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全力!読書感想文 『逆ソクラテス』

Q.先入観との正しい戦い方を、小学生にもわかるように述べなさい。

 こんな問題があったとしたら、『逆ソクラテス』(伊坂幸太郎著/集英社)がそのまま答えだ。

 本書は5編からなる短編集で、すべて子供が主人公になっている。表題作の「逆ソクラテス」は『あの日、君と Boys』(集英社文庫、2012年刊行)というアンソロジーに収録されていて、僕はこれを既に読んでいた。子供が主人公というのは珍しいな、と当時思ったが、今でもやっぱり貴重で、そんなレアな短編たちがまとめて5作も読めるとはなんと贅沢な、と刊行を待ちわびていた1冊である。

 この本に収録された5編には、子供が主人公という点以外にもうひとつ、重要な共通点がある。「先入観」をテーマとして扱っていることだ。少年時代で先入観ときたら、真っ先に思い浮かぶのはいじめだろう。これは誰にとっても、慎重に扱うべき問題だ。子供を主人公とすることによって使える語彙が限られる中、こういったセンシティブな題材をどう小説という形に昇華するか。ただ小説にするだけではない。「伊坂ワールド」と言われるような独特の世界観をどう構築するか。単行本の帯には「デビュー20年目の真っ向勝負」と書かれてあったが、本書はまさに勝負という言葉が似合う、挑戦的な小説でもある。

 これから、なぜ僕がこの小説をたまらなく好きなのか、その理由を述べていきたい。僕は、伊坂作品が大好きでたぶん本になっているものは全部読んでいるし、雑誌等にしか掲載されていないものも血眼で探しては読んできた、伊坂さんの大ファンだ。けれども『逆ソクラテス』についてこうして感想を書き始めたのは、単にこれが伊坂作品だからではない。ぜひたくさんの人に読んでもらいたいと心から思う、とても魅力的な小説だからなのだ。

1.バランス感覚

 いやっほーい!! ここからはハイテンションでお送りします。好きな小説を語るのに、おカタい書き方なんて拙者にはできませぬ。この熱量を、そのまま文章にぶつける以外に、この本の魅力を伝える方法はないのです!

 早速まいりましょう。まずね、バランス感覚がすごいですわ。センシティブな題材の扱いもそうだし、話の落とし所もそう。先入観とか決めつけ、(無意識であっても)他者を軽視すること、いろんな「悪」の表現のしかたが絶妙すぎてもうハートにぶっ刺さり!

 “お母さんも、「騎士人君のお父さんって、すごいみたいね」と言ったことがある。「子供に変わった名前をつけるくらいだから、てっきりそういう親なのかと思ったら、違ったのね」とも。
 そういう親、の「そういう」がどういう意味なのかはよく分からなかった。さらに、有名企業の偉い人だったら、「そういう」のイメージが変わるものなのか、と二重に僕は疑問を抱いた。”
 (「非オプティマス」)

 例えばこれ! 日常に潜む偏見を子供目線で切り取った一節だけど、偏見を持っているのが自分の親というのがなんとも絶妙ですよね。単なる勧善懲悪物語ではない、どこか日常と地続きの小説だからこそ、誰でも先入観に囚われて加害者になりうるってことを表現したこういう文章がすごく映えてる気がします。うんうん、いま読み返してみてもやっぱり最高だなあ。

 悪を成敗するのではなく悪との付き合い方にフォーカスするというアプローチにも、ものすごく痺れます。

 “「フィクションなら、犯罪者とか、恐ろしい暴力を振るったり、もしくは弱い人を虐げたりする悪人がいて、それを主人公が倒して、めでたしめでたし、というのもいいと思う。ただ、現実は違うだろ。(中略)
 犯人はいつか社会に出てくることのほうが多い。そうだろ? 同じ町で生きる可能性だってある。だから、その彼を、異常だから、とか、信じられない! で切り捨てるのも怖いじゃないか」” 
(「アンスポーツマンライク」)

 悪人を排除する難しさをめちゃくちゃ現実的に受け止めて、その先を考えようよ、っていうのをこう表現するかあ。はあ〜すごい。

 どんなふうに考えたら、先入観という強敵に、少なくとも「負けない」でいられるのか。この難問に対する伊坂さん的解答を、読者を白けさせないどころかどんどん魅了していくよう表現できるバランス感覚にはもう、頭が下がります。くうううう、ご馳走様です!!!

2.エンタメ筋

 小説のエンターテインメント性を司る筋肉があるとして、それをエンタメ筋と呼ぶとして、この小説はもう、常人には理解できないエンタメ筋でもって書かれておる。伊坂さんは一見スマートな方だけど、きっとエンタメ筋はそんじょそこらのボディービルダーじゃ相手にならないくらいムッキムキなんだろうな。そうじゃないとおかしいんですわこの本まじで。

 伊坂幸太郎という作家を無理やりジャンル分けせよと言われたら、そりゃまあミステリ作家ということになると思う。この本に入ってる話も、どれもミステリ的盛り上がりポイント(ここでは「うっひょー!と叫ばざるをえないポイント」ということでUPと呼ぶことにします)が用意されていて、まずそれがすごい。すごすぎてスルーしてしまいがちだけど、ほんとにすごい。そういう仕掛けを、難しい題材の中に違和感なく入れ込むのってどうやったらできるんですか?

 特に、「スロウではない」のUPはたまらない。これを読んで本書を読んでみようと思ってくれる方が一人くらいいてもおかしくないし、いてほしいし、具体的な仕掛けは書かないけれど、興奮しながら目が潤むという不思議体験が味わえる極上のUPなんです。うっひょー! ぐすん。

 そんでもって、UP以外のところも最高に楽しい。退屈な文章なんて一つもない。読書って素晴らしいな、なんて素敵なんだろう、と幸せを噛み締めていたら、急にUPがきたりする。その時の快感といったらもう!

 バランス感覚にも通じるけど、軽く描きすぎて不謹慎になってしまったり、逆に重たい方向に振りすぎてしまったり、この本の題材は一歩間違えたら簡単にダメになってしまうものだと思うんです。

 “「もし、わたしがいじめられたら、いじめてきた相手のことは絶対に忘れないからね。で、その子が大人になって成功したら、満を持して、発表すると思う。あの人は、小学生の頃、わたしをいじめていましたよ、って。そのためにも、何をされたのかはしっかり覚えておいて、効果的にその話を伝えるね。その人が成功すればするほど、ダメージは大きいでしょ。そうじゃなくても、その子に恋人ができたら、その恋人にそれとなく伝えるかも。『あの人、小学生の頃にわたしにこんな嫌がらせをしてくるアイディアマンだったんですよ、素敵ですよね』って」” (「逆ワシントン」)

 このクラスにはいじめがある! と気づいたときに、どんなことを言えるか。子供たちに向かってどんな言葉をかけてあげたら、加害者にも被害者にも傍観者にも、わかってもらえるか。そしてどうやってその言葉を、通りすがりの僕たち読者が読んで面白いものにするか。よほどのエンタメ筋がないとこのコントロールは絶対にムリだ! やっぱ筋肉は裏切らないんだなあ。

3.魔法の言葉

「僕はそうは思わない」

 『逆ソクラテス』を語るとき、この言葉を避けて通ることはできないでしょう。未読のかたはぜひ挑んでみてほしいですが、これに心を打たれずに読破することなどまず不可能です。やれるもんならやってみんしゃい。

 この言葉、天邪鬼というか、和を乱す人が好んで口にしそうなイメージもあります。自分の言葉に対して毎回「そうは思わない」なんて言われたらまいっちゃうな、とも思います。でも、先入観や偏見に苦しむ人にとっては魔法の言葉になる。この言葉が出てくる「逆ソクラテス」がこの本のタイトルになっているのも、収録作の中でも特に大切なメッセージが込められた作品だからじゃないかしら。ええ、きっとそうよ!

 先入観って、ほんとにどこまでも一方的なものですよね。顔、髪型、メガネ、服装、体型。見た目だけじゃなくて、声とかにおいとかだって偏見の危険に晒されてる。自分の身の回りのことを正しく判断する力がまだ十分じゃない子供時代には、こんなのもうハンバーグとか唐揚げ並のご馳走になっちゃいます。どうりでいじめがなくならないわけだ!

 これのタチが悪いところが、例えば「デブ!」とある子供が言われたとして、その子供が周りの子より太っていたら、それは正しいこと、事実を語っているように見えてしまうこと。もちろん大人になれば体型で人を判断することの馬鹿馬鹿しさをちゃんと理解できるし、その体型こそがその人の魅力の一つになっている場合もあるって知ってる。でも子供にはそれがわからない。

 こりゃお手上げだね。どうしようもない。だって悲しいことに大人の世界にもいじめはあるし。子供に偏見の怖さを伝えるのは至難の技すぎるっすわ。そうやって諦めるのは簡単だけど、伊坂さんはこれにも真っ向勝負を挑んでるんです。「僕はそうは思わない」っていうたった一言で。

 「それはあなたの主観じゃないか」と大人なら言えるかもしれません。でもそれじゃダメなんです。小学生にも理解できる簡単な言葉で、大人にとってすら強敵の「先入観」に立ち向かえる言葉じゃないと。

 そう、そんな魔法のような言葉、「僕はそうは思わない」以外にないんです。

 以上が僕が『逆ソクラテス』をたまらなく好きな理由だ。自分の文章力のなさ、読解力のなさのせいで本書の魅力を伝えきれないのが辛い。だが実はこの文章には一つ明確な目的があって、それが達成できたなら満足することに決めている。

 途中で文体を変えた。どんな書き方でも良かったのだが、冒頭とのギャップができるだけ出るようにした。読んでくださった方はどう感じただろうか。「急にバカっぽくなったな」と感じた方もいるかもしれないし、「お、こっちのほうが読みやすい」と思ってもらえたかもしれない。不快に思った方もいるだろうし、特に何も思わなかった方もいるだろう。

 文体ひとつとっても、先入観から切り離すことはできないものだ。僕のこの文章も先入観を完全に排除できているとはとても思えないし、読者の方も様々な先入観を持ってこれを読んでくれたのではないだろうか。それくらい、先入観は身近にある。人を傷つけうる鋭利な刃物と一緒に僕らは生きている。子供の時からずっと。死ぬまでずっとだ。

 でも、恐れることはない。僕たちには『逆ソクラテス』があるし、いつだって魔法の言葉がついているから。


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