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7インチ盤専門店雑記396「1993年のカナダで…」

1993年、もう30年前なんですよね。光陰矢の如し、Time flies、Like light and shadow、もう時効でしょう、少し思い出話でも書きますか。

1993年のベストといえば「カヴァーデイル・ペイジ」なんですが、デフ・レパードも結構聴きました。何だか忘れられない年ではありまして、よく憶えているんです。国内では平成の米騒動、フィリピンのピナトゥボ火山の噴火が原因と言われる冷夏のせいで米が歴史的な不作となり、タイ米が輸入されて、翌年の前半までみんな細長い米を食べることになりました。私は米に拘りがないので、パスタばかり食べて半年ほど過ごしたわけですが、翌年秋にはあっさり復旧するんですから、日本の農業もよく分からんなぁと思いました。

ついでに言えば、天皇さんと雅子さんのご成婚の年ですね。昭和天皇の崩御から4年、お待たせしました的なムードでした。それから細川連立内閣とか、アメリカではクリントン政権発足の年ですね。パパ・ブッシュが大嫌いだった私は、サックスを吹く色男、ウェルカムと思いましたけどねぇ…。まさか色事のスキャンダルが後々大きく報じられるとはね…、思いませんでしたねぇ。

個人的には前職で姉妹都市へ再度送り込まれまして、やはり悪夢のような、いや悪夢以上にバタバタした年でした。カナダにある姉妹都市に飛んで、いろいろゴタゴタを片づける特命を拝しておりまして、詳しくは書けないのですが、まあ政治に関しても、貿易関連、経済事象に関しても、ちょっと冷めた目で見る習慣が身についてしまいました。

国際交流って本当に難しい仕事なんです。「国が違えば考え方が違うのは当然」という人々と面談しながら、薄々そう思っても口には出さないでニコニコニコニコ、「そこを一つ何とか」って英語でどういうんだ?などとやっておりました。ペーペーの自分は内心「知ったこっちゃねーよ」と通訳に徹しているフリしたり、「経済交流の前段階としての文化交流を…」などという訳の分からないことを言いつつ丸く収める…みたいな役割です。動きたい商工会議所&産業連盟、火の粉を浴びる教育委員会、動けない&調整できない区役所の国際交流部門…、冷え込む姉妹都市交流というヤツです。

だって北米カナダと言っても猛烈な多民族国家ですから、向こうに行ってからも「インド系と中国系と白人連中のバランスを取りながら調整するって何!?」みたいなことにプチッ、イラッ、ニコッとしておりました。5日間の業務に15日の休暇をくっつけて3週間ほど滞在し、遊べたのは最後の2日間だけみたいな日々でしたね。あちらの優しい市長さんや部長さんが、毎日のように私の肩に腕を回して「グッジョブ、グッジョブ」などと言ってくれましたっけね。

1993年、本当に思い出したくもない年ですが、ストレス解消の意味も多々あったか、春先にリリースされた「カヴァーデイル・ペイジ」を大音量で聴く日々、夏前に公開になったアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「ラスト・アクション・ヒーロー」にハマりーの、サントラに収録されたデフ・レパードの「トゥ・ステップ・ビハインド」を口ずさんでおりましたねぇ…。涼しい夏だったかもしれませんが、不快指数は相当高かった記憶しかありません。


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