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清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : 通り三丁目

江東区の深川エリアは歴史を語る上で非常に面白い地域ですが、中央区も日本橋、銀座、八丁堀など、面白そうな地域がたくさんあり、魅力的なところです。中央エフエムで番組をやらせていただけることになったとき、「中央区は面白そうだな」という考えが瞬時に頭の中を支配しておりました。日本橋の歴史を語る本も読みましたし、随分古地図を眺めて楽しんだものです。時代物の小説を読んでいたら出てくる地名ばかりなんですから、当然ながら楽しめます。

そんななか、深夜放送をやっていたころは、地下鉄でスタジオ入りして、帰りはクルマで送っていただいたりしておりました。自分の番組を持つようになって、最初の頃は地下鉄でも通いましたが、最近はもっぱらバス~バスで通っております。お店の前にある平野一丁目というバス停から乗り、月島駅前で東京駅八重洲口行きに乗り換えて、終点の一つ前「通り三丁目」というバス停で降車し、そこから数分歩きます。千疋屋や明治屋の前を歩いて行くわけで、なかなかにいいルートです。

以前から気になっていたのが、この降車する「通り三丁目」というバス停の名前です。普通に考えたらヘンな名前ですよね。これが実に面白い歴史をもった停留所だったんです。なんせ明治15年(1882年)開通の東京馬車鉄道で既に存在する停留所なんです。その後、最盛期は総延長210kmに及んだ路面電車「都電」を、昔の東京オリンピックの頃から少しずつバス路線に置き換えていくわけですが、その路線廃止の初期段階で、中央通りを走っていた路面電車を、まず通り三丁目から南側だけ廃止したものですから、一時は通り三丁目行きという電車があったわけですね。

しかも驚いたことに、通りというのは江戸時代からある町名なんですと。これ、表通りという意味での東海道に沿って日本橋から南に「通一丁目」「通二丁目」「通三丁目」という名前の細長い町が並んでいたんですね。戦後の地番表記の頃は中央区日本橋通三丁目だったのが、昭和48年(1973年)の住居表示導入時に日本橋三丁目に併合されてしまうんですね。

でもバス停には「通り三丁目」という名称が残っているというわけで、実に由緒ある名前なんですと。いやはや、恐れ入りました。さすが中央区、お江戸日本橋から始まる東海道のはなしとは思っておりませんでした。遊興の街深川から出張ってきて、お国の真ん中の地名に驚いているなんざ、落語の世界観に通ずる間抜けな所業でした。全く色気もへったくれも無い話で申し訳ありませんが、それにしても驚きましたね。

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