これは村上春樹の最新短編集「一人称単数」に収録された一遍「謝肉祭」が原因である。自分は村上春樹に関してはマニア・レベルで、翻訳ものも含め、全読破している…はずなのである。翻訳ものに関しては情報が完全ではないかもしれないので自信がないが、ほぼ読んでいるはずである。ところが、ここのところ、長編ではロクに満足できていない。元々短編の方が好きで、「アフター・ダーク」以降はもう長編を書かないで欲しいと思うほど、短編に秀逸なものが増えていると思っている。そして「一人称単数」は大満足の一冊なのである。音楽について書かれたものが多いことも満足度が高い理由ではあるが、昔からのファンにご褒美をくれているような仕掛けが随所にあり、もう堪らない面白さなのである。

さて、その中で大々的に取り上げられているシューマンの「謝肉祭」だが、相当のクラシック好きでも、好きという人間はあまりいないような気もする珍曲・奇曲である。謎解きが含まれていることは昔から知れているが、20曲から成るこのピアノ曲集がまた面白いのだ。当の短編の中では無人島に一曲だけ持っていけるとしたらという問いかけに答えるかたちで、著者ならではの解説つきで登場人物に選ばせているのだが、如何せん信用してよいかどうか分からない文脈で登場するのだ。

ネタバレにならないようにしたいが、ここに登場する女性は「美しくない」ということを長々と解説した後に主人公と絡ませるわけで、どうしても一歩引いて物語を客観視させる工夫がしてある。何とも入り込めないのだ。そのテイストが、またシューマンの「謝肉祭」そのものなのである。ひょっとして、この曲を恐ろしく深いところまで理解し、入り込めなさを複線として書かれたのだとしたら、やはり村上春樹はノーベル文学賞などどうでもいいレベルの優れた物書きなのかもしれないと考えている。

自分のアタマの中では、やはりこの「謝肉祭」が居座って、断片的に鳴り続けているのである。30分超はあるので、当然ラジオ番組でかけられるなどとは思いもしないが、単純に好きなピアノ曲として紹介する予定の数曲よりも、よほど深いところで脳みそを支配している。

「秋だからおすすめのピアノ曲を」と言われれば、「ボブ・ディランと村上春樹」と答えてしまう現状、何とかならないものか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?