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7インチ盤専門店雑記635「エルトン・ジョンのヒット曲1」

1972年4月から中学1年だった頃の自分の記憶が正確かどうか、時々自信をなくします。大嫌いだった小学校を卒業して、最高に楽しかった中学校に入った頃から自分の記憶が急にしっかりしているのは、中学校が楽しかったということよりも、やはり楽しくなかった小学校の頃の記憶を消し去ろうとしているのでしょうか。

10歳ごろから洋楽にハマっていたとはいえ、ラジオばかり聴いていたというだけのことで、最新のヒット曲が多く流れてくるのは当然ですが、ロングラン・ヒットだってありますし、過去のヒット曲を流してはいけないわけではないので、記憶が混濁しているところがあるのは、薄々感じているんです。それでも、その当時いっぱい聴いたアーティストのディスコグラフィなどを見るとリリースされた年月日が分かるので、ある程度の補正がきくわけです。しょっちゅう年表的な資料などを作りながらトークイベントをやっていたりもするので、意外に正確だったりします。ただし、エルトン・ジョンに関しては、かなり惑わされてしまうところがあることも分かってきました。

エルトン・ジョンは1970年代前半、もの凄いペースでアルバムをリリースしてきます。その傍ら、ヒット曲も連発するわけで、アルバムの先行シングルなどというものも、微妙に記憶を揺さぶってくれます。あまりに分かり難いので、思わず手書きの年表を作ってしまいました。コレをやると、やはり新たに見えてくることがあるんです。

1972年のサブカルに関しては、何度もあちこちに書いておりますが、あえて繰り返しておきます。中学1年の小僧の記憶のベースがここにあり、その日々を彩ったヒット曲がいっぱいあるわけで、可能であればそのすべてについて書き残しておきたいくらいなんです。…やはり自分が生きてきた証ですから。

洋楽の面白い年だったということもさることながら、サブカル全般においても忘れられない年であることはやはり何度も書いております。1月グアム島で横井庄一さんを発見、2月は札幌オリンピックに連合赤軍あさま山荘事件、3月高松塚古墳壁画発見、4月川端康成自殺、5月日本赤軍テルアビブ空港銃乱射事件、7月小結高見山優勝そしてミュンヘン・オリンピック選手村でイスラエル人選手殺害…、まあバタバタした年でした。

公開された映画は「ダーティハリー」「フレンチ・コネクション」「死刑台のメロディ」「ゴッドファーザー」「猿の惑星・征服」「キャバレー」「ハロルドとモード」「バラキ」「ラ・マンチャの男」あたりですかね。流行語は「お客様は神様です」とか「ナウ」、「未婚の母」ですと…。翌1973年が出生数のピークですからね。本のベストセラーは有吉佐和子さんの「恍惚の人」です。田中角栄の「日本列島改造論」が話題になった年でもありますね。読んだのはもう少し後ですが、私的には庄司薫「狼なんかこわくない」でしょうかね…。庄司薫ももう少し後か…。北杜夫とか遠藤周作とか星新一とかを読んでいましたね。

note : 7インチ盤専門店雑記532「1972年のサブカル」抜粋

ソウルから洋楽にハマっていった小僧が、中学で新たな友人もできて洋楽の情報を交換したりする中で、一気に聴くものの幅が広がっていくわけですが、それでもラジオで流れていたヒット曲が中心であることはその後数年は変わりません。結局この時期ヒットを連発していたエルトン・ジョンやグラムロックに軸足が移っていくわけです。しかもそのタイミングが絶妙でして、自分の記憶を補正する必要が生じた原因もこの辺にあるようなんです。

1972年5月19日にアルバム「Honky Chateau」がリリースされますが、先行シングルとして「Rocket Man」が4月17日にリリースされます。セカンド・シングル「Honky Cat」は7月31日リリースです。もちろん日本ではタイムラグがあるでしょうから、ある程度の話でしかないのですが、この時期「Rocket Man」をやたらと聴いたことは記憶にあります。

そしてラジオの特性でもあるのか、新曲と合わせて過去のヒット曲/人気曲もかけたりしますよね。実はこの時期、やたらと「僕の歌は君の歌 Your Song」も聴いているんです。だから同じ頃の曲という誤解が固定しているんです。「僕の歌は君の歌」は1970年10月26日リリース、1年半も前の曲です。それでも、ご存知のようにロングラン・ヒットなんです。1971年も年間通して、ラジオではそれなりに流れていたんです。レコードを買ったのはずっと後のことで、テープに録音して聴いていたとも思いますが、テープの記憶があまりないので、やはりラジオでかかっていたと思うんです。

今回、1972年頃の自分の記憶を補正して完璧に辻褄が合うようにしたいという妙な思いから、エルトン・ジョンの年表を作ったりしているのですが、やはりそこから見えてくるのは、ロングラン・ヒットになった「僕の歌は君の歌」の影響もあるのでしょう、1971年のシングルの部分にぽっかり空白ができるんです。そんな時期のアルバムに関しては、1970年10月リリースの「Tumbleweed Connection」も、1971年11月5日リリースの「Madman Across The Water」も、新盤が出るという紹介をラジオで聴いた記憶はありまして、1972年5月の「Honky Chateau」リリース時に、「もう次が出てしまうの?」と不思議に思ったことまでは、自分なりに整合性がとれてきました。

夏休みの自由研究よろしく、お盆休みは集中してエルトン・ジョン研究で行きますかね…。そんなにネタがないか…。


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