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清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : 市丸さん

先般「78回転のSP盤が聴きたい」というご要望をいただいた某大学の先生が、当日の帰り際に「市丸さんとかありますか?」とおっしゃってまして、「ありますよ~」と軽く返したものの、「ハテ、どこにしまったか…?」と内心不安になっておりました。そうしたところ、先日自分のトークイベントでスピーカー周りを片付けたら、ゴソッと出てきました。

市丸さんは戦前から戦後にかけて活躍した芸者歌手のお一人でして、戦前の首相近衛文麿の愛人でもあった方です。出身は長野県松本市、上京してからは浅草で芸者としてお披露目、清元、長唄、小唄で名取にまでなったとかで、頑張る人です。柳橋に家を建てたということもあるのか、墨田川を歌い込んだ曲がいくつかあり、ローカル・カルチャーの一つとして、情報収集はやっておりました。この方、「ちゃっきり節」や「三味線ブギウギ」などをヒットさせた方ですから、昭和のサブカルを語る上でも最重要人物なんです。

墨田川界隈の曲が多いからという単純な考えで、以前は葭町(芳町)の芸者さんなのかと思っておりましたが、そうではないことが分かり、最近はあまり調べたりはしておりませんでした。その一方で、戦前の紫綬褒章受章歌手、藤本二三吉さんが元葭町の芸者さんで、この方がヒットしたことにより、その後に芸者歌手ブームが訪れたわけです。その中に「市勝時代」と言われた市丸さんと勝太郎さんもいたわけですね。何故藤本二三吉さんのような大歌手が「深川くずし」を歌っているのかが少し理解できました。

葭町と深川の辰巳芸者の関係に関しては以前に書いておりますが、この手の調べ物が意外に難しいことも学びましたし、インターネットのおかげで、ある程度のところまでは行ける、しかしラスト・ワンマイルじゃないですけど、もう少し突っ込んだ部分を調べようとすると非常に難しいことになるということも理解しました。インターネットの功罪相半ばです。レコードの現物があるのはやはり強みです。

市丸さん、「三味線ブギウギ」だけでも推測できますが、新しいことにどんどんチャレンジした方でした。映画界からもお声がかかりますし、最終的にはテレビ・ラジオにも積極的に出演することになります。実はこういった部分もいいなと思うわけです。こういう人がいなければ文化は廃れます。伝統に胡坐をかいている伝統工芸は失われゆくと言う方がいます。時代に合わせて伝統をフィックスさせていく能力というものもあるのでしょうか。新しいことにチャレンジし続ける生き方は素晴らしいと思うわけです。

さて、ビヨンセのカントリー・アルバムがリリースされましたね。テイラー・スイフトではなく、ビヨンセですからね。黒人女性として初めてビルボードのカントリー・チャートで一位を獲得したとか、…凄いですね。ミスター分断、ドナルド・トランプがまた大統領になる可能性が出てきているアメリカで、今何が起きているのか、非常に興味深く見守っております。

それにしても、カントリーをやりますか。白人至上主義的な連中も多い世界に斬り込んで行くようで、ゾクゾク、ハラハラ、いろいろな感情が湧きます。音楽には力がありますからね。結果として具体的にどうこうということよりも、人々に考える機会を与えます。そのことで誰かが血を流すこともありませんからね。これまでも、ジミ・ヘンドリックスとか、リヴィング・カラーの連中とか、白人の世界に斬り込んで成果を出した黒人アーティストはいます。ビヨンセ、これまでまともに聴いたこともありませんが、頑張って欲しいなと思います。…聴けよってか。

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