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考えすぎの日々学究ノート

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日々の考えすぎな考えごとを綴ったノート。
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2017年10月の記事一覧

怒るということの本質は、何段階かに別れるとおもうけれど、そのうちの1つは「相手に言うことを聞かせたい」だと思う。

怒ると言う態度で、相手を思い通りにさせたい。モラハラとかはこういうことで、結局、力技なんだよなぁ。
工夫して伝えないで、怒れば楽に済むから、怒りぐせがつくんだよ。

思考や考えを巡らせることは、「きもちいい」ことなんだ。
考え事が辛いことばかりになるひとは「考える」と「悩む」を同じにしてしまっているのだろうと思う。
「悩む」は不安や心配をぐるぐるさせること。「考える」は可能性をフル模索する、という感じにわけてみよう。

幼児教育の大切さが説かれ、教育法、教材が山ほどある世の中だけれど、アインシュタインを超える天才が何人現れたというのだろう。
また、偉人と言われる科学者や芸術家、起業家は「天才をそだてるための幼児教育」など受けていたか。
そこには幼児教育という「手段」があるに過ぎないんだ。

‪ハウツー本には答えが書いてあるけれど、答が出るまでの「考える過程」が端折られている。‬
すると、問題を自分の頭で考えないから応用ができなくなる。
1つの答えをすべてに当てはめようとしてしまい逆に思考は狭くなっている。
そうして「勉強したのにわからない」というジレンマが残る。

自己肯定感なんて、あろうがなかろうが、とりあえずやりたかったらやればいいし、やりたくなけりゃやらないでいい、ということでしかないでしょうに。

物事の失敗を「自分が○○しなかった、あるいは○○したせいでこうなった」と自責するのは「安心」と繋がっている。
その方がひとまず不安を言語化して認識でき、安心するからだと思う。
一時的にはいいと思うけれど、そのまま本質を探さないでいると、不安は解消まではできず残っていくだろう。

怒りっぽい人は、喉が良くないという説があるけれど、もしかすると鼻(鼻腔)も関係するのかもしれない。
鼻の調子が悪く、鼻呼吸ができないと、内側から頭部の温度調節がやりにくい。
頭に血が上った時に深呼吸しても頭が冷えないし、口での深呼吸だと肺が冷えたときのぼせて逆効果だ。

引き寄せとか自己啓発を実践して効果が出る人とでない人の違いは、「無意識」とか「潜在意識」の自分の行動に責任を持つかどうかだと思うな。
「無意識にやってるんだから、自分に責任ない」と思ってる人はいつまでも潜在意識の書き換えできないと思う。
で、みんなできないから、自己啓発を叩く。

(続き)
そして自己啓発とか「なりたい自分になる」っていうのは、単に自分に関するすべての出来事が、自分が判断した結果だときづくための指南書だ。
それが専門領域の違いによっていろんな書き方伝え方、メソッドになってるだけで、みんな「自分のことをよく知りましょう」ということだよ。