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攻撃することが主張だと思っているのは品がないよ

SNSで何かの批判をする時には、それが間違っていると考えられる事実だけじゃなくて、当然そこに自分や社会の代弁者として憤りの感情が出ちゃうよね。

みんな思い溜め込んでる事を吐き出すのだから、それは当たり前だと思うんだけど、怒りや不満の感情を表すにも、どんな言葉を選ぶかという選択肢はいくらでもあるはずなんだよ。

ネット上の多くはその憤りの感情を、ただただ相手を罵って満足してしてるように見える。いびつに尖っていて品のない嫌味や罵倒の言葉がとても多い。

そういうのは僕は読む気がしなくなる。社会や体制にメスを入れるような主張であればある程、きちんと耳を傾けたいし納得がしたいと思うのに、その言葉遣いのためにむしろ不信感を持ってしまう。

前置きから嫌味を言い、何かを説明するたび皮肉をはさみ、そんな文章はただ気分が悪いだけで読ませようとしてる文章とは言えない。

ただの個人の不満ならば、何を言おうとそれは全然かまわないんだ。それを言えるのがネットなのだから。しかし、たいていの発信者は自分が社会に対して正当な主張しているという体裁をとっている。僕は攻撃することが目的になっている主張には何も共感できない。

言葉や文章、メディアに関わるような職業の人なら、なおさら、知性ある言葉で人々を納得させる事を考えてほしいと思う。

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