生きづらさの紐とき 第9考 部室の、なんということはない時間とか。
僕は障害福祉の現場で働いていて、かつ福祉事業のコンサル的立場にもあるけれど福祉の資格は何もない。
しかし「いきづらさ」についてはよくわかる。なぜわかるのか、は、単に自分が同じことを疑問に日々生きているからだと思う。
そして、支援の現場でさえ、いきづらさは、あまり理解されないことがあることもわかっている。「理解されないことが多い」と言ってしまってもいいかもしれない。
何かを責めたり非難するわけではなくて、それくらいに普通では理解が難しい事柄なのだと思う。
専門知識とは、資格とはいったいなんなのか、と思うこともある。
僕なりに、いきづらさを緩和するものがあるとしたら、それは支援でもなく寄り添いとも少し違う。
僕はこう考えてる。
「同じ部室のなかで、お互いに別々のことやっていて、相手のことは気になるけれど、気にはしない距離感」でたくさんの時間を過ごすこと。
僕は「お互いを認める」とはこういう空間、時間で育まれることなのだろうと思う。
写真はヤマモモ。
団地に実ってるのが毎日どっさり。
事業所のみんなでとりにいけたらもっと楽しいだろうな。
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