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江戸料理「浦里」と夏野菜 一汁七菜

伝承料理らしい。
池波正太郎ファンならよく知っているだろう。

浦里うらさと
古典落語や浄瑠璃じょうるりにも登場する花魁おいらん浦里うらさと
気に入った客の朝ごはんのために、大根おろしと叩き梅干し、もみ海苔、おかかに醤油でちゃちゃっと作った料理名を浦里うらさとという。

江戸料理についての本
には、たいてい紹介されている。
私はそれで浦里を知ったのだけれど、池波正太郎の作品にも登場するというので、5年前に読んだ。

朝起きて、湯を浴び、歌山と共にゆっくりと酒をのんだ。そのあとで、大根おろしへ梅干の肉をこまかくきざんだものをまぜ合わせ、これへ、もみ海苔と鰹ぶしのけずったものをかけ、醤油をたらした一品で、炊きたての飯を食べる。この一品。名を [浦里] といい、吉原の遊里で、朝帰りの [なじみ客] の酒のさかなや飯の菜に出すものだが、深川でもこのごろは、名の通った岡場所なら吉原のまねをして浦里を出す。ちょいと、その、うまいものだ。

池波正太郎「その男(一)」より引用
江戸では朝にご飯を炊き、温かいご飯にみそ汁、漬物と菜、昼夕は冷や飯を食べたそう
大坂おおさかでは昼に炊飯、温かいご飯を汁や煮物、香の物などと食べ、夕食は同様に茶漬けだったそうです
古伊万里染付そめつけ雷文なます皿(江戸後期)に浦里うらさとを盛り付ける


浦里うらさとは大根、梅干し、おかか、焼き海苔
、あとおろし金があればちゃちゃっと用意できる日本の旨み素材万歳の即席料理だ。

大根の汁気をしっかりしぼった浦里うらさと
酒のさかなにもなります
大根の汁気をあまりしぼらない浦里うらさと
ごはんにのっけていただくとうんまい!
かつお荒削あらけずり、梅干し、焼き海苔、醬油で


八月も終わる頃、浦里と夏野菜の一汁七菜のお昼ごはんを用意した。

古伊万里、薩摩さつま切子きりこなどの日本の器で昼ごはん 

夏の献立に浦里を加えたけれど、ここで気になったのが、果たして江戸時代、夏でも大根が収穫できたのかという疑問。

大陸から伝わったといわれる大根、日本では4世紀には既に伝わっていて、古くから日本人にとって大切な野菜となっていたらしい。
大根の栽培は比較的容易でどんな土地でも収穫できるという特性から、江戸時代には地大根の栽培が増え、土地に会った大根がおよそ100種あったといわれる。
夏に収穫できる夏大根も、江戸時代に中山道板橋宿の北、清水村で作られていた志村みの早生大根があったそうだ。
江戸時代の料理書でも大根は豆腐と並ぶくらい多くの料理法レシピが残されている。

ほほう、なるほど。

さて、浦里と夏野菜の献立です。
やはり土井善晴よしはるさんのなすの田舎煮はテッパン!

なす5本分を大鍋で調理
太白胡麻油で炒め、レシピの水の分量より多めで
長めに煮たからきれいな茄子色ではないけれど
やはり絶品!
調味料はレシピ分量より砂糖(粗精糖)は少なめ
醤油大匙1に対して砂糖大匙1弱
しし唐辛子は全部ピリリと少し辛かったけれど
それが献立を豊かにしてくれた
器は古伊万里こいまり染付そめつけ撫子なでしこ文なます皿(江戸後期)


焼き鮭は私は市販の甘塩鮭でもしょっぱく感じるので、自分でぱぱっと作る。
鶏ハムの下拵えと同じやり方。

鮭一切れ(約100g)に対して塩小匙1/2、砂糖小匙1/2を両面にすりこむ
そのまま25分間放置
流水で塩と砂糖を洗い流し、さらに2分ぐらい水に浸ける
キッチンペーパーで水気を拭く
あとは焼くだけ


レンチンして粒を外し冷凍した玉蜀黍とうもろこし入りの玉子焼きも夏ならではの一品。
はじかみ生姜のゆかり酢漬け、モロヘイヤお味噌汁も旬菜。
浦里には青紫蘇をちぎって加えた。

青紫蘇でカラフル浦里
雑穀胚芽米ごはんにのっけて
いただきま〜す


浦里と夏野菜の一汁七菜献立
モロヘイヤのお味噌汁
浦里
ぱぱっとできる甘塩秋鮭で焼き鮭
なすの田舎煮
しし唐辛子のくたくた煮
ミニトマトとオクラ、茗荷のモズク酢和え
胡瓜の糠漬けとはじかみ生姜のゆかり酢漬け
玉蜀黍入り玉子焼き
雑穀胚芽米ごはん


うむ
浦里と夏野菜の一汁七菜
ちょいと、その、うまいものだ。

狂った夏が遠ざかる。
いつの間にか蝉の鳴き声は止み、サルスベリの木には幾つもの実。


たくさん作って翌日翌々日も飲む冷たいモロヘイヤお味噌汁で簡単朝ごはん、これもちょいと、その、うまいもんだ。
うちの定番夏ごはんです。

おにぎり二種類 冷たいモロヘイヤお味噌汁
玉子焼き おから 人参・茄子・胡瓜の糠漬け 


今宵はスーパームーン
2023年の満月の中で最も大きく見えるスーパームーン


作り方は ↯ に記載してあります。

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