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ライダーの記憶 いつもと違うお休みに

連休が来る。
今年の連休は、今までと違う。
相変わらず遠出がはばかられるような連休である。
わたしは自分の文章で、遠出した気分になる。それができるのは、全力で「バイクに乗って走る」という体験をしたからであった。

むかし、わたしは全国を走り回っていた。
11月も下旬の連休、どこを走っていただろう、と思いながら全く違うことを思い出していた。


*   *   *


港町ブルース、という歌があった。

むかし聞いたことがある。
北から南まで、港の名前を連ねて歌っていた。

渋い商店街を歩いていると、その歌が聞こえてきたのであった。

歌いながら各地を訪れるわけでもないけれどどこかしら懐かしい。
母が聞いていた歌だった。



わたしは、歌に出てくる港町を訪れたことがある。
バイク乗りは山だけでなく、港にも出没するのだ。

むかしの歌から思いがけず耳にした地名をきっかけに
記憶のかけらが稲妻のような速さでつながって
その記憶を言葉で手繰り寄せようとしたときには
もう景色が立ち上がってくる。

しかしそれは、歌から聞こえた港町と全く違う場所だった。


夕方、宿も決めずにおろおろとした、あの頃。

ロングツーリングにまだ慣れていなかった。
ただ、遠くまで、遠くまで走っていって
新しい景色を見てみたかった。
地図を見れば、道がつながっている。


当時のわたしは思った。

道がつながっていると言うけれど
それは本当だろうか。


長距離トラックも夜行バスも走るのだから
本当もなにもないのだけれど。

けれど
そこを自分で走って確かめてみないと
なにか気がすまなかったのだった。

長期の休み、
神奈川を日の出前に出発して、
静岡、山梨、長野、新潟、富山、石川、福井、京都、大阪。
その頃から、大阪へ行くのに真っ直ぐ走ることをしなかった。

そして
兵庫、徳島、高知、愛媛。
香川県は帰りの楽しみに、と思って取っておいた。
そうして愛媛県からしまなみ海道を通って広島県へ。


ただ走り続けた。


脇目もふらず走り続けて、何が面白いのか。


ただ体力の続く限り、時間の許す限り走り続けて
その先に何が見えるのか知りたかった。
喉の奥から湧き上がってくる焦燥感におぼれないよう
ただ先へ先へと。

四国からしまなみ海道を通って本州へ渡り、西へ向かって走り続けた。
九州の行き止まりまで、と思って。


けれどもその前に、今日の宿。
ヘルメットの中は素顔のままで。
旅の恥はかき捨て。

日が暮れそうになってから
いくつかのビジネスホテルに電話して
何軒目かに「空いてます」と聞けば「今から行きます」。

夜、近くの飲み屋をのぞく、という
大人のたしなみを覚える前だった。
宿へ着くとすぐに眠った。
次の日、日の出前からまた走るために。

そうしたことを繰り返しているうちに
「見たことのない景色」にも新鮮さを感じなくなって
「ここまで来た」という達成感も剥がれ落ちて
淡々と空気のなかを泳ぐような感覚になってくる。

道は続いている。

昔から地図の好きなわたしは、迷う気がしなかった。
そして、実際に道に迷うことはなかった。
みちのにおい、お日さまの向き。
それがあれば先へ進めた。



どうして迷子にならないのか、と聞かれたことがある。
わたしはどう答えていいのかわからなかった。
「地図とお日さまの向きで、なんとなくわかるから」
と答えたような気がする。

なんだか嘘を言っているようで
相手の顔を見ずに答えた。

実際のところ
それ以上、なんとも言いようがなかった。

もしかしたら迷うんじゃないか、
という気持ちがなかったから淡々と走り続けられたんだろうと思う。


そうしているうちにわたしは
一人で走ることでしかたどり着けない場所に
いつの間にかやってきていた。

その場所で
自分の感覚を遊ばせることを知ってから
走りを楽しめるようになった。


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