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君が今夜見る夢

「半熟卵のドリアと、このチキン」
「あと、タラコソースのパスタと、このサラダを。あ、ドリンクバーも2つお願いします」

 メニューを所定の位置に立てかけて、窓外にちらつく雪を見る。学生時代に飽きるほど訪れたファミリーレストランではあるが、窓からの景色は雪ひとつでいつもとまるで違って見えた。寒さに体を縮めて歩く人々の間を、小さな妖精たちが楽しげに飛び回っているようだ。
 子供の頃の、雪が降っているとわかった途端に夢中で外へ飛び出してしまうような興奮はさすがにもう感じないが、小さく心が踊る。ふと、自分も大人になったのだなと思った。

「ものすごく久しぶりな気がする」

 木島が言った。たしかに会うのは久々だった。5年ぶりくらいだろうか。部活や学校行事の帰りに、何度ここへ一緒に来たかわからない。

「でも別に変わらないな、高校の時と」
「あ、いや、この辺で雪見るのがさ」
「ああ、そっちか」

 財布をパーカーのポケットにしまいながら腰を上げる。わざわざ「ドリンクバーへ飲み物を取りに行こう」と言う必要がないくらいには、2人ともここでの食事に慣れきっていた。木島も立ち上がる。
 ドリンクバーにすら工夫次第でわくわくできた当時を遠い昔のことのように思い出しながら、飲みたいものがひとつもないラインナップを眺め、炭酸が物足りないことを知りながら結局いつも選ぶ飲料を注いだ。

「どうよ、最近」

 木島がチキンにかぶりつきながら言った。
 運ばれてきた料理を口に運んで感じるのは、慣れ親しんだ味の安心感だ。普通においしい、とはこういうのを言うのだろうか。友人とだらだら近況を話し合うのにはもってこいだろう。

「最近ねえ……。別にこれといったことはないなあ。仕事してゲームして寝ての繰り返し。あ、でも先月ちょっとだけ昇給した」
「お、いいな」
「時給にしたらたぶん十円二十円とかだけど」
「塵も積もればってやつよ。年収で考えたら結構違ってくるんじゃないか?」
「たしかに」

 当時は部活のメンバーで来ていようがクラスの友達が一緒だろうが、こんな話にはならなかったように思う。人生の段階によってある程度話題が制限されているような気がして、少し寂しくなった。例えば二十代はお金の話、三十代は子供の話、四十代になれば健康の話だろうか。十代の頃は日常の中にあった、中身はないが無性に楽しい話は、もう思い出の中だけにしか存在しないのかもしれない。アルコールの力を借りず、一切お金もかけず、頭を空っぽにしてお腹がよじれるほど笑うことなど、もう誰の力を借りても不可能に思えてくる。

「お金を発明した人って天才だよな」木島が言った。「もし給料が現物支給だったらどうする? 例えばブロッコリーがもらえるとしようか。高給取りなんか発狂するだろうな。給料日の朝会社に行くとさ、自分の席にそれはもう大量の、ブロッコリーの山があるんだ」
「それはしんどいな」
「給料日だってのに、全然嬉しくないだろ? 会社に入る前から青臭い匂いがするかもな。木島くん今月かなり多いけど働きすぎなんじゃないか、とか上司に言われちゃったりして。家に持って帰るのだって一苦労だし、次の給料日までの保存法をよく考えないと大半を腐らせることになる。お隣さんにお裾分け、なんてことも当然できない。みんなブロッコリー貰ってるわけなんだから」
「なるほど。想像しただけでぞっとする」
「だろ? でもまだ会社勤めはマシかもしれない。人生ゲームって昔よくやらなかったか? 俺の家にあったやつはさ、職業に発明家ってのがあったんだよな。給料日になったらルーレット回して、出た数字でもらえる額が決まるんだ。あんなのはもっと地獄だぞ。ブロッコリー1つで食いつながなきゃいけない月もあれば、突然の大ヒットで億のブロッコリーが舞い込んでくる月もある」

 億のブロッコリー、とつぶやきながら窓の外を見た。

 めったに降らない雪だ。子供だけでなく、大人たちも目を輝かせているように見える。走り出す子をたしなめる親の顔が綻んでいた。

 ふわふわと舞う純白の粒が互いに引き合うようにしてくっついていく。ひとつ、またひとつ。外を歩く人々は気付いていないようだった。

 粉雪が徐々に大きくなり、牡丹雪へ。さらに大きくなって雹くらいのサイズへ。

 大きくなるにつれて重くもなっているはずだが、地面から風が吹き上げているかのように、落下は一定のところで止まり、それは人々の頭上を浮遊している。

 硬貨ほどの大きさになったところで、その塊の中にスポイトで差したように小さな緑色の点が現れ、次第に全体に滲みながら広がっていく。

 そうしている間も少しずつ大きくなっていくそれは、こぶし大になったところで突然次々に破裂し始めた。

 制御のきかない衝動のように、内側から間断なく破裂を続け、まるでポップコーンでも見ているみたいに加速度的に体積を増していく。

 ソフトボールからサッカーボールくらいまでの大きさの、表面が細かい気泡で覆われた緑色の物体が無数に宙を舞う。

 瞬く間に空はひしめくブロッコリーで隙間なく覆われ、外は夜より深い闇に包まれる。バッタの大量発生のニュースを見た時の記憶が蘇った。

「ものすごく久しぶりな気がする」

 木島が言った。彼の名前が木島であるということ以外に何一つ思い出せないのが不思議だった。

 パーカーのポケットを探りながら腰を上げる。左右とも何も入っていなかった。何かをなくしてしまったような気がするが、それが何なのかわからない。

 伝票に手を伸ばす。

 コートを羽織り、クーラーボックスを肩に掛けてレジに向かう。

 ご馳走様でした、と言いながら店員に伝票を渡す。

「え〜と、お会計が、850グラムになります」学生風の店員が言った。

 クーラーボックスを開けて、大きめのものを4つ選ぶ。このボックスではもう小さすぎるかもしれない。より良い保存法について一度しっかり考えなければ、次の給料日よりも前に腐らせてしまうだろう。

「ありがとうございました〜。またお越しくださいませ〜」

 店員がブロッコリーを両手に抱えてバックヤードへ下がっていく。

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